NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「植物から見た世界の歴史」(視点・論点)

静岡大学 教授 稲垣 栄洋 

 人類が誕生してから現代まで、私たち人類は、さまざまな植物をさまざまな形で利用して、生活を豊かにしてきました。それは21世紀である現在でも変わりません。
 私たちが食べる作物や野菜も植物ですし、家を作る木材も植物です。また、さまざまな薬の原料となる薬草もありますし、綿や麻などの繊維や、紙の原料も植物です。
 こうした植物たちは、私たち人間の歴史とも深く関わってきました。

 今日は、そんな人間と植物との関係を、植物の側から見てみることにしましょう。

s190304.jpg

たわわに実ったイネ。日本の秋の風物詩です。
しかし、このイネのようす、植物として考えたときに、どこかおかしいところがあります。どこだかわかるでしょうか。
こんなに重たそうに稲穂が垂れているのに、米粒が落ちることはありません。
植物は種子をばらまかなければ、増えることができません。それなのに、イネはどんなに重たくても種子を落とそうとしないのです。

野生のイネは、バラバラと種子をばらまいてしまいますので、人類が食糧として利用することができません。ところが、稀に種子が落ちない突然変異が生じることがあります。
遠い昔、人類はこの種子が落ちない突然変異の株を発見しました。この突然変異は、植物にとっては致命的な欠陥です。しかし、人類にとってはこの上なく役に立つ性質でした。
種子が落ちないので、それを収穫して食べることができます。また翌年の種として播くこともできます。種子が落ちない株から取った種をまけば、種子が落ちないイネを増やすことができるかも知れません。
こうして農業が始まったのです。

また、種子は保存が効くので、ためておくこともできます。そのため、食べ切れないほどたくさん持っていても、困ることはありません。
こうして、種子を手に入れたことで、人類は「富」も手に入れました。

胃袋の大きさには限界がありますが、農業によって得られる富には限界がありません。農業をすればするほど、人々は富を得て、力を増していきました。そして、富を得れば得るほど、人々は、さらに富を求めて、農業を行っていったのです。
こうなるともう、後戻りをすることはできません。
農業は多大な労力を必要とします。しかし一度、農業を知ってしまった人類には、農業をやめてのんびり暮らすという選択肢はありません。人類は農業によって人口を増やし、権力が集まった村を作り出し、村を集めて強大な国を作りました。そして「富」を持つ者と持たないものの間には格差が生まれ、人々は富を求めて、奪い合い、争い合うようになったのです。
「種子の落ちない穀物」たったこれだけの発見が、人類に「欲望」や「労働」や「争い」を与えてしまったのです。

植物の視点で見ると、人類の歴史も植物の影響を少なからず受けていることがわかります。
ジャガイモのお話をしましょう。

ジャガイモは、大国であるアメリカ合衆国を作った植物であると言われています。どういうことでしょうか。
ジャガイモの原産地は南米のアンデスです。新大陸発見以降、ジャガイモはヨーロッパに紹介されました。しかし、ジャガイモはヨーロッパでは悪魔の植物として受け入れられませんでした。
ヨーロッパには根菜はありますが、もともと芋を食べる習慣はありません。また、ジャガイモはナス科の野菜なので、ベラドンナやマンドレイクなど魔女が使うナス科の毒草によく似ています。実際にジャガイモも葉っぱや実には毒がありますので、誤って中毒になってしまったこともあったようです。「悪魔の植物」として、ジャガイモが火あぶりにされたというお話も残されています。
しかし、気温が低くやせた土地でも育つジャガイモは、冷涼なヨーロッパでは貴重な食糧となります。そのため、さまざまな人々の努力によって、ジャガイモの栽培はヨーロッパ各地へと広がっていきました。
フランスの王妃であるマリー・アントワネットは、舞踏会でジャガイモの花飾りをして、ジャガイモの栽培の流行に一役買ったという逸話も残されています。
北方のアイルランドでは、18世紀頃になると、ジャガイモが主食となるほどまで普及していきました。ジャガイモのおかげで、19世紀初めに300万人だったアイルランドの人口は、800万人にまで増えたと言われています。しかし、悲劇が起こりました。
1840年代に、アイルランドでは突如としてジャガイモの疫病が大流行し、ジャガイモが壊滅状態になりました。そして、多くの人々が餓死する飢饉となってしまったのです。これが「アイルランドの大飢饉」と呼ばれる事件です。
この飢饉によって食糧を失った人々は、故郷を捨てて、当時、新天地であったアメリカを目指しました。その数は400万人にも及ぶとされています。当時のアメリカは、いよいよ本格的な工業化が始まろうとしている時期でした。そして、このとき移住した大勢のアイルランド人たちが、大量の労働者として、アメリカ合衆国の工業化や近代化を支えたのです。こうして国力を高めたアメリガ合衆国は、やがて世界一の工業国へと発展を遂げていきました。

もう1つ、別のお話をしましょう。
ジャガイモはビタミンCを多く含むため、船乗りたちを苦しめていた壊血病を防ぐ効果がありました。そのため、ジャガイモによって長い航海が可能になったのです。ジャガイモによって、大航海時代は、ますます勢いを増し、ついに日本を含む東アジアにまで、ヨーロッパの船がやってくるようになります。
ヨーロッパからアジアに、さまざまなものが紹介されましたが、逆にアジアからヨーロッパへと紹介されたものもあります。その1つが、お茶です。

お茶もまた、アメリカの建国に影響を与えた植物と言われています。
東洋からもたらされたお茶は、英国の貴婦人の間で大流行をします。やがて、英国で産業革命がおこると、お茶は作業効率を上げる飲み物として、労働者に飲まれるようになりました。

さらに英国は、中国から輸入したお茶に、高い課税をして、植民地であったアメリカに輸出をしました。この重税に反対したアメリカ人たちは、英国から運ばれた茶を、ボストンの港に捨ててしまいます。これが「ボストン茶会事件」です。
この事件をきっかけにして、英国とアメリカの関係はますます悪化します。そして、アメリカの独立戦争が起こるのです。

しかし、どうしてこんなにまでして、人々はお茶を飲みたがったのでしょうか。
それは、チャに含まれるカフェインが原因です。
カフェインは、もともと植物であるチャが病害虫から身を守るために作りだす物質ですが、神経を興奮させる作用があります。現在、好んで飲まれているコーヒーやココアもカフェインを含む飲み物です。植物が作りだすカフェインが、人々を魅了してきたのです。

長い歴史を振り返ると、人間は自分たちの欲望に任せて、植物を思うままに利用してきました。そんな植物たちは、人間の歴史に翻弄されてきた被害者なのでしょうか?
私は、そうは思いません。

植物にとって、もっとも重要なことは、種子を広げることです。
植物はさまざまな方法で種子を広げていきます。中には、甘い果実を作り、鳥たちに食べさせて種子を運ぶものもあります。じつは、「食べさせて、種子を運ぶ」ということは、植物の常套手段なのです。
人間たちに栽培されることによって、植物たちは世界中に広がり、そして水や肥料も与えられて不自由なく育っています。

 もしかすると、思うままに利用されているのは、私たち人間の方なのかも知れません。

キーワード

関連記事