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「南極の湖から生命のルーツを探る」(視点・論点)

国立極地研究所 助教 田邊 優貴子

国立極地研究所の田邊優貴子です
私は南極の湖の生き物を研究しています。
みなさん南極というとどういう場所を思い浮かべるでしょうか?
それから南極の生き物と言うと、ペンギンやアザラシを思い浮かべるかもしれません。
今日は、まずは南極がどんなところか、それから南極の湖の研究の面白さを伝えて行きたいと思います。

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南極大陸、このように周囲をぐるりと一周、海で取り囲まれています。
さらにこの地図を見ても分かる通り、真っ白な雪と氷で覆われた大陸です。
面積は日本の約36倍、とても大きな大陸です。
南極大陸のこの上の方、少し突き出たエリアがあるんですけれども、南極半島と呼ばれるエリアで、そこを北上すると南米に突き当たります。

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そして、昭和基地を北上するとオーストラリア、それから南アフリカに突き当たります、東京と昭和基地を直線距離で繋ぐと約14,000km、とても離れた場所にあります。

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昭和基地、この星印の部分なんですけれども、この昭和基地のエリア、それから地図のオレンジ色の部分、これはすべて陸地です。
氷に覆われていないこの部分を露岩域というふうに呼んでいます、この露岩域は大陸の面積の約2~3%しか無く、その限られたエリアが少ない生物の生息場所になっています。
この露岩域、湖が沢山あります、昭和基地の周辺だけでも大小100個以上あるんですけれども、どうやって出来たのかと言いますと、約2万年前に最後の氷河期が終わったと共にそれまで大きかった氷が徐々に後退して行きました、そして縮小してその露出した場所に出来たのがこの沿岸の湖です。

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更に氷が小さくなったために大陸が軽くなりました、それにより隆起し、かつて海水面の下にあったようなエリアが陸地に隔離されて出来た湖もあります。

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沿岸のほとんどの湖は、一年の内ほとんどの期間が氷と雪で覆われているんですけれども、真夏に天気が良ければ一ヶ月程水面が現れます。

ほとんどの湖は栄養が乏しく、この写真のように非常に透明です。

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ここは なまず池 という湖なんですが、陸地はご覧の通りあまり生物がいないのでまるで火星のような赤茶けた岩肌が延々と広がっています。
その中で湖に潜ってみると、湖底一面、陸地とは違う豊かな緑の世界です。

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この なまず池 はまるで草原のような生態系なんですが、また近くの別の湖に潜ってみるとそこは違う世界が広がっています。
この長池は巨大なタケノコの森のような生態系が広がっています。

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これらは岩に藻やコケが張り付いて出来たわけではなくて、中まで生き物で出来上がっています。
そのメインになっているのが シアノバクテリア という光合成をするバクテリア、それから藻類、一部の湖にはコケが2種混じってきます。

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この小さな生き物達が数十種類から数百種類集まってこの構造物を作っています。
私達はこれをコケボウズと呼んでいるんですけれども、最大で高さ80cmに達します。
この80cmになるのに約1600年かかると言われています。

氷河で削られて露出した湖の始まりは無生物の状態でした、そこに徐々に生物が侵入、定着していって時間をかけて現在の豊かな生態系になっていきました。
氷河の後退に伴って湖はそれぞれ誕生の年代順に並んでいます、つまり近くに互いに位置する湖はほぼ同じ時代に誕生し、ほぼ同じ時間をかけて、更に同じ気候条件の下、今に至っている、それにも関わらず、それぞれに違う生態系が形成されています。

昭和基地よりも更に内陸に位置する湖、アンターセー湖や、比較的温暖なエリアにある南極半島、広大な南極大陸は場所によって湖の生態系が全く異なった様子になっています。

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南極半島の陸域の生態系は、そのトップにカイアシ類などの動物プランクトン、南極大陸の沿岸は藻類、コケ、バクテリア、菌類だけの生態系になります。
更に内陸に行くとバクテリアと菌類だけ、通常だとその上に大型の捕食者が存在するんですけれども、それらが全てカットされシンプルな生態系になっています。

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宇宙の中に、地球のような生態系がある星があって、またそうではない星があるように、湖ひとつひとつがまるで小宇宙です、湖ひとつがあたかも試験管のようなもので、地球規模の生命の実験の場と捉える事が出来ます。

では、昭和基地周辺の沿岸にある長池に実際に潜って撮影した映像がありますので御覧ください。
湖底は豊かな緑の世界です、水深6~7mにかけて不思議な円錐状のコケボウズがどんどんどんどん大きく密になっていきます。

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7、5m付近で、急にこの大きな構造物が消えて、小さな尖塔状の構造物になります。
登山をしていて森林限界がきたときのようです。

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深いエリアにはコケが存在しないため、大きな構造物が形成されません。
更に内陸のアンターセー湖、見てみましょう。
ここは1年中厚い氷に閉ざされこれまでずっと隔離されてきた場所です。
真夏でも氷の厚さは4m、この4mのトンネルをくぐり抜けて湖底に到達すると、そこには緑の湖とは全く違い、青紫色のドーム状の構造物がいくつも形成されています。

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これらを作っているのはシアノバクテリアと呼ばれる生き物です。

過去の地球の大気は二酸化炭素が非常に多かったんですけれども、約30億年前に初めて光合成によって酸素を発生する生き物であるシアノバクテリアが誕生しました。

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それ以降、大気には酸素が急激に増えていき、酸素呼吸をする真核生物が誕生しました。
真核生物はDNAを膜の中に閉じ込めることにより、当時生物にとって有害だった酸素がDNAに害を及ばさないような仕組みにした生き物です。
それにより酸素呼吸をする私達のような人間も生まれ、この後、酸素濃度の増加によりオゾン層が形成されていきました、オゾン層が形成された事により生物が陸上に進出することが出来ました。
シアノバクテリアが生まれたことにより爆発的な生物の進化が起こりました。
地球の歴史の中で、この時の事を大酸化事変と呼んでいます。

アンターセー湖の生態系はまるでこの約30億年前の原始地球に広がっていたようなシアノバクテリア帝国の生態系に似ています。
沿岸の湖になると藻やコケが生息し、現在に近い生態系になっていきます。
南極半島の湖になると、更に捕食者が生息します。
現在に向かって多様化した生態系になっていることと同じような様子です。

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30億年前から現在にかけて、南極の湖を研究する事によって生態系をあたかもタイムスリップして見ることが出来ます。

南極の湖は地球規模の生態系の天然実験場で、それから原始地球の生態系、生態系の多様化、進化を探ることが出来る非常に面白い場所です。誰も見たことのない、誰も知らない世界を、自分の手や足、自分の目で世界で初めて知ることが出来る場所です。
それが自然を相手に研究をする事の何にも代えがたい面白さだと私は思っています。
また、南極に行くことによって、地球って本当に面白くて美しく不思議に満ちている場所だなといつも思います。

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