「戦後75年 核軍縮と安全保障の展望」(視点・論点)
2020年08月05日 (水)
国連事務次長 中満 泉
今年は広島・長崎被爆、第二次世界大戦終戦、そして国際連合設立の75周年という重要な節目の年です。私が勤務している国連は、第二次世界大戦はもちろんのこと、広島・長崎の被爆とも深いつながりがあります。国連憲章には核兵器への言及はありませんが、最初の国連総会において、原子爆弾の問題が取り上げられ、総会は決議第一号で、原子爆弾やその他の大量破壊兵器の廃絶を目標のひとつとしました。
「軍縮」と聞くと、現実の安全保障問題を無視した理想論といったイメージを持たれる方が多いかもしれません。しかし、「軍縮」とは、非人道的な兵器の禁止、廃絶、制限を含め、軍備制限や管理を通じて、国際関係の安定化をはかり、国家間の信頼関係の向上に寄与することで安全保障を強化する手段なのです。
今日、新たな冷戦とも言われるほどに国際安全保障環境は悪化しており、国際的な規範や枠組みが軽視される傾向があります。加えて、新型コロナウイルスの世界的流行は国際社会の脆弱さを露呈しました。そこで今日は「核軍縮と安全保障の展望」という観点からお話ししたいと思います。
まず、戦後最大の危機ともいわれる新型コロナウイルスの流行は、どのように軍縮問題に影響を与えているのでしょうか。感染拡大を防ぐため、従来は対面形式で行われてきた会議が、オンライン形式で行われるようになりました。
私もシリアにおける化学兵器に関する報告を国連安全保障理事会にオンラインで行っています。軍縮条約の多国間交渉を行う唯一の機関である、ジュネーブの軍縮会議もオンライン形式を取り入れました。
しかし、外交の場では対面交渉することが大切であり、オンラインのみでの会議に反対する国もあります。
その結果、核兵器不拡散条約の締約国は、今年の春に予定されていた、5年に一度の運用検討会議を来年以降に延期することに合意しました。
この機会に、運用検討会議が必ず成功するよう、同会議の次期議長を中心に、積極的に協議を重ね、共通点を見出し、準備を進めるべきです。私もスタッフとともに、締約国の準備を支援しています。
世界各地で猛威を振るっているこの感染症の流行は、世界的な危機に対処するには、世界的な団結と協力が必要であることと、人間を安全保障の中心に置くことの必要性を明らかにしました。これは、軍縮問題にも適用できる教訓です。
次に、終戦75周年において、軍縮と国際協力にはどのような意義があるでしょうか。
国際連合は75年前に設立されましたが、それを支えた基本理念の一つは、世界的な問題を解決するには、国際的な協力が必要であるというものです。
そして、初めて開かれた国連総会において、各国の代表団は核兵器の脅威を認識し、その結果、原子爆弾及び大量破壊兵器撤廃に関する決議第1号を採択しました。
それ以来、核兵器の全面的廃絶は、常に軍縮における国連の最優先事項となっています。
残念ながら、核軍縮は、過去の重要な進歩にかかわらず、現在は停滞しています。
それどころか、国家間の対立、不信感、対話の欠如により、国際社会は無制限な戦略的核競争の再発の脅威にさらされています。
世界には、およそ13,400発の核兵器が今なお存在します。核保有国は膨大な費用をかけて、核兵器の近代化計画を進め、新兵器の開発を行っています。端的に言えば、核兵器が使用される可能性が、冷戦期のように高まりつつあります。
以上の理由から、グテーレス国連事務総長は、核兵器廃絶につながる共通のビジョンと道筋に立ち戻るよう、加盟国に繰り返し呼びかけています。
2017年に国連総会で採択された核兵器禁止条約が生んだ核軍縮の機運をもとに、核兵器不拡散条約を基礎とした核軍縮・不拡散体制の強化を推進する必要があります。
同時に対話と交渉の再開によって国際安全保障環境の改善に努め、核兵器の廃絶に向けた取り組みの活性化をはかる地道な努力を続けることが、核兵器廃絶に向けた共通のビジョンと道筋の再構築への扉を開くでしょう。
核兵器が世界の安全保障に貢献するのではなく、人類を存亡の危機に直面させているという教訓は、75年という長い歳月が経った今も、未だ学ばれていないように見えます。
終戦と被爆から75年経った今、私たちは戦争の惨害から将来の世代を救うために協力し、努力を続けねばなりません。
最後に、軍縮の将来の展望についてお話しします。国際安全保障環境の厳しい現状を考慮すると、私は、今こそ軍縮の努力を倍増する必要があると考えます。
そして、新たな視点でいろいろな課題に取り組むための枠組みを作り、軍縮・不拡散体制を発展させるよい機会だと捉えています。
コロナウイルス対策で多額の財政資源が必要な状況下で、軍備増強ではなく、交渉と対話による安全保障の重要性が再認識されることを期待しています。
多極化と複雑化の進む21世紀の世界は、地域的な対立の構図の中でも核の危険が存在しています。
これらの新たな安全保障問題を把握したうえで、紛争解決の一環として、軍縮の重要性を位置づける必要があります。そして、既存の国際法や規範、その他の取り組みを強化すると同時に、新たな規範や、従来とは異なる創造的なアプローチを模索しなければなりません。
だからこそ、グテーレス国連事務総長は2018年に発表した軍縮アジェンダの中で、新たな軍縮のビジョンの必要性を訴えています。
同時に、新しい核軍縮の取り組みは、今までの努力を基盤としなければなりません。
戦略核兵器削減のために、アメリカとロシアが合意した新START条約は、来年2月に失効します。この条約は相手国を直接攻撃できる戦略核兵器を制限している唯一の条約であり、それが失効すれば、両国が戦略核兵器を無制限に開発・配備できることになります。
事務総長は、核兵器増強競争の再発を防ぐためにも、この条約に認められている5年間の延長に合意し、その間に他の核保有国も含めたより包括的な戦略核兵器を制限する条約の交渉を模索するよう両国に促しています。
新たな軍縮の取り組みのために、まずは双方が誠実に実質的な対話を再開することが大切です。最近両国の間で行われた戦略的安定に関する協議は、歓迎すべき第一歩です。
しかし、核軍縮を進めるためには、米ロ二大国の果たすべき責任に加えて、その他の核兵器保有国、そして、核戦争の影響を受けるすべての国がそれぞれの役割を果たすべきです。
そして、サイバーセキュリティや人工知能など、新しい技術が核の脅威に及ぼす影響にも真剣に取り組むべき時が来ています。
国連は、加盟国のみならず、民間企業、専門家など、市民社会の多様な利害関係者を結集し、議論の場を作る特有の役割を果たしています。すべての関係者が、新しい軍縮のアプローチを生み出す対話に参加できる場を、国連は今後も提供してまいります。
私たちは、より安全な世界、核なき世界の実現のためにすべての方々と努力を続けていきます。