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「子ども・子育て支援に必要な視点とは」(視点・論点)

京都大学 教授 明和 政子 

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少子化先進国である日本社会が、持続的に社会を維持・発展していく上で重要な課題のひとつは、「子ども・子育て・支援」です。
核・家族化により、孤立育児に悩み、ストレスにさいなまれる親の数は増え続けています。出生数は減り続けている一方で虐待など不適切な環境で育つ子ども、そして、対人関係に問題を抱える子どもの数も、増加し続けています。
問題は 山積みです。

私は、発達科学を専門とする、科学者です。この立場から、何かしらの貢献を果たしたいと思ってきました。

子ども・子育て支援は、「大切」である。この事に 反対される方はいないでしょう。
しかし、科学者としての私には、このことばがもつ「重み」を、社会全体が、真正面から まだ 受けとめていないように思えます。
子ども・子育て 支援 は「大切」なのではなく、「不可欠なもの」です。
「なぜ不可欠か」、その理由について、お話しします。

*    *    *

ヒトという「存在」を「科学的に理解する」ということは、生物としてのヒト、「ホモ・サピエンス」が本来持っている 性質を理解することです。

この知見に基づくと、子どもの育ちや子育てを、これまでとは異なる「発想や角度」からとらえなおすことができます。
とくに、現在の子育ての状況においては「次の3点」を理解することが重要です。

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ひとつめは、ヒトの脳が発達する過程において、環境の影響をとくに受けやすい、ある特別の時期、「感受性期」があること、
ふたつめは、「早期の」感受性期に受けた環境の影響は、「その後の」発達に「直接」影響すること、
そして、みっつめは、生物としてのヒトにとって、母親がひとりで担う子育ては、「非常に不自然なもの」であること、です。

順をおって説明します。
まず、ひとつめ、脳発達の「感受性期」について、です。
なかでも重要な時期は「乳幼児期」です。

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この時期、大脳皮質の「視覚野」や「聴覚野」が環境の影響を大きく受けて変化します。そして、就学を迎えるころまでに成熟します。
大きくなってから「第二外国語」を身につけるのが難しくなるのは「聴覚野」の発達の「感受性期」を超えてしまったからです。

これについて、今、たいへん気になっていることがあります。

子どもたちが育つ環境が、「コロナ禍」で 大きく変化していることです。
そのひとつは、マスクの着用を基本とした「新しい生活様式」です。
視覚野の「感受性期」の まっただ中にある乳児は、相手の「動く」表情を豊かに目にしながら脳を発達させていきます。
それは、「感情を理解する心」「共感する心」の発達へとつながっていきます。

しかし、マスクの着用が日常となった今、相手の表情は「隠され」、子どもたちは、表情を経験する機会を失っています。
子どもたちの脳と心の発達に影響する可能性は否定できないのです。

フランス政府は、子どもたちが育つ環境に配慮しながら「感染対策との両立」を図っています。9月には、表情が見える透明素材でできたマスクを保育・教育現場に「一斉配布」したのです。

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日本の保育現場でも、透明のフェイスガードなどを「自発的に」使用するところが出てきましたが、残念ながら、今の日本政府は乳幼児期の脳と心の発達への「リスク」を考慮しないまま、大人の目線のみで「施策を講じている」と言わざるをえません。

マスクのことに限りませんが、日本でも、科学的エビデンスに基づいて子どもの育ちを理解したうえで、感染対策をおし進める必要があります。

2点目です。
この時期にどのような環境で育つかが思春期をはじめ、「その後の」脳と心の発達に「直接的に」影響します。

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ご覧のように、精神疾患の多くは、「思春期に集中して発症する」ことがわかっています。
脳の感受性期の「環境を整える」ことは、精神疾患の「予防や未病に」つながります。
「疾患」とまでいかなくとも、「家族や他人とうまくつながれない」「いつも不安・孤独だ」
こうした「生きづらさ」を抱えている人が、現代社会で増え続けている背景には、「乳幼児期の経験」が深く関わっています。
そして、それは、次の世代の子育てにも影響します。

こうしたことから、子どもたちが生きる環境を「社会全体で」保障していく支援は、「大切」というレベルを超えて、「不可欠」といえるのです。

最後、3つめです。
ヒトは、「共同養育」という子育てによって進化してきた「生物」である、という点です。

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ヒトは、ほかの動物に比べて、子どもが「心身ともに」自立するまでに膨大な「手間と時間」がかかります。にもかかわらず、母親は、子どもが自立する前に、次の子を産む体の準備が整います。ヒトにもっとも近縁なチンパンジーでは、上の子どもをゆっくりと育てあげてから、次の子どもを産みます。ですので、出産間隔は6、7年です。
つまり、ヒトの子育ての負担は、ほかの生物に比べて、圧倒的に大きい、にもかかわらず、
母親は、「短期間で、子どもを産める」という「矛盾」があるのです。

こうしたことから、ヒトは、母親だけが 子育てを担うのではなく、血縁をはじめとする「集団で・共同養育」することで「多くの子孫を残す」という「生存戦略」で、進化してきたと考えられます。

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そもそも、ヒトの脳が完成するまでに「25年以上かかる」ことがわかっています。
図をご覧ください。
青から紫色になるほど、その脳の場所が 成熟していることを表しています。
はたちを迎えても、ヒトの脳は「まだ発達途上」なのです。

成熟した親となるために必要な脳と心は、子どもと同じように、社会の中で「ゆっくりと 育まれるべきもの」 なのです。

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ところで、今、「情報・科学・技術」を活用した子ども・子育て支援が、国や産業界で進められています。
こうした流れは、新型コロナの「拡大・長期化」 により、いっそう後押しされているようです。
しかし、ここで「立ちどまって考えたい」ことがあります。
それは、こうした支援は、子どもの発達や子育てを「省力化・利便化」する方向に向けられていることです。

もちろん、これも、ある側面においては有効です。
しかし、ヒトの「生存や、育ち」にとって「適応的であるかどうか」とはまた別の話です。

核家族で初めての子育てにとまどう親、ストレスを抱え込む親の負担を、「軽減すること」を、支援の「ゴール」にすえるべきではありません。

それを超えて、子育てに 「喜びを感じ」、「自分の人生を 肯定できる・自信がもてる」、そうした 子育て支援を 実現する「仕組みづくり」が必要です。

それがなければ、子育ての負担をいくら「省力化・利便化」しても、次の子を「産みたい・育てたい」という動機は起こらないはずです。

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子ども・子育て支援には、ヒトという生物の本性をふまえたエビデンスにもとづく「議論が」、必要です。
「ひとりひとりの」子どもたちが、そして、「育てる側」が「ともに・ゆっくりと」脳と心を成長することが保障される「社会の仕組みが」必要です。
これは、日本の少子化対策を推し進める「原動力」ともなるはずです。

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