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「中村哲医師の夢を受け継ぐ」(視点・論点)

NGOペシャワール会 会長 村上 優

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 昨昨年12月4日、アフガニスタンで活動していた、PMS(平和医療団日本)総院長の中村哲先生が乗った車が銃撃を受け、ドライバー、護衛の4名と共に亡くなりました。
中村先生が亡くなって1年を経て、「PMSの現地活動は維持、発展できるのか」という心配をいただきます。

そこで、中村先生を失った現地は今どうなっているのか、のこされた我々は先生の夢をどう受け継いでいこうとしているのか、お話したいと思います。

中村先生は1984年より、当時のパキスタン北西辺境州、ペシャワールに赴任して、ハンセン病根絶計画に参加、医療活動を開始しました。当時はソ連軍がアフガニスタンに侵攻して、ペシャワールには300万人の難民が押し寄せており、必然的に難民支援医療も手掛けるようになり、その後、PMSとなる国際医療NGOを組織しました。この中村先生の活動を日本で支援するのがペシャワール会です。

 中村先生がパキスタン・アフガニスタンでの医療に関心を寄せたのは、1978年のヒンズークッシュ山脈の最高峰、ティリチミール登山隊に医師として参加したのがきっかけでした。翌年、同地帯へのトレッキングに私も誘われて参加しました。
 1979年はソ連がアフガンに侵攻した年で、山麓のギルギットで足止めされました。
中村先生は登山隊のキャラバンに義務付けられた住民診療で、この地での圧倒的な医療の乏しさ、何も治療もせずに子供だましのような薬を置いていったことが心残りになっていました。動けない山の中で星を眺めながら、先生とお互いの医療観、特に死に向かう態度、命の不平等について議論したのが思い出です。

 中村先生はその後の人の出会いの中で、ペシャワールに赴任することを決めて、36年にわたるアフガニスタンでの活動が始まりました。中村先生は亡くなる3年前より、今後20年の活動継続を見越して、現地PMSと密に連携するために、ペシャワール会事務局内にPMS支援室をつくりました。これまで現地と日本を結ぶ窓口は中村先生自身でしたが、自分が機能しなくなっても現地との意志疎通を充分図れるようにという意図です。

 今年2月にニューデリーで、PMS幹部8名とペシャワール会PMS支援室6名とで、事業継続について具体的に協議をしました。この会議で中村先生を喪失した悲しみを共有し、先生の魂が私たちと共に在ることを信じることができました。
それ以降は、先生の魂との対話で事業が展開し進んでいます。
 
 PMS総院長は日本人の私が引き受けました。現地PMSの運営は、アフガニスタン人の副院長を中心に、医療・農業・かんがい・事務部門の責任者12名で、運営委員会を構成して協議することが定着しました。日本人の私が総院長となった意義は、困難な時に中村先生の意志を反映して決定できるようにとの期待からです。
 政治勢力や部族間の対立など争いが多い中、「日本」が果たすべき役割と、中村先生が果たしてきた使命を強く感じました。先生は自然の摂理と表現して「水は善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、よそへ逃れようのない人々が人間らしく生きられるように、ここで力を尽くします」という言葉を残されています。
 
 かんがい用水路は、2003年よりマルワリード用水路の工事が始まり、2010年に完成し、その後にマルワリードⅡ(ツー)用水路の工事が始まり、「緑の大地計画」として継続してきました。2018年までにはクナール川流域の10か所の取水堰をつくり、閉鎖していた用水路が機能するようになり、1万6500ヘクタールの農地を潤し、65万人が生活できるようになりました。
 この1年で、マルワリードⅡのベラからの延長水路、排水路網が完成しました。
2018年にはPMS方式として、かんがい技術の標準設計が完成して普及にあたり、JICAと協働して中村先生の遺志を受け継ぎ、PMS方式かんがい事業ガイドラインも今年の完成です。

 砂漠をかんがいして得られた230ヘクタールを政府より託されて、ガンベリ農場が造られました。試験農場としても機能し、稲や小麦を中心として、サトウキビ、オレンジなどの果物、酪農、養蜂が拡がって定着しています。

 用水路周辺の植樹も120万本となりました。緑におおわれた大地が荒々しい気候変動を和らげる役割を果たしています。中村先生が生前に地元住民と約束された、ゴレークの取水堰と、用水路の調査や設計が行われています。川幅1キロを見渡して工事をする必要があり、設計段階でPMSの技師者と日本の技術支援チームが相互に検討する体制ができ、来年には着工する予定となりました。
 また先年より構想されていた、マルワリード用水路の対岸上流にある、バルカシコートの取水堰と用水路の工事が始まりました。今年の8月にシェイワ郡ウォレス谷に激しい土石流が発生し、住人16名が亡くなりました。その影響を受けて、マルワリード用水路も1.5キロにわたり深刻な被害を受け、水路、サイフォンなどが完全に土砂で埋まり、送水不能になりました。PMS職員による集中的な工事で修復し、土砂をしゅんせつしましたが、これを機会に貯水池を含めて、マルワリード用水路25キロの大規模なしゅんせつを始めました。


 恩恵にあずかっている人々が、部族間の対立やこれまでの恩讐を超えて協力し、計画的に自らの力で整備をする、ミラブと呼ばれる水利用組合など、体制整備が急がれます。
難民となった人々が戻ってきて、家族と一緒に生活できる、平和な光景が広がってきています。

 中村先生が犠牲になられて、また尊い犠牲になられたからこそ、先生の事業が広く世に知られ、支援の輪が広がっています。1983年から始まるパキスタン北西辺境州から、アフガニスタンでの医療・水事業・農業が彼の表現する全てです。
 自らの後継者と問われれば「用水路です」と答える。「人々が必要とすれば、誰かが保全し拡大するだろう」と付け加える。中村先生が「人は愛するに足り、真心は信じるに足る」という時、「平和は観念ではなく実態である」と説くとき、背後に多くの逆説的な体験があっても、そう思う心境にいたる生きざまがある。それは何かを問い続けることが、「中村哲」との対話でした。
 これからは我々自身が、中村先生の事業の本質とは何かを問い続けることが、「中村哲」の事業の継承だと信じます。

 まもなく、中村先生の著書「天共に在り」の英訳が出版されます。ペシャワール会でも中村先生の言葉のデータベースをつくり、これが道先案内となるよう作業を始めました。
先生の母校の九州大学では、活動を記録した映像や写真、資料などをインターネットで公開する、デジタルアーカイブを設ける準備が始められています。中村先生が平和を観念ではなく実態としてとらえて、この貧困と戦争が続く中にあって、人と人の和解、人と自然との関係を説かれた道を私たちも歩みます。

 「アフガニスタンでの20年の事業継続を」と先生が願い、私たちに説かれていたことが、少しずつ現実のものになってきました。いつも、どんな時でも、見守っておられることを感じる幸せに感謝しています。

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