「データ分析でわかった少子化対策の効果」(視点・論点)
2020年05月27日 (水)
東京大学 教授 山口 慎太郎
先日5月6日に、新しい少子化対策大綱の原案が取りまとめられました。この大綱では「希望出生率1.8」の実現に向けて、様々な政府の取り組みが盛り込まれています。きょうは、こうした取り組みの中から男性の育休取得促進、待機児童の解消を取り上げます。この2つの取り組みは、特に女性の子育て負担の軽減につながり、最終的には出生率を高める上で有効な施策ではないかと考えられます。経済学におけるデータ分析、実証研究の観点から、政策の意義や有効性について解説します。また、新型コロナウイルスの感染拡大で社会・経済は大きな変化を経験していますが、これによって家族のあり方はどう変わるのかといった点についてもお話します。
新しい少子化対策大綱の原案には、男性の育休取得率30%を目指すことが盛り込まれています。これまでの経済学研究が明らかにしてきたところによると、たとえ数週間程度のものであっても、男性の育休取得は家族にとっていくつかの好ましい変化をもたらします。
カナダのケベック州の事例を分析した研究によると、男性の平均育休取得期間が3週間ほど伸びると、こどもが3歳時点での一日あたり家事時間が、70分から85分に伸びました。同様に、一日あたり育児時間も89分から110分に伸びています。こどもが生まれて最初の1ヶ月あるいは2ヶ月という期間に育休をとったことが、3年後の育児と家事時間を大きく伸ばしているのです。1ヶ月程度の育休で何が変わるのかという悲観的な見方もありますが、男性の1ヶ月の育休は、その後のライフスタイルを大きく変える1ヶ月なのです。
男性の家事・育児参加が進むことは、出生率にも好ましい影響があると考えられています。国際比較データによると、男性の家事・育児参加が進んでいる国ほど出生率が高い傾向があります。女性だけに子育て負担が集中してしまうと、女性が子どもを持つことに対して前向きになれず、夫婦としても子どもを持たなくなるためだと考えられています。したがって、男性の育休取得促進は、少子化対策として意義のある取り組みだといえるでしょう。
では、どうすれば男性の育休取得率を上げることができるのでしょうか。厚生労働省の「雇用均等基本調査」によると、2018年の男性育休取得率は6.2%ですから、次の5年間で大幅な引き上げを目指すことになります。日本の男性が育休を取らない、あるいは取れないとする理由でよくあがるのは「職場の上司や同僚の目が気になる」というものです。これは裏を返せば、職場の上司や同僚が賛成してくれれば育休を取りたいと考えている男性が少なくないことを示しています。
ノルウェーの経済学者たちの研究によると、男性が育休を取るかどうかは、自分にとって身近な人が育休をとったかどうかに大きな影響を受けることがわかっています。
自分の兄弟が育休をとった場合、男性の育休取得率が15ポイント上がります。同様に、同僚が育休をとった場合には9ポイント、さらに上司が育休をとった場合には23ポイントも育休取得率が上がります。このように、ある男性の育休取得は、別の男性の育休取得を促します。つまり、育休取得は伝染するといえるでしょう。
最初に勇気を持って育休を取る男性が一定数あらわれれば、彼らの育休取得が別の男性の育休取得につながります。男性の育休取得者が、こうして雪だるま式に増えていくことは、このノルウェーの研究によって明らかにされました。日本でも、男性の育休取得率30%を実現するためには、最初に勇気をもって育休を取る男性を増やす必要があります。
そのためには、育休取得が労働者の正当な権利であることを周知することはもちろん、育休制度のさらなる拡充も必要でしょう。現在は、直近6ヶ月の給料の67%が育児休業給付金として支払われています。この給付金は非課税で、社会保険料の納付も免除されているのですが、給料の算定にはボーナスが含まれないため、実質的な手取りは、やはり下がることが多いようです。そこで、先陣を切って育休を取る男性を経済的に支えるために、たとえば最初の1ヶ月に限って、実質的な手取り額が減らない水準まで育児休業給付金を引き上げることは有効な対策となりえます。
今回の少子化対策大綱の原案にも目標にあげられている、もう一つの重要な取り組みは待機児童の解消です。待機児童の解消は、少子化対策上、最も重要な取り組みだと私は考えていますが、ご存知の通りなかなか進んでいません。
いくつかの経済学の研究では、保育所の整備が出生率引き上げに一定の有効性を持つことが示されています。たとえばドイツでは子ども一人あたりの保育所定員が0.1増えるごとに、出生率が2.8%上がりました。日本でも、待機児童が発生していて、女性の労働力参加率が高いような地域については子ども一人あたりの保育所定員が0.1増えるごとに、出生率が4%増えるという研究結果があります。また、国際比較データによると、保育に対する公的支出が対GDP比で1ポイント増えると、出生率は0.27上昇することが報告されています。保育所の整備は女性の子育て負担を減らすため、児童手当のような現金給付策よりも出生率に及ぼす影響が大きいとする考え方が、経済学研究の中で有力視されるようになってきています。
保育所を整備することは子供の数を増やすだけでなく、幼児教育の充実にも繋がり、子供の発達にも好ましい影響を及ぼすことがこれまでの研究で明らかになっています。私の研究グループでは、保育所の利用が子供の発達に及ぼす影響を調べました。
分析の結果、子どもの言語発達を促すだけでなく、社会経済的に恵まれない家庭の子供達については、攻撃性や多動性を減少させることがわかりました。それと同時に、こうした子供たちの母親についてもしつけの質を改善し、その幸福度についても高めているようです。
待機児童の解消には、さらなる財政支出が必要です。特に、現在の保育の質を保ったまま、その受け皿を大きくするとなると財政的な負担はかなりのものになるでしょう。しかし、幼児教育の長期的な効果を評価したアメリカの研究によると、幼児教育は本人の将来の労働所得を高めるだけでなく、犯罪への関与や社会福祉への依存などを減らす効果があります。これらを合わせた経済効果は大きく、幼児教育は社会にとって、将来への投資であるといえます。
最後に、新型コロナウイルスの感染拡大が家族のあり方をどう変えるのかについても触れておきます。経済活動の抑制に伴い大きな影響を受けていると思われるのは、非正規労働者です。彼らの家計状況が急速に悪化することで、その子供たちには大きな影響が及びます。加えて、多くの地域では学校も閉鎖されたままで、教育の機会を失っています。こうした負の影響は一時的なものにとどまらず、子供の将来を暗いものに変えてしまいかねません。今回の少子化対策大綱原案でも、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた子育て支援策が含まれていますが、低所得世帯にはより手厚い支援が不可欠です。
一方で、経済が回復したのちには家族にとって好ましい変化が訪れる可能性があります。感染を避けるために、多くの企業でリモートワークが進みましたが、この流れは不可逆的なもので、働き方を大きく変えるでしょう。リモートワークが進めば、仕事と子育ての両立はこれまでよりもやりやすくなり、若い家族にとっては追い風となります。同時に、女性が労働市場で活躍する場面も広がっていくでしょう。
きょうは新しい少子化対策大綱の原案から男性の育休取得促進と待機児童解消を取り上げ、これらが女性の子育て負担を軽減することを通じて、最終的に出生率の向上に寄与するという経済学的な議論を紹介しました。
こうした取り組みを着実に実行に移すことが政治に求められています。