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「平成の終わりに⑦ 社会保険国家から社会サービス国家へ」(視点・論点)

日本社会事業大学 学長 神野 直彦

平成の時代が終わりを告げ、新しき令和の時代の扉が開こうとしています。
 希望を抱いて新しき時代を迎えるためにも、平成の社会保障改革を振り返り、平成が令和に投げかけている改革課題を考えてみたいと思います。

 結論めいたことを、初めに申し上げておきますと、平成の社会保障の改革課題は、「社会保険国家から社会サービス国家へ」というフレーズで表現できると思います。
つまり、社会保険という年金などの現金給付を、中心とする工業社会の社会保障から、育児や高齢者福祉などのサービス給付に、重点をおくポスト工業社会の社会保障へと転換させることが、平成の改革課題になっていたのです。
 もちろん、それは平成の時代が、重化学工業を中心とする工業社会から、サービス産業や知識産業を中心とするポスト工業社会へと移行する転換期だったことを意味しています。
 ところが、実際に実施された平成の社会保障改革を振り返ると、医療や年金など保険料を主な財源とする、社会保険の制度を持続可能にする改革に終始した、といってもいいすぎではないと思います。
 
確かに、平成は「社会保障改革の時代」と表現してもよいほど、大きな社会保障の制度改革がおこなわれています。

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 平成16年には年金の抜本的改革が実施されました。それまでは、高齢者の受け取る年金の給付水準を先に決め、保険料を引き上げていく方式でしたが、保険料水準をあらかじめ固定化した上で、給付水準を調整していくという方式へと抜本的に改めたのです。
 医療保険の改革をみても、自己負担の引き上げとともに、医療費適正化の総合的な推進が打ち出され、後期高齢者医療制度が創設されました。
 さらに平成12年には、介護保険が導入されています。
 平成の時代はバブルの崩壊で幕が開き、その後の長期的経済停滞に苦しんだ時代でした。
 こうした経済状況のもとで行われた平成の社会保障改革は、工業社会の行き詰まりを反映したバブル崩壊と長期的停滞、それに人口の高齢化という二つの条件のもとで、年金にしろ医療保険にしろ、社会保険を持続可能にする改革だったといえると思います。
 これに介護保険の導入が加わり、平成という時代に社会保障を、年金や医療などの社会保険に依存する、「社会保険国家」が成熟したといってよいと思います。

日本の社会保障の特色を、図表で確認しておきたいと思います。

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この図をみれば、ヨーロッパの先進諸国の社会保障は、年金と医療と「それ以外」が、三本柱になっています。
これに対して、日本の社会保障は年金と医療については先進諸国と比べて見劣りがしないものの、「それ以外」が存在しないといってもよいほど、小さいことがわかると思います。
 この「それ以外」に分類されている社会保障で重要なものは、育児や高齢者福祉などのサービス給付であり、それに「その他」に含まれている積極的労働市場政策 、つまり職業訓練や再教育のための政策が加わります。
 年金とか医療保険という社会保険は、高齢退職とか疾病などの正当な理由で賃金を失った時に、政府が賃金に代替する現金を給付する社会保障です。
 こうした社会保険は、重化学工業を中心とした工業社会では、国民生活を保障する社会保障として、有効に機能したということができます。 
というのも、重化学工業中心の工業社会では、主として男性が働きにいき、主として女性が家族内で育児や高齢者のケアなどの無償労働に従事するという家族像を前提にできたからです。
 つまり、主として男性が稼いでくると想定されている賃金を、高齢退職や疾病で失った時に、政府が社会保険で保障しさえすれば、育児にしろ高齢者ケアにしろ、主として女性が担う無償労働による相互扶助で、家族の生活を維持することができたのです。
 ところが、工業社会からポスト工業社会へと移行し始めると、労働市場への参加も家族形態も大きく変容します。
大量で同質の筋肉労働が要求される重化学工業とは相違して、サービス産業や知識産業を中心とするポスト工業社会では、女性も労働市場に進出するようになり、家族内で相互扶助の無償労働を担う女性が姿を消すことになるからです。
 そうなると、家族内の無償労働で担われていた育児や高齢者ケアという対人サービスを、社会保障として提供する必要が生じてきます。
 というのも、対人サービスをサービス給付として提供しないと、ポスト工業社会の労働市場では、二つの参加形態が生じてしまうからです。
 一つは家族内で無償労働に従事しながら、労働市場に参加するタイプです。主として女性がこのタイプとなります。
 もう一つは無償労働から解放されて、労働市場に参加するタイプです。主として男性がこのタイプとなります。
 このように労働市場への二つのタイプの参加形態が形成されますと、パートとフルタイム、正規と非正規とに労働市場が二極化してしまいます。
 もちろん、労働市場が二極化すると、賃金格差が拡大して、格差と貧困が溢れ出ることになります。
 こう考えれば、育児や高齢者ケアのサービス給付は単なる生活保障だけではなく、家族内で無償労働に従事する人たちにも、ポスト工業社会の労働市場への参加条件を保障するものだと理解できるはずです。
 ポスト工業社会では掛け替えのない多様な人間的能力が必要となりますので、労働市場への参加を保障することが、ポスト工業社会が発展する重要な条件となります。
 もちろん、旧来型の産業から新しい産業へと仕事を移るための再訓練・再教育を強化する政策、つまり積極的労働市場政策も、参加保障となることもいうまでもありません。
 工業社会からポスト工業社会への移行期であった平成に、こうした参加保障の社会サービスを充分に提供しなかったことが、格差や貧困が溢れ、社会問題が深刻化した重要な要因だったといわなければなりません。
 平成の社会保障改革から学ばなければならない令和への重要なメッセージは、私たちの生活は賃金などの貨幣所得だけではなく、家族やコミュニティなどによる相互扶助という助け合いによっても支えられているということです。
工業社会からポスト工業社会への移行によって、家族などの相互扶助機能が急速に弱まってしまいますので、こうした相互扶助機能を支援し、代替するサービス給付を提供しなければ、ポスト工業社会への移行に対応した社会保障は形成できないのです。
 平成から継承される社会保障の改革課題は、社会保険の持続可能性だけではなく、ポスト工業社会への参加を保障するサービス給付を充実させ、「社会サービス国家」へと舵を切ることです。
それは国民の生活を、社会保険などの現金給付だけではなく、現金給付とサービス給付をセットにした社会保障によって、保障することをも意味しています。
高齢者の生活であれば、年金という現金給付だけではなく、高齢者福祉サービスとセットで、子供たちの生活であれば、児童手当などの現金給付と、育児サービスとセットで保障していくのです。
 開こうとしている令和の時代の扉を前にして、新しき時代の社会保障の課題は社会サービス国家へと船出することだと確認しなければならないと思います。

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