「米中対立の行方② 中国側からみた展望」(視点・論点)
2019年09月11日 (水)
日本国際問題研究所 客員研究員 津上 俊哉
昨年3月トランプ大統領が中国に対して、最初の関税引き上げを予告してから、既に一年半が経過しました。この間、両国の交渉は何度も行われましたが、事態は深刻化する一方で、米中両国はいまや相手国からの輸入品に平均20%以上の高関税を課す事態に発展しています。
今から90年前の1930年代、世界中が自国経済を守るために関税を引き上げたり、通貨を切り下げたりする競争に走ったことが第二次世界大戦勃発の遠因となったとされています。いまは主に米中2国間の貿易戦争ですが、両国合わせると世界GDPの40%を占めるだけに、先行きが非常に懸念されています。
まず、この一年半の中国の交渉姿勢を振り返ってみましょう。
中国は当初「米国農産品を大量に買い付ければトランプ大統領は満足するはずだ」と事態を楽観していました。しかし、昨年10月米国のペンス副大統領が厳しい対中批判演説をした頃から想像以上に事態が深刻なことに気付きました。同じ頃、中国経済が急減速したという事情も加わり、この対立を何とか交渉によって解消しようという方針が採られました。昨年11月アルゼンチンで開かれたG20会合のときに決まった「90日間の貿易休戦」の間に、中国はかなり大胆な譲歩を提案していたようです。3月末までは、米国も「近く交渉を妥結できそうだ」と事態を楽観していました。
ところが、5月初めに事態が暗転します。米国によると「既にまとまりかけていた問題でも譲歩を撤回するなど、中国の交渉態度が大きく後退した」というのです。中国で何が起きたのでしょうか。
大量の米国農産品を買わされる、中国に約束を守らせるために米国が監視メカニズムを設けるなど、米国の要求が過大で不平等すぎることに対して、中国共産党内部で保守的な人々を中心に反発が高まったことが一因だと言われますが、原因はもう一つあると思います。
それは、この一年で米国の対中政策が中国を脅威と見る方向に大きく変わり、特に中国製通信機器の輸入・使用の禁止、また米国製部品の輸出制限などを次々と導入する、いわゆる「ハイテク冷戦」の動きを強めたことです。
これを受けて、中国ではナショナリスティックで強硬な主張が勢いを増し、米国の不平等、不合理な要求には断固屈しないといった姿勢が強まりました。
中国の交渉態度が後退した5月から今月までは、双方が制裁措置と対抗措置を打ち合うエスカレーションが続きました。
現時点で米国は、中国からの輸入総額5500億ドルの2/3に当たる合計3600億ドル分に制裁関税を課し、残る1900億ドル分についても12月から関税の対象にするとしています。他方、中国も米国からの1500億ドルの輸入の3/4に当たる1100億ドル分について関税の対象とし、今後米国の制裁に対抗してさらに税率を引き上げるとしています。
交渉も十分行われないまま、米中貿易戦争がここまでエスカレートしたことに、世界は強い不安を感じています。
さる9月5日に「10月にワシントンで閣僚級交渉を行う」ことが両国から発表されて、世界中が少し安心しましたが、前途はなお多難です。
ここで、中国の立場から今後の交渉を展望してみましょう。
中国経済は昨年から成長が減速しています。米中貿易戦争は経済悪化の様々な原因の一つに過ぎませんが、ただでさえ経済運営が難しいときに、貿易戦争が激化すれば「泣きっ面に蜂」になってしまいます。
これまでのところ、米国への輸出は、米中双方の業者が利益を圧縮して取引を継続するといった対応も見られますが、他方で、紛争の長期化を見越して外資企業も中国企業も工場を東南アジアに移転するといった動きが進んでおり、輸出産業の集積地は大きな影響を受けています。
いま人民元安も進行しており、海外では、これを貿易戦争で苦しむ輸出産業対策だと見る向きもあります。しかし、中国国民の間には、経済の先行きを心配して、出来れば今のうちに財産の一部を海外に移転したいというニーズが高まっています。政府が元安を公然と容認する姿勢を採れば、その動きが刺激されて資本流出を防ぐことが難しくなります。軽々に元安政策などは採用できないのが実情だと思います。
これらの経済的な困難に鑑みると、「貿易戦争は交渉で解決したい」という中国政府のホンネは変わらないはずです。実利主義的な考え方だと表現できるでしょう。
一方、中国には「貿易戦争で被る経済的ダメージの痛みを堪える力は、民主主義体制の米国より一党独裁の中国の方が強い」という考え方もあります。いよいよ貿易戦争が深刻化すれば、先にネを上げるのは米国の方だから、不平等・不合理な要求は絶対呑んではならない、というナショナリスティックな考え方です。
「米国に屈するな」という中国のムードが最近の香港問題によって強まっていることにも注意が必要です。と言うのも、中国では政府も一般国民も「香港の抗議運動は、裏で米国CIAが煽動している」と信じて反感を強めているからです。現に米国は国の予算を使って香港民主派団体に支援をしていますから、この中国の疑いを一概に「被害妄想だ」とも言えません。
実利主義とナショナリズム…この相反する思いを掛け合わせれば「米国と交渉を妥結するか否かは、交渉内容が平等で合理的なものであるか否か次第だ」ということになります。
コロコロと立場が変わるトランプ大統領のことですから、中国が受け入れ可能な条件で手を打って、突然貿易戦争を終結する可能性が全く無いとは言えませんが、中国では「コロコロと変わるトランプ大統領は全く信用できない相手だ」と受け取られるようになってしまいました。
それは、例えば6月大阪で開かれたG20首脳会合のおりに米中首脳会談を行いたかったトランプ大統領が「脅しを受けながら交渉はしない」と言う中国に「新たな関税引き上げはしない」と保証して首脳会談を実現したのに、1ヶ月後には「残る輸入品全てにも関税を課す」と言い出したりしたからです。「相手を信じられない」というのでは、交渉の前途はさらに危うくなります。
交渉内容が平等で合理的なものになるかについても不安があります。
中国はトランプ大統領による貿易戦争だけでなく、「ハイテク冷戦」問題も「中国企業差別だ」と問題視しています。ところが、こちらは安全保障を重く見る議会や軍、情報機関などが超党派で進めている動きなので、トランプ大統領の一存では決められないのです。6月の首脳会談で合意したファーウェイ社向け部品輸出の許可を履行できなかったのも、まさに議会や省庁などの抵抗が強かったせいです。米国の対中強硬派の人々は、中国製品を排除する措置を米中の交渉のテーブルに載せること自体を否定しています。
以上のように、米中貿易戦争の先行きは全く視界不透明な状況にあり、12月に至っても合意が成立せずに、米中間の貿易全てが高関税の対象になれば、1930年代の悪夢が思い起こされます。その先行き不透明さが世界中で新規事業や投資を手控える動きに繫がっています。世界的な金融緩和が行われているせいで金融市場は平静を保っていますが、私は世界経済はいま空前のリスクに直面していると思います。