「大規模抗議デモから半年 香港の行方」(視点・論点)
2019年12月02日 (月)
慶應義塾大学 教授 加茂 具樹
ことし6月から半年近く抗議活動が続いてきた香港で、11月24日に、香港の人たちが直接候補者を選ぶことができる数少ない機会である、区議会議員の選挙が行われました。
そこで今日は、この選挙を手がかりにして現在の香港情勢を理解し、その展望を試みたいと思います。
この選挙は、香港が中国に返還されて以来の選挙のなかで、最も高い投票率を記録しました。投票した香港市民の、6割が民主派に票を投じ、全議席の8割を超える議席を民主派の候補が占めました。
これは、ことしの3月に、香港政府が、容疑者の身柄を中国本土にも引渡し可能にする「逃亡犯条例」の改正案を、議会にあたる立法会に提出して以来の、香港市民による政府の行動に対する明確な反対の意思表明といえます。香港社会は、6月以来の抗議活動をつうじて、条例改正案の撤回だけでなく、警察の暴力を検証する独立調査委員会の設置や普通選挙の実現などの要求も提起していました。
しかし、こうした要求に対する香港政府の反応は鈍く、その結果、香港社会は、一国二制度の行方、すなわち香港と中国との関係の行方に対する不安を強め、抗議活動は激化してゆきました。そうした意味において、先月24日の投票結果は、香港政府だけでなく、中国政府に対して、香港社会が厳しい評価を突きつけた結果ともいえます。
そもそも、任期4年の区議会議員の選挙は、香港の地域社会が直面している日常生活にかかわる問題を如何に処理するのか、をもっぱら争点としてきました。その結果、これまで親政府派が多くの議席を確保してきました。しかし、今回の選挙は「政治化」したともいえます。立法会にて議論するべき課題が、区議会選挙の争点となったわけです。
では、なぜ、香港市民は、長期にわたって抗議活動という行動を選択し続けたのでしょうか。そして、なぜ区議会選挙が「政治化した」のでしょうか。
その答えは、香港社会が抱いている問題意識を、香港政府が的確に汲み取ることができなかったからです。これを別の表現で説明すれば、香港市民は、問題意識を政策決定者に伝える方法、つまり政治参加の行動の選択肢が限られていたからです。
政治学の教科書は、政治参加を「政府の政策決定に影響を与えるために、意図された一般市民の活動」と説明しています。
政治参加の形態は、①「投票」、②「選挙活動」、③抗議活動をふくむ地域活動や「住民運動」への参加、そして④官僚や政治家に接触するといった「個別接触」、があります。
これらの政治参加が、「システム」内の平和的な政治参加の手段だとすれば、「システム」の外にある政治参加の手段が、⑤「暴力」です。ここでいう「暴力」とは、個人やその所有する財産に物理的損害を与えることによって政府の決定に影響を与えようとする行動です。
多くの国家では、物理的な強制力は政府によって独占されています。市民がこの方法をつかって、意思表明をすることは非合法とされます。
「暴力」は、政治参加の権利が広く与えられていない社会の人々や、与えられていたとしても社会の少数派であり、かつ政治的な強い願望を持っている人々が選択する傾向がある、と言われます。そして政府は、これらの政治参加に対して警察や軍隊といった合法的な物理的強制力を投入して対抗するため、流血騒ぎになることが多いのです。
香港社会は、当初は「住民活動」という政治参加を選択し、その後、一部の市民が「暴力」という手段による政治参加を選んだ、といえるでしょう。
香港に住む人々が、「暴力」という手段による政治参加を選択することの是非については、様々な議論がありますが、私たちが理解しておくべき事は、香港市民は、その選択によって支払わなければならないコストの大きさを理解しつつも、「政府の政策決定に影響をあたえる」ために「暴力」という行動を選択せざるを得なかった面がある、という点です。
先に述べたように、香港市民は、地域社会の日常生活にかかわる問題を解決するための場、すなわち区議会の議員を直接選挙によって選出できます。しかし、香港の議会である立法会の議員の全てを直接選挙によって選ぶことができません。そして、香港政府の首長である行政長官を選ぶのは「選挙委員会委員」といわれる人々であり、香港市民は、その選出に事実上関与することはできません。
こうした整理をふまえると、区議会選挙を通じて香港社会が示した意思の重みを理解できるでしょう。この170日あまりの間に、香港社会が共有した、政治参加にかかわる経験と記憶は、今後の香港社会と香港政治の行方に大きな影響を与えるはずです。
さて、3月以来の香港情勢に対して、中央政府はどの様な認識をもっていたのでしょうか。実は、中央政府による政治指導者の発言は決して多くはありません。そして習近平国家主席が、抗議活動に対する見方を、公開の場で直接的に語ったのは、6月に大規模な抗議活動がはじまってから、およそ5ヶ月が経過した11月4日、香港の林鄭月娥行政長官との会談が初めてでした。
この会談において習近平国家主席は、行政長官への支持を表明するとともに、香港の繁栄と安定をともに守るために、「暴力と混乱を阻止し、秩序を回復することが、依然として、香港の当面の最も重要な任務だ」と述べました。
その後、14日に、BRICsサミットに出席するためにブラジルを訪問した習近平国家主席は、あらためて、香港情勢に対する発言をしました。
抗議活動を「過激な暴力による犯罪行為」と呼び、それは「法治と社会秩序を重大に踏みにじり、香港の繁栄と安定を重大に破壊するものであり、「一国二制度」という原則のボトムラインに対する重大な挑戦」と批判したうえで、「暴力と混乱を阻止し、秩序を回復することが、依然として、香港の当面の最も緊急な任務」と述べていました。
こうした発言をつうじて伝わる、「先ず、力を以て社会秩序を回復する」という中央政府の判断には、香港社会の問題意識を汲み取ろうとする意識を見出すことができません。香港市民の行動を国家安全にかかわる問題と捉えています。
また、中央政府の意思を忠実に執行する香港政府は、住居や就職、教育問題の解決に注力をして社会の緊張を和らげようと努めていますが、香港社会が提起している核心的な問題への回答を避けています。
中国国内では、香港における抗議活動の背景には、香港社会に広がる経済格差への不満があると報じられています。そして外国勢力による煽動があったとも報じています。アメリカのトランプ大統領が、先月27日、香港での人権と民主主義の確立を支援する「香港人権・民主主義法案」に署名したと発表し、これにより法律が成立しました。
中国政府は、これを外国勢力による影響の証拠として批判するとともに、区議会選挙において、親政府派が議席を大きく失った理由として、中国国内で報じるでしょう。共産党が誤ったのではなく、香港の民意が外国の影響を受けて「誤った」、と言うのです。こうした報道の姿勢は、中国政府の香港情勢に対する認識を代弁しているだけでなく、政府の統治観を示しているといえます。
近年、グローバル・ガバナンスの改革に積極的に貢献する大国としての意識を強めている中国の行動について、国際社会は強い関心を持っています。過去5ヶ月あまりの間、私たちが目にした香港政府と中国政府の行動が、中国のグローバル・ガバナンス観を示唆しているのだとすれば、深い懸念を、いだかざるを得ません。