「豪雨災害から身を守るために」(視点・論点)
2020年07月29日 (水)
京都大学防災研究所 教授 矢守 克也
ここ数年、毎年のようにではなく、文字通り毎年、大規模な豪雨災害が続いています。一昨年の西日本豪雨災害、昨年の東日本台風災害に続き、今年も7月初旬、九州を襲った豪雨により、熊本県を中心に大きな被害がでてしまいした。
豪雨災害から身を守るための鍵は、もちろん、「避難」です。「避難」にはいくつかのポイントがありますが、煎じ詰めれば、次の2つのことが大切です。
第1に、「いつ」逃げるのかというタイミングの問題、第2に、「どこに」逃げるのかという避難場所の問題。この2つです。
たとえば、今年の豪雨災害では、深夜から早朝にかけて、暗い時間帯に事態が急変したことが「いつ」に関する判断を難しくしました。また、遠くまで移動すること自体に難しさがある高齢者の方が入所していた施設を中心に、「どこに」に関する問題も生じました。
「いつ」について考えるためのキーワードとして、私は「避難スイッチ」を提唱してきました。
「避難スイッチ」とは、「避難を実際に行動に移すためのきっかけになること」を指します。「避難スイッチ」の材料は3つあります。一つめは「情報」で、避難指示や勧告、大雨に関する警報、特別警報など気象に関する情報のことです。二つめは「身近な異変」で、ふだん見えている岩が川の水の下になって見えなくなるとか、いつも最初に水がつくコンビニの駐車場が浸水してきた、などです。三つめは「人からの呼びかけ」で、隣の家の人が「もう逃げよう」と誘ってくれた、友人がSNSで「××町アブナイらしいよ」と伝えてきた、などです。
ここで、大切なことは、「避難スイッチ」を予め決めておくことです。避難するためには一定のエネルギーが必要です。だれでも「できれば避難せずに済ませたい」と考えたくなるものです。ですから、この情報を入手したら絶対避難する、あるいは、こういう様子を見たらみんなで避難準備を必ず始めるなどと、「避難スイッチ」を、事前に、かつ具体的に決めておくことが大事です。また、一人では決意が揺らぐこともあるので、ご家族、自主防災組織など、複数の人で「避難スイッチ」を共有して、「みんなで避難スイッチをオンにして、みんなで逃げる」というかたちにしておくとよいでしょう。
たとえば、兵庫県宝塚市川面地区では、地域を流れる河川やため池に、「避難スイッチ」に使うための水位表示板を自分たちで設置して、自主防災会の対応訓練も行っています。
今月初旬の豪雨災害の被災地でも、「避難スイッチ」を有効に活用して被害軽減につなげた事例がありました。熊本県相良村、球磨川に面する西村地区での事例です。地区内の水路の水を球磨川に排水するための樋門(ひもん)の管理を長年担当してきた男性が、これまでの増水とはちがう異常な水位に気がつきました。男性は、この情報をもとに集落の住宅を一軒一軒まわって避難を呼びかけ、約50名の住民全員の命が救われました。身近な異変を示す情報と呼びかけを組み合わせた理想的な「避難スイッチ」による避難だったと言えます。
次に、避難の第2のポイント、「どこへ」について考えましょう。「どこへ」を考えるためのキーワードは、「スーパーベスト」と「セカンドベスト」です。
ふつう避難場所として設定されているのは、市町村などが指定した学校、公民館などの避難場所です。これらは、教科書通りの「ベスト」な避難場所です。しかし、そうした「ベスト」な場所だけではなく、他にもっとよい避難場所、言わば、「スーパーベスト」な避難場所はないのかと探してみることも大事です。特に今年は、新型コロナ感染症の心配もあり、分散避難が呼びかけられていますので、いっそう重要性が高まっています。たとえば、台風が接近しているとき、その前日には、低い土地に暮らしている高齢の両親を自宅マンションに呼び寄せることにしている友人がいます。そのご両親にとっては、子どもの家が「スーパーベスト」な避難場所です。
また、今回の豪雨災害でそうであったように、気がついた時には「ベスト」の避難場所にはとてもたどりつけそうにない状況に周囲がなっていることも十分ありえます。そんなとき、次善の策として、自宅よりも頑丈で高い場所にある隣の家に身を寄せたり、同じ建物の2階や3階に避難したりするのが有効です。こういった避難場所のことを「セカンドベスト」と言います。「ベスト」ではないけれど、土壇場の事態で何とか身を守れそうな次によい場所という意味です。
こうした考えのもと、私たちは、「セカンドベスト」の場所に逃げる訓練も提唱しています。
「ベスト」な避難場所に行くタイミングを逃してしまった場合に備えた、高齢者などを対象とする「2階まで避難訓練」です。この避難訓練は、その場所の最大予想浸水深が2階までは到達しないことを確認した上で、最悪の場合、2階へ逃げる練習をしておきましょうという趣旨で実施しています。実際、2018年の西日本豪雨で、岡山県倉敷市真備地区では、2階建て住宅の1階部分で犠牲になった方もいらっしゃいます。「ベスト」な避難場所に行けなくても、「セカンドベスト」としての2階へ避難していれば、あるいは避難するお手伝いができていれば・・と悔やまれるケースも見られました。
さらに、こうした訓練は、標準的な避難訓練には参加するのが難しい方にも比較的容易に実施してもらえるという利点もあります。「2階まで避難訓練」に参加した翌年に、「自信もついたので、今年はここまで来てみました」と、本来の避難訓練。つまり、「ベスト」な避難場所まで逃げてくる訓練に参加するようになってくれた方もいらっしゃいました。
最後に、避難にはつきものの、いわゆる「空振り」について述べておきましょう。避難したけれど、結果的には大きな災害は起きず、避難しなくてもよかったのではないか。このように思うことはたしかにあります。こうしたことを私たちはふつう「空振り」と言います。
しかし、私は、「空振り」ではなく、むしろ「素振り」、つまり、よい練習の機会だったととらえるべきだと思っています。
実際、2018年の西日本豪雨で、京都府綾部市でこんなことがおきました。崖近くの住宅で暮らす高齢のお母さんを、大雨情報がでたときなど、用心のために毎回、親戚宅に事前に避難させていた女性がいます。20回以上続けて「空振り」だったそうです。つまり、何も起こらなかったわけです。しかし、ついに、2018年、その崖が崩れました。そして、そのときもしっかり避難されていたそうです。
このケースについて、20回までを「空振り」、言いかえれば、無駄足だったと言うべきでしょうか。そうではありません。いつ来るかわからないけれど、いつかやってくる肝心のその時のために、何度でも「素振り」という名の避難の練習を繰り返しておくことが大切だ。
このエピソードは、そう教えてくれています。