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「天安門事件から30年 中国の今」(視点・論点)

東京大学大学院 准教授 阿古 智子

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  今年は1989年に中国で起こった天安門事件から30年という節目の年にあたります。今日は、この30年を経て大きな変貌を遂げた中国の今について、香港で行われている大規模デモ、人口知能・AIシステムの発展に伴う変化などに焦点を当てながら、考えてみたいと思います。

 今年は天安門事件30周年ということで、6月前後に、事件を検証するシンポジウムや犠牲者を追悼する集会が世界各地で開かれました。しかし、これまで毎年のように招へいされていた元学生リーダーなどは、今年は香港の集会には顔を見せませんでした。香港は「一国二制度」の下、高度な自治が約束されているはずですが、中国政府に批判的な人物や亡命者などの香港への入境拒否が相次いでいるからです。

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 香港では中国本土への容疑者の引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案が審議される中、改正案に反対する市民による大規模なデモが行われました。林鄭月娥行政長官が審議の「延期」を発表した後も、「完全な撤回」を求める抗議デモが続きました。香港の人たちはなぜ、それほどこの改正案に反対しているのでしょうか。それは、この改正案が可決されると、中国政府に批判的な人物が、香港から中国本土に公然と連行される可能性があるからです。
 香港政府は本土に身柄を引き渡す前に事案ごとに、裁判所が可否を判断すると主張しています。しかし、「雨傘運動」の元リーダー9人が有罪判決を受けるなど、昨今、香港の司法は中国政府の意向を汲んだと見られるケースが多くなってきています。2015年には、習近平国家主席を批判する発禁本を扱っていた銅羅湾書店の経営者らが、中国本土へひそかに拉致され、治安当局に拘束されるという事件も起きました。

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 「逃亡犯条例」改正案に反対する声が強いのは、改正案が可決されると、「一国二制度」の下で自治を保障されていたはずの香港が、その独立した立場を実質的に失うという懸念が拭えないからです。中国大陸への引き渡しの対象となるのは、香港人だけでなく、香港で働く外国人や一時的に香港を訪れる人も含まれます。
 中国の裁判所は共産党の支配下にあり、恣意的に容疑をかけられたり、理由が曖昧なまま逮捕されたり、外部との連絡を絶たれた状態で何ヶ月も拘束されたりする人もいます。なかでも、「国家の安全」に関わる容疑での逮捕者が頻出しているのが問題です。例えば、2015年7月、中国では約300人の弁護士や活動家が一斉に事情聴取され、連行されました。そのうち30人以上が「国家政権転覆罪」「国家政権転覆扇動罪」などの容疑で刑事拘留され、有罪が確定しています。
中国を訪れる外国人がスパイ活動や国家機密窃盗の容疑がかかっているとして、逮捕されることもありますが、これらの事実認定も不当に行われている可能性が指摘されています。カナダ人の元外交官と実業家が「国家の安全を脅かした疑い」で拘束され、2019年5月に逮捕が発表されましたが、彼らはちょうど、カナダ当局が米国の要請に基づいてファーウェイの最高財務責任者である孟晩舟氏を逮捕した数日後に、相次いで身柄を拘束されています。そのため、孟氏逮捕への報復という意味合いがあるという見方も出ています。外国企業関係者が根拠薄弱なまま逮捕され、非公開の法廷で裁かれることもあります。

こうした状況もあり、欧米諸国の政府や商工会議所は、「逃亡犯条例」改正案に深い懸念を表明しています。自由で公正な司法が脅かされれば、国際的ビジネス拠点としての香港の地位が危うくなるとして、香港のビジネス界にも反対の声が上がっています。

 人工知能・AIシステムが発達する中で、各国政府は国民を監視する能力を高めました。法の支配の基盤が強固な民主主義国でさえ、政府の情報機関や警察が顔認識やDNA分析など、AI技術を積極的に使用しています。しかし、中国がとりわけ警戒されているのは、中国が世界最大の規模を誇る、依然民主化されていない独裁国家だからです。司法が独立しておらず、言論の自由が保障されていない中国は、国家主導で、国家利益のために大量のデータを収集・分析することができます。実際に、新疆ウイグル自治区などでは、住民の動き、スマートフォンの使用状況を追跡できる、最先端の監視システムを導入していると言われています。
 さらに、中国企業はAIによる監視技術を多くの国に輸出しています。中国政府が力を入れている現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」は道路、鉄道、エネルギーパイプライン、電気通信などの広範なネットワークの建設に資金を提供しており、その一部において、解析度の高いインターネットカメラの設置や最先端の画像・顔認識技術の整備が行われています。
アメリカ・ボイシ州立大学のスティーブン・フェルドスタイン教授らの調査によると、フィリピンの先進商業地区・ボニファシオ・グローバルシティでは、犯罪捜査と交通整備のためのデータ分析機能を備えたAIによる監視を24時間、365日可能にするため、ファーウェイの高解像度インターネット接続カメラが設置されました。画像・顔認識技術で有名な中国の企業・ハイクビジョン(海康威視)やYITU(依図)、センスタイム(商湯科技)は、最先端の顔認識カメラを提供していますが、シンガポールはこうした顔認識カメラを街灯11万本に設置するということです。

 1989年6月4日、天安門事件が起こりました。それから30年が経ったこの6月、香港の警官隊はデモの先頭に立っていた大学生らを逮捕し、立法会・議会を包囲していた一般市民に対し、多数の催涙弾やゴム弾を撃ち込み、多くの負傷者を出しました。人民には決して銃を向けないと言っていた人民解放軍が発砲した、天安門事件の悪夢が蘇るようでした。
 自由貿易港・香港は世界の金融センターとして発展し、多くの政治難民も受け入れてきました。

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雨傘運動の主要メンバーだった周庭さんは、先日香港で大規模デモが行われた時、日本に滞在していましたが、「香港はこれから、政治難民を送り出す地域になるかもしれない」と危機感をあらわにしていました。

 天安門事件は、政治改革に対する考え方の違いから生じたと言われています。多党制の導入さえ視野に入れていた趙紫陽らに対して、共産党一党体制による社会主義を堅持しようと考えた鄧小平。
 抑圧された市民が立ち上がり、再び政治改革を求める運動が行われることはあるのでしょうか。中国の政治・外交やアジアの政治的正統性の源泉について長年研究しているコロンビア大学のアンドリュー・ネイザン教授は、習近平政権が天安門事件から、次の4つの教訓を学んだと指摘しています。

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1つ目は、共産党の支配を転覆させようとしている内外の敵に警戒しなければならないということです。つまり民主化運動を「敵」と認識するのです。2つ目は、統治の正統性というイデオロギーをしっかりとつかみ、世論戦に勝つということです。3つ目は、党を分裂させてはならないということです。4つ目は、党には核心が必要であり、習近平総書記を党の核心として支えることが重要だということです。

 デジタル監視モデルをつくりあげ、天安門事件から学んだ教訓を生かしながら、共産党による統治を強化している中国において、人々が自由に声を上げることは容易ではありません。他方、経済成長の鈍化に伴い、統治の正統性が弱体化しているという側面もあります。
 私たちはこれから中国とどのように向き合うのか。世界的に民主主義が後退していると言われる中で、国際秩序の形成における日本の主体的な関与も求められていると思います。

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