「不登校は不幸じゃない」(視点・論点)
2019年08月26日 (月)
作家・起業家 小幡 和輝
こんにちは。小幡和輝と申します。
僕は不登校でした。約10年間、学校にほとんど行ってない期間があるんですけど、大学にも通い、自分の会社も立ち上げ、いま幸せに生きています。今日は不登校は不幸じゃないという話をしたいと思います。
みなさんが考える不登校と僕の不登校はちょっと違うなと思っていて、僕は不登校になってからの方が友達が多いし、不登校になってからの方が性格も明るくなったと思います。
むしろ学校にこだわっていたときの方が毎日辛かったです。
これは学校が無駄という話じゃなくて、学校でやる勉強や友達を作るみたいなことは学校以外でもできるということなんです。
だから僕は不登校は不幸じゃないという言葉を作って、無理に行かなくても他のところで頑張ったらいいんだよというメッセージを届けています。
毎年、夏休みあけに子どもの自殺が増えると言われています。
死ぬくらいなら行かなくていい。この言葉はメディアでもよく使われるようになってきましたが、僕はもう一歩先の話も必要だと考えています。
確かに命より大切なものはないので、もちろん死ぬくらいなら行かなくていいのですが、じゃあ不登校になったあとどうするの?という現実的な話も考えていかなければなりません。
不登校になると周りからの圧力を感じるようになります。僕もそうでした。
学校に行くのが当たり前、行けない人はおかしい。
まるで不登校を病気かのように扱う感覚をずっと感じてきました。
そのような圧力がずっとあると、どんどん自己肯定感が下がっていって、自分はダメなやつなんだと思ってしまうんです。
だから僕は不登校のイメージを変えたいと思っています。
僕の著書では、学校は行かなくてもいいというメッセージと、正しい不登校のやり方を書いています。
僕だけではなく15人分の不登校体験談を紹介しながら、不登校になったあとの選択肢を伝えています。
僕がみなさんに伝えたいのは居場所の重要性です。
僕は不登校になったあと、ゲームのおかげでたくさんの友達ができました。僕はゲームでしたが、みんな好きなことがあると思います。絵を書くことでもいいし、好きなタレントさんの話でもなんでもいいです。自分の好きなことを通じて友達の輪を広げて欲しい。好きという居場所を作って欲しいと思っています。
また、不登校になったあとの居場所として一般的にはフリースクールというものがあります。
僕も通っていました。フリースクールは日本中にありますが、まだ十分な数があるとは言い切れません。
文部科学省の統計によると、不登校の生徒は14万人以上と言われていますが、うちフリースクールに通っている生徒は約3%です。
地域によってはフリースクールが都道府県内に1つしかないところもあります。もっと増やした方がいいことは間違いないのですが、運営はボランティアで行われていることも多いため、なかなか数を増やすことができないんですね。
そこで始めたのが、不登校は不幸じゃないという活動です。
不登校の経験者や親御さんと一緒に日本中でイベントを開催しています。
もともと不登校の経験をした人と、いま悩んでいる人が繋がれる居場所です。
毎年、47都道府県すべて、合計100箇所でイベントを開催しています。
また、当事者に向けての居場所作りだけではなく、社会の不登校に対する偏見をなくしていく活動でもあります。
TwitterなどのSNSを通じて不登校は不幸じゃないというメッセージをたくさんの人が発信しています。
2018年からスタートして現在までに3万件以上のメッセージが集まっています。いまこの瞬間もどんどんメッセージが集まっています。
この活動は誰でも参加ができます。
一人一人の力は小さいですが、みんなの力を合わせれば大きな力になります。
ぜひこの放送を見ている方にも参加していただきたいです。
詳しくは不登校は不幸じゃないで検索してみてください。
この活動を通じて、僕はたくさんの人と会いました。
今年は日本を一周して、すべての都道府県で不登校の子どもや親御さんたちとの座談会を行ったんですが、改めて不登校の課題を肌で感じています。
その多くは学校に戻りたいというよりも、先生やご近所の方、そして親戚からの圧力で戻るしかないように追い込まれているというものでした。
特に多かったのは自分は無理に行かなくていいと思っているが、自分の親、つまり子どものおじいちゃんやおばあちゃんからの圧力を強く感じたという話です。
確かに昔は学校は行った方が良かったし、頑張ってでもいくべきところだったと思います。
でもいまはそうとも限らないと思うんです。
学校の役割である、勉強と友達を作ることは学校以外でもできるようになってきました。
インターネットが広がったおかげで、学校に行かなくても勉強ができるようになりました。
僕の周りでも不登校から自宅学習で難関大学に進学している人がたくさんいます。
これまでは学校に行かなければ友達を作ることも難しかったですが、いまはインターネットで多くの人とつながりを持つことができるようになりました。
僕らがやっている不登校は不幸じゃないの取り組みでは全国各地に1000人以上の実行委員メンバーがいますが、ほとんどはインターネットで繋がった人たちです。
このように学校の役割である、勉強と友達を作ることは学校以外でもできるようになってきました。
そして、この流れはどんどん加速していくと思います。
子どもたちを苦しめているのは周りからの圧力なのです。
学校にいくべきという固定概念を一旦忘れて、その子にとってどのような形が最適なのかをぜひ一緒に考えてみてほしいです。
最後にもう一つだけ言わせてください。
学校で我慢を学ぶことも大事という意見があります。
我慢ができないようでは社会に出たときやっていけないよって僕も言われてことがあります。
確かに我慢は大切です。でもちょっと考えてみてください。
社会に出てからの我慢は希望とセットなんです。
人は希望があるから我慢ができます。例えば仕事が嫌なときでも我慢できるのは給料がもらえるという希望があるからではないでしょうか。
子どもたちにとっての学校は希望に繋がっていないんです。
この勉強がどんな役に立つの?いい大学に行けるよ、いい仕事につけるよ。
確かにそうかもしれないけれど、そんな先の希望で5年も10年も我慢できますか?
社会人でいまはつらい仕事でも5年、10年経ったらもっといい思いができるからいまは無給で働いてね。
これでつらい仕事を我慢できるでしょうか。
我慢ができないと社会に出てから苦労するというのは確かにそうなのですが、学校での我慢というのは社会以上につらいものだと思います。
ここに合わなかったからといって我慢ができない人間になるとは僕は思いません。
学校に行くべきというのであれば行った方がいい理由。我慢できる希望となるものを子どもに教えてあげてください。
学校以外の選択肢が広がってきたからこそ、学校に行かなければならない理由を考えることが必要だと思います。
これまでの常識を一旦忘れて、令和の時代にあった教育方法をみんなで考えていきましょう。
学校に合わないことはおかしなことではありません。不登校は問題行動ではない。これは文部科学省の教育方針にも明確に記されています。
不登校は不幸じゃない。
引き続きメッセージを発信していきたいと思います。
ありがとうございました。