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「来訪神の文化的意義を知る」 (視点・論点)

武蔵大学 教授 福原 敏男

 昨年11月末、ナマハゲなど来訪神が登場する行事が、ユネスコ=国際連盟教育科学文化機関=の無形文化遺産「代表一覧表」に、「来訪神 仮面・仮装の神々」として記載されることが決ました。
昨年の大晦日から今現在、東北や北陸地方などでは、来訪神行事が盛んに行われており、無形文化遺産の登録以降、はじめての行事となっています。
私は日本の祭りを調査・研究しており、その成果を大学で学生に教えております。九州北部から中国地方の来訪神行事にも興味を持ち、フィールドワークを行っています。
今回は、仮面仮装の来訪神の持つ文化的意義や、それらの行事を研究することによってどのようなことが明らかになるか、お話しします。

来訪神行事とは、各地の神々が集落の祭りや年中行事にやって来るという民間信仰をもとに、伝承地の人びとが仮面や仮装により、地域の神々に扮する行事です。
世界各地には多種多様な行事が伝承され、来訪神は地域の人びとに幸せをもたらし、災いを除くと信仰されています。クリスマスのサンタクロースもその一つという考え方もあります。

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今回登録された「来訪神」10件の一覧です。
日本列島の来訪神行事は、現在でも広域に数多く伝承され、ある程度の地域的まとまりを以て分布しています。
南北に長い日本列島においては、季節感も、農業に関する年中行事も多様であり、鹿児島県薩南諸島と沖縄県を中心とする南西諸島の来訪神行事は、夏の農業収穫祭を主とします。
それ以外の地域では大晦日、正月、小正月や節分など、冬の行事を中心とします。
特に、旧暦=太陰太陽暦=の一年最初の満月である正月14・5日、小正月の夜に、来訪神がやってくるとされる事例が多いです。これは旧暦7月15日を中心とする盆行事のように、先祖の霊である来訪神が子孫の元を訪れる、とも信仰されてきました。
 来訪神行事には、仮面をつけず、仮装しない行事もあり、この10件も他の行事も、伝承者の熱意、行事の学問的価値、民俗文化財としての重さは同じであり、それが無形文化遺産制度の理念です。
来訪神行事は主に農村部で行われ、毎年、同様の仮面、装束や杖を新しく作り、地域の若者や子ども、厄年の人が身に着けて来訪神役に扮し、行事が終われば道具を破棄します。
彼らは分散して集落の家々を訪れては、各家で、同様の儀礼を繰り返し行ないます。
勉強しない子どもを叱ったり、持参した縁起物を配り、帰りに家の人から餅などをもらう贈答習俗も見られます。

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冬の行事の場合、唱え言などによって、秋の豊作など一年の幸せをあらかじめ祝い、言霊信仰のように、現実のものにしようとする信仰が背景にあります。

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あるいは厄年の人が家々を訪れて自身の厄を落とし、訪問した家族の厄を祓う行事もあります。
訪問した家々でごちそうされ、帰りに水をかけられる行事も見られます。

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甑島のトシドンは一年の歳神様であり、子どもたちに餅を配り、その餅はお年玉の原形とも考えられ、数え年の時代、その餅によって年を取るという信仰がありました。
このように来訪神行事は、神社や寺院と関わる村全体の行事というよりも、「各家の年中行事」と考えられています。

 来方神が目に見える形で姿を現すところも特徴です。そもそも、神々とは目に見えず、見えないからこそ神聖なものであり、水や火など自然の神々や神社に祭られる神々は、目に見えないものと信仰されてきました。
同様に、伝統行事における神々の存在も本来、目に見えないものという伝承が多く、神々は、常には海の彼方や山の頂などの異郷にあり、祭りや年中行事に集落を訪れ、村人を祝福して厄を祓い、終れば異郷に還るとされます。
来訪神行事は、地域の若者や子どもが、仮面や仮装、特に異郷より来訪する旅装束である蓑や笠をつけて現れる、とされることが多いです。それによって、神としての資格を得るとされます。
一方、神社の神々は、その土地とそこに住む人びとを日常的に御守りくださるという観念があり、私たちは、祭りでなくとも神社に参拝することがあります。
つまり、現在でも、神々は祭りにやって来て終われば帰る、去ってゆくという信仰と、神々は常に自然のなかや神社にいる、との両方の観念があり、来訪神は前者です。

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江戸時代の紀行家、菅江真澄によるナマハゲに関する紀行文と挿絵です。1811年、男鹿半島宮沢集落のナマハゲ行事を描いています。

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小正月にナマハゲが登場すると、女性や子どもは衝立のかげに隠れ、大人も遊び半分ではなく、見つからないように心底、怖がっているようです。ナマハゲの腰にはからからとなる箱が下げられて、訪問を告げました。
アマメハギやスネカなどナマハゲに似ている行事は現在の二月後半にあたる旧暦小正月、農耕はじめの季節が多く、東北や北陸の寒冷地方に広く伝承されています。

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ナマハゲという意味は、長く火にあたっていると、皮膚にでる赤い斑紋、火だこを剝ぎ取ることです。来訪神が刃物で模擬的に剥ごうとする行事であり、現在は炬燵(こたつ)にあたってばかりいる子どもが対象とされますが、かつては、農閑期に囲炉裏端にいる大人の怠け癖を責める行事でした。 いよいよ春になるので、農作業の「仕事はじめ」を勧告する合図の行事であった、と考えられます。

来訪神信仰のみならず、民間信仰は近代以降の150年、西洋化、意識や生活の合理化などにより、衰退、消滅しつつあります。戦後の高度経済成長、さらに現代では少子高齢化が民俗行事の全国的衰退に拍車をかけています。
 しかし、民俗行事には子どもの地域教育や若者の自覚向上の役割があります。子ども組や若者組が来訪神行事を担い、かつては若者組に加入するための通過儀礼として、新加入者が来訪神役を務めた行事もあります。年齢集団が地域の「横の繋がり」を強めてきました。
東日本大震災後の復興でも明らかなように、民俗行事を通して地域の絆が強化される役割があることは言うまでもありません。

実際に今回の登録によって行事が復活した例もあります。
例えば、男鹿のナマハゲ行事ではこの登録を機に、7か所で行事が復活し、現在90を超える地区で伝承され、復活させた住民からは、地域の人と触れ合えてよかった、との声が上がっています。
その一方、ナマハゲが家に入ると汚れる、接待する料理の準備が大変であることを理由に、招き入れる家が少なくなっているなど、現代的問題もあります。

今回登録された伝承地には離島もあり、個人宅を訪問するためプライバシー保護の点からも、日本政府の推進するような文化財の観光活用には直結しない事例も多いでしょう。
また南西諸島では現在でも、秘儀=秘密の儀式=である行事もあります。民俗行事は今、現在進行形なので、「地域住民ファースト」が基本であることは言うまでもありません。伝承者とその地域の人々が満足でき、楽しめればそれでよい、と願う人びとも多いのです。 
伝承地にとっては神聖な井戸の泥を、人びとに塗る行事を見ていた観光客が、来訪神に服を汚された、とSNSへ投稿した問題もありました。誰でも情報発信可能な現代、私たちは、無形文化遺産だけではなく、各地域で受け継がれる伝承を、敬意をもって見守っていきたいものです。

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