「UAE・イスラエル 国交正常化の背景」(視点・論点)
2020年08月31日 (月)
日本エネルギー経済研究所 主任研究員 堀拔 功二
中東の産油国UAE(アラブ首長国連邦)は、イスラエルと国交を正常化することに合意しました。この合意は、アメリカのトランプ大統領の仲介により、UAEのムハンマド・アブダビ皇太子とイスラエルのネタニヤフ首相の協議によって決まり、8月13日に発表されたものです。長年にわたり、UAEとイスラエルは国交を結んでいませんでした。本日は、今回の歴史的な合意がなぜ行われたのか、主にUAEの立場から考えていきます。
はじめに、UAEとイスラエルの関係について見ていきましょう。UAEは独立して以来、今日までイスラエルと国交を樹立してきませんでした。なぜなら、UAEは他のアラブ諸国と同様に、イスラエル建国によってアラブの土地から追い出されたパレスチナ人の立場を支持してきたからです。また、イスラム教の聖地エルサレムがイスラエルに併合されていることも受け入れ難いものでした。1973年にイスラエルとアラブ諸国の間で第四次中東戦争が起こった際には、UAEはアラブ産油国に対してアメリカおよびイスラエル支持国への全面的な石油輸出の禁止を呼びかるなど、強硬な姿勢を取ったほどです。
しかしながら1990年代以降、両国は主に安全保障や治安分野に関して水面下で接触を重ねるようになってきました。イスラエルは当時からアメリカに対して、自国の安全保障への影響が出るため、UAEを含む湾岸諸国に最新鋭の武器を売却しないよう求めてきました。そこでUAEは様々なチャンネルを通じて、イスラエル側に反対しないよう働きかけたのです。
2000年代以降は、中東各地で過激派によるテロが発生するなかで、UAEはイスラエルのテロ対策などの治安能力を高く評価するようになりました。さらに、両国はともにイランを安全保障上の脅威と見なしていることもあり、次第に対イラン戦略で足並みを揃えるようになってきたのです。
UAEが国交を結んでいないイスラエルと公然と会談することは、憚られていました。しかしながら、近年、UAEとイスラエルの間では国交正常化に向けた「地ならし」が着々と進められています。UAEは2009年に国際再生可能エネルギー機関の本部を誘致したのですが、国際機関であるため、国交のないイスラエルの代表事務局も受け入れなければなりませんでした。その後も両国の間では交流が進み、2018年にはイスラエルの文化・スポーツ大臣がUAEを訪問し、翌2019年にはイスラエルがドバイ万博に参加することが決まりました。
そして、2019年2月に開催されたワルシャワ中東安全保障会議では、UAEをはじめとする湾岸諸国の外務大臣とイスラエルのネタニヤフ首相が出席し、対イラン戦略について実質的な協議が行われたのです。今年に入り、イスラエルがヨルダン川西岸にある入植地の併合を強硬に進めようとした際、オタイバ駐米UAE大使がこれに反対する論説をイスラエル現地紙に寄稿しました。ただしその内容は、併合政策を真正面から批判する一方で、UAEとイスラエルは安全保障や経済、金融など様々な分野で協力することができると訴えるものでした。これまでの歴史的な経緯を考えると、極めて異例で、かつ驚くほどに未来志向な内容だったのです。
こうした流れの中で成立した今回の合意では、国交正常化の合意に加えて、主に二つのことが決められました。第一に、両国は今後の協議により安全保障分野に限らず、経済、エネルギー、文化など幅広い分野での二国間協定を締結することです。産油国として知られるUAEは、石油に依存しない国づくりを目指しています。UAEにとってイスラエルで続々と生まれる先端技術やハイテク産業、新しいビジネスアイデアは、今後の経済成長を刺激してくれるものであると考えています。またイスラエルにとっても、中東のビジネスや金融の中心地であるUAEと経済関係を結ぶことにはメリットがあります。
第二に、イスラエルがヨルダン川西岸の入植地併合を停止することです。今回の合意に沿ってイスラエルが併合政策を停止すれば、UAEにとっては大きな外交的な成果になります。ただし、「停止」の文言をめぐり、UAEとイスラエルの立場に早速食い違いが見られています。イスラエルのネタニヤフ首相は合意締結直後に、併合の停止は一時的なものであるとの考えを示しましたが、UAEは入植地併合に致命傷を与えたと見なしています。
国交正常化は、両国間の安全保障や経済関係を強化すること以外にも、様々な実利があります。UAEは近年、「寛容性」をキーワードにして、対外的なイメージ向上を進めています。アラブ諸国とイスラエルの間には、「アラブ対イスラエル」や「イスラム教対ユダヤ教」のような否定的なイメージが付きまといます。UAEは国交正常化により、この問題を克服できた国として、自国のイメージを向上させようとしているのです。また、11月に大統領選挙を控えるトランプ大統領に対しては、これを後押しするという意味合いもあるでしょう。
それでは、中東諸国は今回の合意について、UAEをどのように評価しているのでしょうか。すでにエジプト、バーレーン、オマーンは公式にUAEの決定を支持しています。一方でパレスチナ暫定自治政府、イラン、トルコはUAEの決定を批判しています。パレスチナ暫定自治政府は合意への反対を示すために、ドバイ万博への参加を見送りました。他方で、UAEの同盟国であるサウジアラビアをはじめ、多くの中東諸国はUAEの行動に対して明確な賛否を避けています。しかしながら、中東諸国の一般市民のあいだでは、UAEやムハンマド皇太子を「裏切り者」と非難する意見がSNSへ投稿されています。このように、イスラエルと国交を正常化させることは、中東諸国にとっては依然としてセンシティブな問題だと言えます。ただし、UAEとしては、このような反発が起こるのは想定の範囲内であり、織り込み済みだったと言えるでしょう。それよりも、国交正常化を進めることによる利益の方がはるかに上回っていると判断したのです。
今回の合意が発表された直後から、UAEとイスラエルの間では次々に新しい動きがありました。例えば8月16日には両国間で電話が開通し、外相電話会談が行われています。また18日にはイスラエルの諜報機関トップがUAEを訪れ、同国の治安部門トップと会談しています。このほか、両国の民間企業が新型コロナウィルスの研究協力について合意を結んでおり、今後も様々な分野で両国間関係が進展するものと考えられます。
最後に、両国の国交正常化合意が今後の湾岸地域の安定性に与える影響について考えていきます。UAEとイスラエルはもともとイランを共通の敵と見なし、アメリカとともにイランの封じ込めを目指してきました。ところが、UAEは2019年にホルムズ海峡周辺で発生したタンカー攻撃事件以降、イランの軍事能力を再評価し、それまでの対立姿勢を徐々に融和的なものに変えています。UAEはイランとの緊張を高めて不測の事態を招くよりも、外交的対話を通じて緊張を緩和させようとする方向に戦略を修正しているのです。したがって、今後アメリカとイスラエルがイランへの圧力を強化しようとした際、UAEがどのような立場をとるのか注目が集まります。UAEの方針次第では、湾岸地域の緊張が再び高まる恐れが出てくるでしょう。この他、イスラエルはアメリカが最新鋭のF-35戦闘機をUAEへ売却することに反対しており、両国間で早くも不一致が生じています。両国の間には、完全な国交正常化にむけて乗り越えるべき課題が多数あることを物語っています。