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「スリランカの密林に未知の遺跡を探る」(視点・論点)

探検家 岡村 隆

インド洋に浮かぶ島国のスリランカは、日本からも多くの観光客が訪れる自然豊かな島ですが、ここはまた古代からの仏教国でもあります。そのことから、島内には仏教を中心とする多様な文化や、人々の生活を偲ばせる「遺跡」が、それこそ「無数に」残されています。
そうした遺跡は、スリランカにとって重要な歴史遺産であるだけでなく、仏教を通して日本とも深い関係があり、人類共有の文化遺産としても貴重な存在であることは言うまでもありません。

ところが、そうした貴重な存在であるにもかかわらず、これらの遺跡のほとんどは、いまだ、科学の光が当てられないまま、島の各地に広がるジャングルの中に捨て置かれている状態にあります。

スリランカには、紀元前三世紀から仏教王国の都として栄えたアヌラーダプラ、次に都が移されたポロンナルーワ、巨大な岩の上に城塞の跡が残るシギリヤといった、すでに学術的な調査がなされ、発掘や修復を経て、観光資源としても活用されている「世界遺産」もあります。

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しかし、そういったごく一部の遺跡を除けば、スリランカでは遺跡の調査はほとんど進んでおらず、これらの写真のように、ジャングルにひっそりと埋もれているのが現状です。

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これはなぜかと言えば、まず、スリランカ国内には研究者が少なく、予算も不足していること、長く続いた内戦の影響、ジャングルの自然が厳しくて、ゾウやヒョウ、クマ、ワニといった危険な動物も多いため、研究者が容易には近づけないこと、といった理由が挙げられます。
そうした現状のもと、一方では密林地帯も周辺から少しずつ開発が進んでいるため、遺跡は絶えず盗掘や破壊の危機にさらされています。その背景にはやはり、貧困や住民意識の問題があり、このままでは多くの未知の遺跡が、調査もされないうちに破壊されるという最悪の状況が進みかねません。

私たちは、このような状態にあるスリランカの遺跡を何とかできないだろうかと考えて、密林での探検と調査を続けてきました。調査が困難な現地の人々に代わって、あるいは彼らと協力しながら調査を進め、密林の未知の遺跡を少しでも早く、明確な文化遺産として世に導き出すことはできないか、また、住民の意識向上をもたらすことで、これ以上の遺跡破壊をくい止めることはできないだろうか、そう考えての活動でした。

このスリランカでの密林遺跡の探査、もともとは法政大学探検部による学生の部活動として、一九七三年に始めたものでした。しかしその後は、日本の南アジア研究者や、スリランカの考古学者、さらにはスリランカ政府の考古局との連携を深め、二〇〇八年からはNPOに活動の主体を移して調査を続けてきました。
一九七三年のスタートから昨年まで、時には内戦のために長い休止期間を挟みながらも、四十五年の間に計十三回の探検調査を行ない、その調査遺跡数は二百五十八ヶ所に及んでいます。

そして、その中ではもちろん、大きな発見もありました。

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一九八五年にスリランカ南東部のウィラ川という川のほとりで発見した磨崖仏の遺跡 は、ご覧のように、大きな岩の側面に、釈迦仏と観音菩薩、弥勒菩薩の立像が彫られた「三尊像」でしたが、これはスリランカでは発見例の少ない「大乗仏教」の遺跡でした。

今日では「小乗仏教の国」として知られるスリランカですが、じつは十二世紀に国王によって粛正されるまでは、大乗仏教も大いに栄えていたという歴史があります。私たちがほぼ完全な姿で発見した三尊像の遺跡は、そのことを示す貴重な証拠のひとつとなりました。その発見の成果は世界に知らされ、ヨーロッパや日本の仏教学者も言及するところとなりましたが……、その後に、大きな悲劇が起こりました。

一九九三年に、この三尊像の再調査をしたいというスリランカ政府考古局とともに、八年ぶりに現地に入った私たちは、この貴重な仏像が無惨に破壊されているのを発見したのです。

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ご覧のように、中央の釈迦像は頭部が完全に粉砕されて削り取られ、向かって左側に立つ観音像も頭部が切り落とされて地面に転がり、足元の地面も深く掘り荒らされていました。ふだんは入り込む人もいない密林の奥地ですが、何かのきっかけで遺跡の存在を知った盗掘団が、「仏像の頭部や足元には宝石が埋められている」という伝説を信じて、この破壊行為をやったのだと思われます。

きわめて貴重な大乗仏教遺跡の消失、というこの事件は、現地でも大きなニュースとなり、私たちも大きな衝撃を受けました 。
それまでは、厳しい環境の未知の土地に足を踏み入れ、未知の遺跡を発見するという「探検」の喜びに支えられて活動してきた私たちでしたが、それからは「文化財の保全」ということを念頭に、たとえば村の小学校で、子どもたちに遺跡の大切さを訴えるといった活動も、探検と併せて行うようになりました。文化財の保全には、周辺住民の意識の向上が必要であり、それには、子供のときからの教育が大事だと考えたからです。

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私たちは、これまでに発見して調査した遺跡のデータを、測量した図面や写真と共に報告書にまとめ 、それをパートナーであるスリランカ政府考古局と共有するようにしています。

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私たちは遺跡の「発掘」をするわけではありません。発掘以前の、そもそもどこに何があるのかという最初の調査を、調査の難しい場所でやっているというのが実状です。未開のジャングルには、まだまだ無数に未知の遺跡が埋もれているため、それらすべてを発見して調べ尽くすということは、少数の専門家には無理な話です。

この仕事は、学者や専門家でなくてもできる、いや、むしろ多くのアマチュアにこそ、出番を求めなくてはならないのではないか……。私たちはそう考えて探査隊を組織し、これまでに延べ一〇三人の日本人隊員がこの活動に従事してきました。

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スリランカにとって、そして人類全体にとっても財産と言える文化遺産を、発見し、調査し、保全するという目標のもと、日本の一般市民や各大学の学生たちが、現地に赴いて活動するという、この一連のプロジェクトは、民間団体による国際協力、国際ボランティアの、新たな形のひとつでもあると考えています。
   
最後に、いまは小乗仏教だけの国ですので、大乗仏教の国の私たちから見れば、少し遠い感じのあるスリランカですが、先ほども触れたように十二世紀までは大乗仏教も大いに栄えた国でした。

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とくに八世紀前後には密教が栄え、その教えは「金剛智」や「不空」といった求法僧たちによって、スリランカから海を渡って直接中国に伝えられ、不空の弟子の「恵果」が、その教えを、シルクロード経由で伝えられたもう一方の密教と合わせて体系化したと言われています 。
その恵果のもとに弟子入りしたのが、日本から遣唐使と共に中国に渡った空海です。日本から一緒だった最澄もまた、不空の弟子の順暁に学びました。
空海と最澄は、日本に帰って真言宗と天台宗をそれぞれ開きました。天台宗はまた、のちの浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗といった鎌倉仏教の母胎ともなりました。

つまり、私たち日本人の現在の仏教とスリランカとは、歴史的にそうした太い流れで繋がっていて、スリランカは日本仏教の「源流の地」ということもできるわけです。私たちのスリランカでの遺跡探査には、その「日本仏教の源流」の「痕跡」を探すという意味も含まれています。

こうした、さまざまな目的やテーマや意味合いを含んでいるスリランカの密林での遺跡探査が、日本人の手で、ボランティアとして、地道に行われているということを、皆さんにも知っていただければと思います。

ありがとうございました。

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