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「ファーブル『昆虫記』に描かれた生と死」(視点・論点)

ファーブル昆虫館 館長 奥本 大三郎

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 これから梅雨が晴れて青空が広がると、セミが鳴き出します。夏です。今は日本中が都会化し、虫嫌いの人が増えている時代ですが、それでも、子供達は昆虫採集などで虫と触れ合う機会が増えると思います。
 生き物を採集したり飼育したりすると、その生態をつぶさに見ることになりますが、そんな生きた昆虫の研究・観察に関する本としてまず思い浮かぶのが、ファーブルの『昆虫記』でしょう。

『昆虫記』を著したジャン=アンリ・ファーブルは、30年かけて全10巻の大冊を完成させました。
小学生の時に読んだファーブルの伝記に妙に惹かれた私は、やがて『昆虫記』を日本語に翻訳することになり、ファーブル同様30年を費やすことになりました。
 翻訳を続ける中で、私は「人は精一杯生きなければならない」というファーブルの信念が、全巻にわたって記されているように思いました。
それは「昆虫記」が虫の記録であるとともに、ファーブル自身の生涯の記録でもあるからです。今日は「昆虫記」に込められた生と死のメッセージをお話したいと思います。

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 ファーブルは1823年、南フランスの寒村に生まれました。そして91歳という、当時としては例外的に長生きをした人です。
ファーブルはその長い人生のうちに、たくさんの生と、そして死にも逢いました。
最初の妻とは61歳の時に死別していますし、その2年後再婚した、40歳も年の離れた若い妻にもやがて先立たれてしまいます。
 二度の結婚によって10人の子をもうけていますが、そのうち6人は早世しています。
もっともその時代、若者や子供が死ぬのは、むしろ普通のことだったようです。

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しかしファーブルにとってとりわけ辛かったのは、わずか16歳で死んでしまった、次男のジュールの死だったようです。
 ファーブルは、『昆虫記』の第2巻をジュールに捧げています。

  いとしい子よ、あんなにも昆虫が好きであった私の協力者よ、
  植物に関してあんなにも鋭い目を持っていた私の助手よ。
  お前に読ませるために、私はこの本を書き始めたのであった。
  ああ、死とはなんと忌まわしいものであろうか、
  輝かしい真っ盛りの花を刈り取ってしまうとは。
とファーブルは悲しんでいます。
のちになってもこの子の話が出ると、彼は肩を震わせて泣いたそうです。

 ファーブルが『昆虫記』を書き始めたのは55歳からですが、原点は、30歳のある冬の夜、偶然手に取った科学雑誌の論文にありました。ファーブルはその論文を読んで、素晴らしいヒントを得ます。それはまさに、天よりの啓示、天啓ともいうべきものでした。論文は、一人のアマチュア昆虫学者が書いたもので、タマムシツチスガリという、ハチの一種の行動について記録してありました。
「そうか!生きた昆虫の行動について調べるという研究分野があるんだ!」と、ファーブルは興奮しました。

 18世紀末から19世紀にかけて、昆虫学は大発展を遂げていましたが、それは主として、昆虫の分類学的研究でした。つまり、昆虫の姿・形について詳しく調べ、記録して、互いの類縁関係などを研究することだったのです。それはもちろん大切なことですが、生きた昆虫がどう行動しているか、という視点がなかったのです。

 当時高校の先生をしていたファーブルは、それ以後学校の勤務の暇を盗んで、生きた昆虫の観察に没頭します。そして91歳で死ぬまで、生きているとはどういうことか、死とは何か、考え続けます。
 昆虫は種類も、生態も、数も、極めて多様な生き物で、人間の思いもかけないような行動をとります。その昆虫の行動から具体例を豊富に学びながら、ファーブルは考え続けたのです。

『昆虫記』には、「昆虫の本能と生態の研究」という副題が付いています。
これを読めば必然的に、では人間はどうなのか?と、人間についても考えることになってしまいます。
しかし、生きた虫を全く観察していない学者からは、「そんなことは余計なことだ。昆虫の研究に人間のことを持ち込むなんて、科学的ではない。だからファーブルは昆虫学者じゃない。実際の虫を見ないで、お話を書いているだけだ」と非難されることもありました。
それでもファーブルは、自分の目で見たこと以外は信じない、そしてこの目で見たことはどんな不思議なことでも正確に記録する。という態度を貫きました。

 また、ファーブルは生命の誕生と死の問題に興味を持っていました。始まりの問題と終わりの問題です。その一つが、生き物が死んだ後のその後のなりゆきです。
道端に死んでいるモグラや蛇が、それからどうなっていくのか、その過程と終末を観察したかったのです。

 ファーブルは、庭に砂を入れた鉢を置き、そのなかにトカゲやカエル、モグラなど様々な死体を置いて、観察してみました。
 まずアリが駆けつけます。2日も経つと、カツオブシムシ、エンマムシ、ヒラタシデムシ、ハエ・ハネカクシと色々な虫がやってきて、死体を骨だけにしてしまいます。

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 ファーブルは、とりあえずキンバエを観察しました。キンバエは、いっぱいやってきて、卵を産み付けます。1匹が1時間以上もかかって念入りに産卵しました。
 その数は大変なものです。卵から幼虫が、つまりウジムシがかえってきます。
ファーブルは、様々な実験を繰り返し、ウジムシが消化酵素を出して、獲物の肉を溶かしてスープにし、それを飲んでどんどん大きくなっていくさまを観察しています。
ウジムシの数はすごいもので、これがみんなキンバエになったら、世界はキンバエだらけ、と考えてしまいますが、そうはいきません。

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 例えば、エンマムシという甲虫がやってきて、片っぱしからウジムシを食べてしまいます。エンマムシに食われずに無事キンバエになっても、さなぎから羽化して飛び立った瞬間、小鳥にパクッとついばまれてしまうものもあります。
 モグラやヘビの死体を構成する物が溶かされてハエの幼虫や成虫の体をつくり、それがまた、エンマムシや小鳥の体を作るわけです。

 ファーブルはこの移りゆきをじっくり観察して、「すべてのものを溶かして、再び新しい物を創造するるつぼの働き」と言っています。
「どんな虫にも役割と価値があり、無駄な死などない」のです。
また「自然は、アトムひとつといえども、行方不明にはしない」とも言っています。
つまり生物の体を形作っていた元素は全て、別の生命のなかに還元され、あらたな命になる、ということでしょう。

ファーブルは来世を信じていたようなことを述べています。

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「昆虫記」を書き上げたセリニャンの村にあるファーブルの墓の墓碑銘には、「死は終わりではない、より高貴な生への入り口である」と彫られています。
 この「より高貴な生」とはどのようなものか、私も考えることがあるのですが、それは「戦争や暴力のない世界」なのではないでしょうか。ファーブルは、戦争や暴力を憎み、
また心を傷めていました。ファーブルが生きたのは、クリミヤ戦争、普仏戦争、第一次世界大戦と、戦争の規模が大きくなり、死傷者も増える一方の時代でした。

 「より高貴な生」というのは、そういう悲惨な出来事のない世界、ということではないかと思います。その思いは、彼が最晩年に書いた『昆虫記』の終わりの方に、切実に現れているのです。

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