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「強制不妊問題と国の責任」(視点・論点)

立命館大学 副学長 松原 洋子

4月11日に、衆議院本会議で強制不妊救済法案が全会一致で可決されました。正式な名前は、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律案」といいます。旧優生保護法のもとで、強制的に不妊手術をされたり放射線を当られたりして生殖能力を奪われた人々に対し、一時金320万円を支給することなどを定めたものです。
「優生手術」とは、旧優生保護法で定められていた不妊手術のことです。精子や卵子の通り道である男性の精管や女性の卵管を縛ったり、切ったりして、子どもができないようにする手術です。

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1948年に制定された旧優生保護法では、「優生保護」と「母体保護」の2つの目的をかかげ、「優生手術」や人工妊娠中絶を条件つきで認めてきました。しかし、「不良な子孫」の出生防止という優生思想にもとづき、遺伝性疾患、精神障害、知的障害、ハンセン病を理由とした優生手術と中絶を認めていた規定については、人権侵害であるという理由で、1996年の改正で全て削除されました。法律名も「母体保護法」にかわりました。
ここでは、強制不妊救済法案をてがかりに、「国の責任」を中心に、強制不妊手術問題が私たちに何を問いかけているのかを、考えていきたいと思います。

まず、強制不妊救済法案が提出された背景からみていきます。
昨年1月30日、宮城県の60代の女性が、15歳のときに受けた強制不妊手術の被害を訴えて、仙台地裁に国家賠償請求訴訟を起こしました。1948年から96年まで施行されていた旧優生保護法では、遺伝性疾患や精神障害などを理由に、本人の同意がなくとも不妊手術を強制的に行えるようになっていました。提訴した女性は遺伝性の知的障害であることを理由に手術されていました。
この提訴をきっかけに、昨年2月以降、新聞、テレビ、インターネットなどのメディアが公文書の情報公開請求や被害者および専門家の取材を開始し、この問題を集中的に報道しました。その結果、強制的な不妊手術の驚くべき実態が社会に広く知られるようになりました。たとえば、10歳に満たない子どもにも不妊手術が行われていました。特に問題視されたのは、国が強制不妊手術を推進し、その政策の実務を都道府県に担わせてきたこと、また、医療や福祉の担い手が組織的に関わってきたことでした。
これらの事実は、社会で大きな反響を呼びました。そして、旧優生保護法下での強制不妊手術を批判し、被害者の救済を求める世論が形成されてきました。
こうした世論に励まされて、これまで沈黙していた人々が重い口を開いて被害を語り、国の責任を問うようになりました。昨年5月には全国レベルの弁護団が結成され、現在までに20名の原告が、全国7地裁で国を相手取って損害賠償請求訴訟をおこしています。

強制不妊救済法案は与野党が協力して立案し、議員立法として国会に提出されたものです。

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法律案の前文では、旧優生保護法のもとで、「多くの方々」が「生殖を不能にする手術又は放射線の照射を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けてきた」ことに対して、「我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、心から深くおわびする。」と述べられています。衆議院本会議では、この「我々」が誰を指すかについて、旧優生保護法を制定した国会や政府を特に念頭においている、と説明されました。さらに前文の最後は、「国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、この法律を制定する」と結ばれています。
そうであれば、なぜ「反省とお詫び」の主語を、「我々」ではなく「国」としなかったのでしょうか。強制不妊手術の被害者や支援者たちは、「国」の責任を明確にすべきだとして、この点を強く批判しています。確かに、強制不妊手術には、「国」だけでなく、都道府県、市町村、専門家の団体や、医療・福祉・教育の関係者、さらには家族なども関与していました。それぞれが「我々」として、反省と自己検証の対象となりえます。
しかし、ここで忘れてはならないのは、遺伝性疾患の患者や障害者に対する強制的な不妊手術は、旧優生保護法がなければ実施できなかったということです。
20世紀の初めに「断種法」が、アメリカやヨーロッパを中心に世界各国で制定されたのは、こういう法律がなければ、優生目的の不妊手術が違法行為とみなされる恐れがあったためです。

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日本でも戦時中の1940年に「国民優生法」が制定されました。その後敗戦によって、日本は過剰人口問題に直面し、戦後復興が課題となりました。そうした状況に合わせて国民優生法を作りなおし、1948年の優生保護法ができました。これによって、戦中よりも戦後になって、優生手術が盛んに行われるようになりました。「国」は旧優生保護法を運用し、都道府県を監督し、強制不妊手術を行わせてきました。その「国」に主たる責任があることは明らかです。
ところが一方で、強制不妊手術の実施において、国の政策の何がどのように問題であったのかについては、具体的には明らかになっていません。この間、専門家やメディアの調査でわかってきたことは、あくまでも氷山の一角にすぎません。実態を知るには本格的な調査が必要です。国も、旧優生保護法下での実態について把握していないので、当時の政策の是非を判断する根拠を実はもっていないのです。
強制不妊救済法案の第21条では、病気や障害の有無にかかわらず互いを尊重する社会を実現するため、旧優生保護法に基づく優生手術等に関する調査その他の措置を講ずる、とされています。調査対象には不妊手術だけでなく、人工妊娠中絶も含まれるべきでしょう。これをしっかりと実行して、データを分析し、国の優生政策のなにがどのように誤っていたのかを、明らかにする必要があります。
それは同時に、都道府県、専門家団体、医療・福祉・教育等の関係者、病院や施設等、さらには当事者団体や家族が、どのように優生手術に関わったのかを浮き彫りにすることにもなります。

私たちは、強制不妊手術の被害者の苦しみや実態を、昨年までほとんど知りませんでした。「不良な子孫の出生を防止する」ことをうたい「優生保護」を目的とした法律に手をつけないまま、戦後50年近く運用してきた社会、病気や障害の問題を解決する手法として、生殖を不能にする手術を利用してきた社会、日本に暮らす私たちはそのような社会に生きてきました。
現在、新型出生前診断やゲノム編集のような新しい技術が注目されています。病気や障害を私たちが社会のなかでどのようにとらえるのかによって、これらの技術への向き合いかたも変わってきます。旧優生保護法のもとでの強制不妊手術問題を知ることは、現在を見直し、未来への選択を変えていくことにつながるのではないでしょうか。

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