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「国民的な遺産としての首里城」(視点・論点)

琉球大学名誉教授 高良 倉吉 

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 去年の10月31日未明、沖縄県の首里城が炎に包まれ、主な建物が焼失した出来事は、多くの人々に衝撃を与えました。焼失する首里城を見て、「信じたくない、夢であって欲しい」と語り、涙を流す人々の姿がニュースで伝えられました。

 首里城焼失という出来事を悲しんだのは、沖縄県民だけではありません。他の都道府県の人々も、また、海外の人々も、同様な衝撃を受けたようです。その姿を見て、首里城は沖縄だけのものではなく、国内、国外の人々にとってもまた、その価値が共有されていたことが分かりました。

 首里城の焼失という事態を受けて、国は直ちに関係閣僚会議を開き、国営公園である首里城の再建、復元に取り組むことを決定しました。
6年後の令和8年、2026年に正殿の再建を実現し、その後に関連する周辺施設を着実に再建するという工程表も決定されました。そして、去年の12月には、専門家が参加する委員会が設置され、再建に向けた具体的な検討作業が進められています。前回の復元を「平成の復元」と呼ぶならば、今回の再建は「令和の復元」ということになります。
 焼失した首里城は、琉球王国の拠点として、凡そ450年間にわたり政治、外交、文化の中心でした。中国や日本、東南アジア諸国と活発な交流を展開した琉球王国でしたが、明治12年、1879年の春に滅び、沖縄県が誕生します。その後、首里城は荒廃を重ね、解体の危機を迎えましたが、昭和の初めに解体修理が行われ、国宝文化財に指定されました。
 しかしながら、太平洋戦争末期の沖縄戦において、沖縄を守備する日本軍が、首里城に近接する場所に地下壕を掘り、そこに司令部を置いたため、アメリカ軍の激しい攻撃を受け、完全に破壊されてしまいました。 

 戦後、首里城跡に、沖縄県で初めてとなる最高学府、琉球大学が開学しました。首里城跡は大学のキャンパスとなり、多くの人材がそこで学びました。
 昭和47年、1972年に、27年間に及ぶアメリカ統治が終わり、沖縄は日本に復帰しました。国立大学となった琉球大学は、キャンパスが手狭であったために、広大な敷地を入手して移転することになりました。その跡地をどのように活用すべきか、首里城復元プロジェクトは、そこからスタートすることになりました。

 様々な検討を重ねた結果、城郭に囲まれた首里城の本体を、国が事業主体となる国営公園として整備することとし、その周辺エリアを沖縄県が担当する県営公園とすることが決まりました。
つまり、首里城の復元と整備は、国と沖縄県が連携して取り組む公園整備事業として進められたのです。

 正殿を始めとする首里城の中心エリアは平成4年、1992年の11月に完成し、一般公開されました。しかし、その後も休むことなく、周辺の建物や施設の復元、整備は続けられ、去年の2月にやっと終了したばかりだったのです。その同じ年に、城の中心施設は火災により失われてしまったのです。

 ところで、首里城は、姫路城や熊本城などの日本本土の城のような、天守閣や堀はありません。琉球石灰岩を削り、巧みに積み上げられた城壁は曲線を描いています。城の内と外をつなぐ城門は、特徴的なアーチで造られています。いくつもの門をくぐり、城の中心に入ると、御庭(ウナー)と呼ばれる広場があり、そこを囲むように、正殿や北殿、南殿などの主要施設が建っています。
   
 御庭(ウナー)は、琉球王国時代に、中国皇帝が派遣した使節団を迎えて、外交上の重要な儀式が行われた場所でした。また、特設の舞台が用意され、琉球最高の音楽や舞踊、演劇が披露される劇場でもありました。
 御庭(ウナー)の正面に建つのが正殿です。琉球最大の木造建築であり、その外部、内部ともに華麗に装飾されていました。特に注目されるのは、琉球漆器を作る職人たちが、建物の塗装や彩色を担当していたことです。そのために、「正殿は、巨大な琉球漆器だ」と形容されることがあります。まさに、琉球王国の技術や美意識を結集して、王国の顔ともいうべき正殿は造られていたのです。

 「平成の復元」は、華麗で鮮やかな正殿を甦らせる事業でした。今回の復元、「令和の復元」は、この蓄積の上に立って、2度と火災の犠牲にならないように、防災対策、防火対策に万全を期して再建されることになっています。

 最後に、首里城とはどのような存在なのでしょうか。
去年の10月に起きた火災後、沖縄県民のみではなく、日本本土の人々や海外の人々に至るまで、「1日も早く、首里城を再建して欲しい」という声が寄せられています。また、各地で、再建に向けた支援金を集める活動も熱心に行われました。 沖縄県民にとっては、琉球王国という独自の歴史や文化を象徴する遺産であり、自らのアイデンティティにつながるシンボルだ、と言う人の数が圧倒的です。中には、「私たちの誇りだ」と力強く言う声も聞かれます。
 しかし、首里城という存在は、沖縄県民だけのものではありません。そのことは、1日も早い再建を願う本土や海外の人々の声によく表れています。沖縄の、琉球の歴史や文化、美意識を集約したその姿を、沖縄以外の地域で暮らす方々も、沖縄県民同様に愛しているのです。去年の火災は痛ましい出来事でしたが、首里城を失って初めて、その存在価値が浮き彫りになった、ということができます。
 「平成の復元」、そして「令和の復元」を通じて、首里城は、国民的な歴史、文化遺産であることをアピールし続ける、と思います。

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