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「平成の終わりに⑤ 大災害から学んだ縮災対策」(視点・論点)

関西大学 社会安全研究センター長 河田 惠昭(かわた  よしあき)

今年は平成の最後の年になりますが、実は伊勢湾台風から60年でもあります。この台風の高潮によって、5千人を超える犠牲者が発生しました。太平洋戦争が終わって、この伊勢湾台風災害までの15年間は、毎年のように自然災害による犠牲者が千人を上回る時代が続きました。これを災害の特異時代と呼んでいます。

しかし、気を付けなければいけないことは超大型の台風が毎年来たわけではないということです。長期にわたる戦争の継続によって、治山治水が進まず、国土の荒廃が進んでいたことが最大の原因です。この特異時代に終止符を打つために成立した法律が、災害対策基本法でした。しかし、この法律が成立した時代は、まだ我が国が貧しかったのです。だから、災害による被害を繰り返さない、言い換えれば、被害が発生しない限り対策はやらないという背景がありました。そして、高度経済成長の時代に入るわけですが、その時代には大きな被害を伴う台風も上陸せず、大きな地震災害も発生しませんでした。そして、残念ながら、それは私たちの社会の防災力が大きくなったからだと誤解したのです。この時代に最大の犠牲者が発生したのは昭和57年の長崎豪雨災害でした。犠牲者は299人で、この記録は平成7年の阪神・淡路大震災までやぶられませんでした。

ところが、平成時代に入ると、平成3年に雲仙普賢岳が噴火し、平成5年に北海道南西沖地震が発生しました。そして平成7年に阪神・淡路大震災が起こり、未曽有の被害をもたらしました。そのとき、私たちは、大都市では、高度経済成長に取り残され、高齢化した老朽木造密集市街地が、災害に脆いことを初めて知りました。それまでは1923年関東大震災の教訓から、地震によって市街地の延焼火災さえ起らなければ、大きな人的被害は発生しないと誤解していました。ところが、阪神・淡路大震災では老朽木造住宅が凶器になりました。直後の犠牲者およそ5千人はこれが原因で亡くなりました。このとき、被害の大きさは自然の外力の大きさだけで決まるのではなく、社会の抵抗力、すなわち防災力も大きく関係することが初めて理解されたのです。その後、平成16年に新潟県中越地震が発生し、中山間地も災害に脆いことを学びました。そして、平成23年には東日本大震災が起こり、想定外の地震による大津波で、災害関連死を入れると、約2万2千人が犠牲になりました。
風水害については、1つの災害で100人を超える犠牲者は、平成30年まで過去36年間発生しませんでした。しかし、平成30年の西日本豪雨災害は240人を超える犠牲者となり、風水害についても、私たちの社会の防災力は未だ高くないということがわかりました。
さて、災害特異時代から始まった戦後は、現在に至るまで災害文明は一直線状に発達してきたといってよいと思います。たとえば、河川の上流に治水ダムができ、堤防や海岸護岸も強化され洪水や高潮氾濫災害も少なくなりました。地震についても、阪神・淡路大震災をきっかけとして、建築基準法が改正され、制震や免震機能を有する超高層ビルも建設されています。しかし、これらは自然科学の粋を集めた計測器であるとか、土木工学と建築学の成果を応用した災害文明の成果であります。しかし、一方では私たちが本来持っていた災害に対する危機感が薄れ、災害に遭わないための知恵である災害文化の進歩は取り残されたままになりました。むしろ災害文化の衰退といってよいでしょう。

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本来、社会は、文明の上に文化が育ち、豊かになっていきます。しかし、現代は、災害文明と文化の差が縮まるどころか、むしろ拡大しつつあると捉えなければいけないと思います。その原因は高齢化の進捗や地域コミュニティ-の衰退、人口減少などが挙げられます。東京への人口の過度の一極集中も、都市文明に引き寄せられる結果であり、必ずしも都市文化が熟成されてきた結果ではないのです。それが証拠に、首都直下地震の脅威は増える一方です。急速に進む都市文明は、ゆっくりと成熟する性質をもった都市文化を包摂できず、むしろ衰退させているとも言えます。
しかも、災害文化には、“もやもや”あるいは“あいまいさ”があります。たとえば、教訓を伝えたいといっても、そもそも教訓ってなに?とか、つぎの災害で教訓は本当に活かせるのかとか、教訓が伝わってこないとか、周りに伝えることができているのか、というように、話し手と聞き手との間に内容のずれがあります。「伝え方」にも、「伝わる」にも“もやもや”があります。つまり、災害文化というのは各人の経験や体験を通した独自の受け止め方であり、それを客観的に表現できる災害文明とは違うのです。わかりやすい例を紹介しましょう。災害情報を伝える道具は、近年驚異的に発達しました。緊急地震速報、インターネット、エリアメール、スマホ、SNSなどが挙げられます。しかし、避難勧告や避難指示が意味する危険の内容は、人びとにとって共通ではなく、あいまいのままです。ですから、昨年の西日本豪雨では避難指示と勧告がおよそ860万人に発表されましたが、避難した人はたった4万人、0.47%でした。人びとの危機感があまりにも低いのです。
それでは、どうすればよいのでしょう。

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私は減災の具体的な内容として縮災を提案して参りました。縮災とは、まず、災害が起こる前に事前防災や日常防災の推進によって、実際の被害を少なくしたり発生を抑えたりする、予防力の向上を目指します。一方、災害が起こってからは、早い復旧と復興を実現するために回復力の向上を目指します。
日本政府は、東日本大震災の後、私が提唱する縮災における事前防災の考え方を採用しました。しかし、東日本大震災の最大の教訓とは、災害に強い国家にするために国土強靭化を進め、トンネル、橋、堤防などの老朽化した既存設備を更新し、新たなインフラ整備をすみやかに進めることではないのです。
この誤解は、英語のナショナル・レジリエンスのナショナルを本来の意味は国民であるにもかかわらず、国土と訳してしまったことから起こりました。しかも、この場合の国民とは、私たち一人ひとりではなく、小は家庭から始まり、職場、学校、地域、国家という私たちの大小のコミュニティ-全体を指しているのです。

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レジリエンスも、図に示すように、1990年から始まった国連の国際防災の10年で、豊かな社会を目指すにはまず、防災を主流化する、すなわち防災を優先して進めるという国際社会の合意が出発点となっています。それは、2005年神戸と2015年仙台で開催された国連防災世界会議で採択された行動枠組みの中で明示され、持続可能な開発目標SDGsと重なっているのです。
このように考えると、東日本大震災の最大の教訓とは、災害対応におけるサードセクターの活躍が、被災地域と被災者からなるコミュニティ-の生活再建に寄与してきたということです。サードセクターとは、NPO、NGO、ボランティア、協同組合などを指します。彼らが人のつながりによる活動を通して、地域同士が相互作用し、復興社会を実現する創発的なシステムを作って組織的に活動してきたということです。平成時代の後、すなわち災後にあっては、縮災対策を中心として、このサードセクターの力、すなわち共助努力を発揮し、自助と公助を支援する新たな枠組みが、災害の危機管理の円滑な進捗に寄与すると信じられるのです。

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