「じっと絵をみつめて」(視点・論点)
2020年04月01日 (水)
作家 太田 治子
今世界中が、思わぬ新型コロナウイルスの問題によって、大きく揺れ動いています。美術館もほとんどがお休みになりました。しかし絵との出会いは、美術館だけとは限りません。家にある画集や名画の絵はがきを取り出して、じっと絵を見つめてみることはいかがでしょうか。
今までは気がつかなかった発見があったり、自分でも思いもかけない物語が、絵を通してわき上がって来るかもしれません。
こちらは昭和初期の夭折の画家、古賀春江の「サーカスの景」です。メルヘンそのものの世界なのですが、よく見ると象の背中に乗った虎は、なんだかとてもおびえているようにみえます。まるで恐妻家のお父さんのように思われてきたのです。彼と向かい合っているお母さん虎は、お父さん虎をしっかりと見つめている。その間に挟まれた子どもの虎は、いかにも愛らしい。働く母の手ひとつで育った私はこのようなお父さんのいる家庭にあこがれていました。そこで、ひとつの物語が生まれてきました。主人公の善良なる会社員のお父さんは、タイに出張した折、部下の若いタイ女性とエレファント・トレッキングにでかけた。それを秘密にしておこうとしていたところ、妻は幼い娘に、このサーカスの絵をパパに見せるようにいう。妻はすべてをわかっていたというお話です。古賀春江はこの絵を描いた時、身も心も傷ついていた。この絵が絶筆となったことは後で知りました。それでも、最初に感じた絵の明るさはそのままです。
絵には、こう見なくてはいけないという決まりがないのです。個人個人が自由に、それぞれの感じ方で絵を見ていいところに絵画のすばらしさがあります。絵は、こちらがどのように勝手な絵の見方をしても、何もいいません。黙って許してくれるのです。何という寛大な相手でしょう。絵画から、私は大いなる愛を感じます。じっと絵をみつめていると、心がどんどんと解き放たれて自由になっていきます。思えば絵画は、私の永遠の恋人のようです。
好きな人との長い付き合いの中にも思わぬ発見があるように、どんなに好きな絵でもこちらの心の変化によって違ってみえてくることがあります。絵は、「心の鏡」だと思います。
さびしい時に好きな絵をみつめていると、絵はどこまでも優しく微笑みかけてくれます。一方こちらの心が荒ぶっている時に同じ絵をみつめていると、絵も一緒に怒っているような気がしてくるのです。
私と絵との出会いは、赤ん坊の頃から始まっていたように思います。
生後一歳の頃、母に抱かれて写った写真の傍らには、イタリアのヴェネツィア派の画家の描いた「聖母子」のポスターが掛けられていました。
大正生まれの母が女学校時代から大切にしていた全七巻の泰西名画集が、小学生になり「かぎっ子」となった私の何よりの心の友となりました。ゴッホやセザンヌ、マネといった有名な画家やクリムトやムンクなどの世紀末の画家の絵をみながら、倉庫会社の食堂で働く母の帰りを待っていました。絵を見ながら空想をふくらませていると、一人でいるさびしさはふきとんでいきました。私は、クリムトの絵が好きでした。山賊のように髪をふくらませた女の人が、歯をみせて笑っていました。その表情は、大人になってからエクスタシーを表したものとわかったのですが、子どもの私にはただただ面白く興味深く思われました。「奥さまは、この時ばかりは」と文章を書き出したのです。
山口蓬春(※)の描いた紫陽花の花も、とてもミステリアスだと思います。
たっぷりとした備前の壺に活けられた大輪の水色の花は、いかにも重く沈んでみえます。紫陽花が複雑な女心を感じさせる花でもあることに、ようやく気付いたのです。見合いをしたばかりの相手との恋愛の成就を願う心のどこかに、この恋の終わりも予感しているという冷めた女心のストーリーが浮かんできました。
こんなにも私に絵が身近になったのは、先程もお話ししましたように、母のおかげです。あんなにも大切にしていた古い泰西名画集は、度重なる引越しの折になくなってしまいましたが、母の絵をみる心は空の上にいって久しい今も、ずっと心の中に生きています。一緒に、絵をみているような気がします。
モネのロンドンの国会議事堂とテムズ河を描いた絵も、母と繰り返し画集でみていた絵の一枚です。モネの絵の中でぼんやりとバラ色に霞がかってみえる国会議事堂もテムズ河も、何と美しくロマンチックなことでしょう。私は今から三十数年前、女一人初めてのヨーロッパ美術館めぐりの旅に出かけました。その時、この川べりを泣きながら歩いたことがあります。母が空の上へ行ってまもない頃でした。美術館で、レンブラントの描いた愛人のヘンドリッキエの絵をみました。古いアルバムの中の若き日の母にそっくりでした。あの時、テムズ河の川べりをさまよい歩いた思い出が、ひとつの物語を生むきっかけとなりました。かつて妻子ある男性と泣きながら歩いた河沿いの道を、今度は新婚旅行で夫と歩くというストーリーです。彼は、そのことを何も知らない。
一枚の絵を前にして、次々と空想が拡がっていくのは、とても楽しいことです。自由な空想をはばたかせた後で、絵の背景などを調べてみたらよろしいでしょう。すると、自分勝手な空想が、思いがけず絵の真実にもつながっていることがわかったりします。一方、想像と絵の背景がまったく違っていたとしても、その絵の印象をより深めていくことになります。知識よりもまず、この絵から自分は何を感じるかを考えていくことが大切だと思います。考える楽しさを、絵は与えてくれます。家族揃ってどこへもでかけられない時、大人も子どももそれぞれが一枚の絵から物語を作ってみたら、どんなに楽しいことでしょう。子どもの思いがけない発想に、思わず唸ってしまうことがあるかもしれません。
絵をみることは、個性をのばすことにもつながっていると思います。
(※蓬春の「蓬」はしんにょうに点二つ)