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「こどもに伝えたい詩歌の世界」(視点・論点)

俳人 長谷川 櫂

日本には古くから詩人たちが詠んできたすばらしい詩歌(短歌や俳句)がたくさんあります。それは日本最大の「知的財産」といってもいいと思います。きょうはその「日本の詩歌のおもしろさ」を今のこどもたちにどう伝えてゆくか、伝えるにはどうしたらいいかという話をしたいと思います。

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 一昨年四月五日に亡くなった詩人の大岡信さんは、現代詩だけでなく広い分野で活躍した批評家でもありました。

今年四月に三周忌を迎えますが、いま「大岡信とは何だったのか」という検証がさまざまな分野で進められています。

 その大岡さんが遺した大きな仕事に『折々のうた』があります。これは大岡さんが一九七九年(昭和五十四年)から二〇〇七年(平成十九年)まで三十年近く朝日新聞の一面に毎朝連載した詩歌のコラムです。
 短歌や俳句を毎日一つ選んで百八十字の短い批評を添える。対象は短歌や俳句だけでなく、今様や小歌のような歌謡、川柳、漢詩、現代詩、海外の詩など、世界中の詩歌に及んでいます。
 新聞、その中でも朝刊の一面は前日のもっとも重要なニュースが載るページです。そこで毎朝、古今東西の詩歌が紹介されるのは世界を眺めても珍しいことでした。

 『折々のうた』は回数でいうと六七〇〇回を上回り、そのすべてが新書十九冊に収録されています。これは最大の詩歌選集、奈良時代の『万葉集』の四五三六首をはるかに超えます。
 日本では古代から詩歌(とくに和歌)が文学の枠を超えて人間関係や政治の場で重要な役割を果たしてきました。そして時代が変わるごとに『古今集』『新古今集』などの和歌の選集(アンソロジー)がそのときの批評家たちによって作られ、時代時代の優れた和歌を集めてきました。
 大岡さんの『折々のうた』は、この古代から脈々とつづく日本の詩歌のアンソロジーの流れを受け継いだうえで、現代の地球的な視点に立って集めた「日本の詩歌のエッセンス」ということができます。

 この『折々のうた』をどうにかして、今のこどもたち、小・中学生が読めるようにできないか。というのは新聞に連載されたといっても新聞の読者の大半は大人ですから、大岡さんの書いた百八十字の文章はこどもたちが読むにはやはり難しいからです。
 そこで私も加わって、大岡さんの『折々のうた』の中から、さらにエッセンスを搾るようにして短歌と俳句を五〇ずつ選び、こどもたちが読めるようにいくつか工夫をほどこした本を作りました。
 まず漢字には「ふりがな(ルビ)」をふり、難しい言葉には解説をつけました。一〇〇の短歌と俳句にすべて優しい現代語訳を添えて、大体の意味がわかるようにしました。
 しかし、いちばん頭を悩ませたのは『折々のうた』に収録された六七〇〇を超える詩歌の中から、どの歌を選び、どの句を選ぶかという「選択」の問題でした。
 本を開くと、

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 石ばしる垂水の上の さ蕨の
萌え出づる春に なりにけるかも     志貴皇子

 「岩を勢いよく流れ落ちる滝、そのそばのワラビが芽を出す春になった。私の人生にももうすぐ春が来るだろう」という『万葉集』の代表的な歌です。

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 目には青葉山時鳥初鰹    山口素堂

 「目にうつるのは山々の青葉、耳に聞こえるのはその山で鳴くホトトギス、そして名物の今年初めてのカツオを味わう。目も耳も舌も楽しませてくれる鎌倉の初夏はなんていい季節だろう」という江戸時代初めの句です。

 このように、誰もがこどもたちに知っておいてほしいと思うような明るい短歌や俳句もあります。しかし、このような大人が「こどもたちが読むのにふさわしい」「こどもも読んでも構わない」と思っている短歌や俳句だけを並べたのでは、薄っぺらなものになってしまいます。

 こどもたちは何を読むべきか。この問題をめぐっては昔から二つの考え方が対立しています。一つはこどもたちは世界の明るい面だけ知っていればいいのだ、暗い面はまだ見なくていいという考え方です。
 しかし、それでは私たちが生きている世界の半分だけしかこどもたちに伝えられないのではないか。それだけでなく、この世界についてこどもたちに誤解させることになるのではないか。むしろこどもたちも小さいうちから人間の世界で起こる幸福と悲惨の両方を知っているべきではないかと考えました。
 誰でもこの世界は美しく楽しいものであってほしい、こどもたちには一生、明るい世界で生きてほしいと願っています。しかし、こどもたちがこれから生きてゆく世界は決して明るいだけの世界ではありません。恋の苦しみもあれば死の悲しみもある、幸福と悲惨が混沌と入り混じった陰翳豊かな世界です。
 そこでこの本では恋の苦しみや老いや死の嘆き、そして戦争を詠んだ短歌や俳句も進んで入れることにしました。こうしてこの本は短歌と俳句による「人生の見取り図」になりました。

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 夏の野の繁みに咲ける 姫百合の
知らえぬ恋は 苦しきものそ   大伴坂上郎女

 『万葉集』の恋の歌です。「夏の野原の草のしげみに咲いているヒメユリの花よ。おまえのようにこっそりとあの人を恋するのは、なんて苦しいものかしら」。

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 命一つ身にとどまりて 天地の
ひろくさびしき 中にし息す      窪田空穂

 こちらは老いを詠う現代の短歌。「私も年をとってしまった。いまは生まれたときからの私の命だけが私の中に消えずに残っている。そして、この広くて寂しい大空と大地の間でかすかに息をしているだけだ」。

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 なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏

 これは人の亡骸(死体)を詠む俳句です。「生きていたときは息が通っていた鼻の穴を、今は秋風が通っている。その人は死んでしまって、その体は抜け殻になってしまった」。

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 ほとんどに面変りしつつ わが部隊
屍馬ありて腐れし 磧も越ゆ    宮 柊二

 第二次世界大戦の中国戦線での歌です。「この前まで生き生きとしていたこの部隊の兵士たちの顔も、泥に汚れ、髭が伸び、そして何より悲惨な戦場を目の前にして今ではすっかり変わり果てた。きょう渡った河原には馬の死体がころがったまま腐っていた。どこまでつづくのか、この行軍は。いつまでつづくのだろうか、この戦争は」。

 現代は核家族化が極端に進み、多くの家庭は親とこどもだけ。こどもたちが老人と接したり、家族の死んでゆく場面に立ち会ったりする機会も少なくなりました。大人たちは恋や老いや死を、できるだけこどもたちの目の届かないところに隠しておこうとします。現代のこどもたちは「明るい無菌室」で育てられているようなものです。
 しかし人生は「こども向け」にはできていません。こどもはやがて大人になります。大人になれば、突然、恋や老いや死を体験することになります。
 こどもたちは、人生には明るく楽しいことばかりではなく、苦しみも悲しみもあることを知り、長い豊かな人生の糧にしてほしいと思います。 

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