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「色で生命をつなぐ」(視点・論点)

染織家 志村 洋子

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 私の仕事は蚕から取った糸を植物で染め、その糸を織って着物にすることでございます。
40年近く、工房で弟子たちと手仕事を通して、染織の世界の奥深さに触れてきました。草木で染め、手機で織るという日々自然の素材と向き合う者として、10年前の東日本大震災は、自然の脅威、そして身に迫る近代文明の危機を感じました。
そして今はコロナの世界的拡大によって、生命を選択しなくてはならない状況にも陥っております。
 今思うことは、人類が今日まで培ってきた叡智がどこまで有効かということです。
先人の知恵に努力を積み上げるという、従来の仕方の他に、これまでになかった価値観も加わってまいります。人々はそのことに漫然とした不安を持っていましたが、今や目前に迫った不安へと駆り立てられています。
このような時期に、人が人としての自信を持つためには、核心になる考え方が必要になると思います。そこで今日は、染織の技を通して、生命をつなぐということについて考えてみたいと思います。

 絹糸に染まった植物の色は、毎回またとない色を出してくれます。光に輝くその色は、生命の色とも呼ばれています。
「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉があるように、東洋では人間が自然界の中で最も優れているとは考えず、人間も自然の一部であると考えます。それが自然(じねん)という考え方です。
 一般的な西洋の考え方ですと、人間が万物の頂点であり、自然と対峙し、支配できるようになっています。自然保護の考え方も、あくまでも人間が優位で、保護してあげるという立場です。しかし私たちのように植物の美しい色を見ていると、植物への共感から自分も自然の一部である、と心から思えるようになります。そして自然界への畏敬の念を持ちます。

VTR:絹糸 色のグラデーション
 ご覧になっていますように、この美しい糸のグラデーションは、紫草と茜の根っこから染めたものです。赤からピンクまでのグラデーションは茜で、濃紫からピンクまでのグラデーションが紫草です。皆さんは地球の中にはどれだけの植物の根が張られているか、想像したことがおありでしょうか。植物の根は大地の複雑な要素を吸収して、栄養だけでなく多様な色彩も内包しています。その色は暗い地下に存在していたとは思えないほど鮮やかで美しいものです。

 茜(あかね)は昭和初期までは野生のものが日本中至る所にあり、ここ京都嵯峨にも、30年ほど前までは地面を掘って採集していました。
ところが紫根に至ってはとうの昔に絶滅危惧種になり、一時期は本当に滅びてしまいかねない状況でした。もはや栽培に頼る他はありません。

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現代人に忘れ去られた紫根の美しさに魅せられて、紫根の里でもある滋賀県永源寺地方では、現代に紫根をよみがえらそうとして栽培を始めています。

 紫草は万葉集にもその言葉が出てくるように、日本人には憧れで、また親しい染料でした。

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あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖ふる  額田王

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紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも  大海人皇子

色を通しての恋愛の歌でございます。

 植物染料は通常は木の実、枝、幹などで染めます。根が染まると気づいた古代の人は、暗い大地の中の根から光り輝く色が染まるのを見て、どのような気持ちになったでしょうか。
 花は基本的には染まりませんが、例外の紅花がございます。可憐で華やかなピンク色で、平安時代の貴族の衣装に多く使われました。
 植物の染色で2つ不思議なことがございます。一つは花びらでは染まらないこと。二つには、植物の色の緑が染まらないことです。

 染料には鉱物性のものと植物性のものがありますが、動物染料はあまり聞いたことがありません。動物は蚕の糸や羊毛のように、繊維になって染織に参加しています。
 鉱物は絵の具の他に、染織の仕上げの段階で、媒染という、色の発色を良くして、色を糸に定着させる重要な役目を果たしています。動物繊維と植物染料とが結びつくためには、鉱物的な力が必要なのです。
 植物は大地に根ざし、動物は動き回り植物を食べ、鉱物は地球の一部です。このように色彩は動物・植物・鉱物の三つの要素の協力でこの世に現れ、定着するのです。そしてそれを可能にしているのが人間です。

 知り合いの方から「家の事情で祖父母の思い出の枝垂れ桜を切り倒さなければならなくなった。毎年ピンクの花をいっぱいつけていたが、その記憶が無くなるのは悲しいので、桜で染めて着物を織ってくれませんか?」という言葉をいただきました。もちろん喜んでさせていただきます、とお返事をいたしました。まもなく硬いつぼみのついた枝垂れ桜の枝が届きました。桜は硬いつぼみの時期に染めるのが一番美しいと思います。春に花を咲かせるために、桜色を全身に溜め込んでいるからです。早春に染めた美しい糸を見ると、桜の命が糸に転生したと思えてなりません。

 その桜色を生かして、先ほど述べた紫根や茜のピンクを織り入れて、この工房で振袖を織りました。出来上がった振袖は、桜の木の化身のように艶やかでいきいきとしていました。依頼された方からは「桜の着物を纏うと、亡くなった祖父母が桜の木の精霊に転身して私を守ってくれているようだ。」としたためたお手紙をいただきました。
 
 植物で染めた色は時間が経つと変化しますが、むしろ馴染んできて手放せなくなります。大事に着れば、着物は何世代にもわたって着回すことができます。私も祖母の着物を着ていますし、それを子や孫にも着て欲しいと思っています。
 着物としては使えなくなると、座布団にしたりのれんにしたりして使います。それにも耐えきれなくなると、細かく裂いて「裂き布」にします。それを横糸にして織り入れると、少し硬い目の織物になり、帯にしたり敷物にしたりして次の役目を果たします。
 このように初めて糸を染めてから100年以上の歳月に渡り、織物は私たちを楽しませて、最後の一切れになるまで、人間の工夫次第で役に立ってくれています。

 品物の生命と自分の生命が共感しているという感覚は、とても大切です。自ら長く使いたいと思えるものに出会うと、生き方自体も変化していくという風に思われます。

 昔、「ガイア」というタイトルの着物を織りました。藍の地に無数の色を入れた作品です。

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「ガイア」はギリシア神話に登場する女神で、大地と天をも内包した世界そのものとされています。「光と闇」「陰と陽」「善と悪」の二元論で分けるのではなく、全てを抱きこんだ地球生命体を表現したかったのです。
 およそ1世紀の間、祖母から母へ、そして私へと受け継いできた染織を通して、地球そして生命は色そのものであると確信いたします。

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