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「基礎学問が作る日本の未来」(視点・論点)

東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構 教授 村山 斉

私は素粒子と宇宙の研究をしています。皆さんは全く縁のない研究内容に聞こえると思いますが、実は私たちの存在に直結しています。例えば、私たちの体を作る原子は、昔爆発した星の中でできた、星くずです。星は暗黒物質というお母さんが育てました。そのタネをまいたお父さんはビッグバンの前に起きたとてつもない宇宙の膨張、インフレーションだと考えられています。つまり、私たちはどこからきたのか、を知りたくて研究しているのです。
今日は、日本の未来を作るのはこうした基礎学問だ、というお話をします。

最近はマスコミなどで見ていると、日本は中国にGDP第2位の座を奪われ、財政赤字が膨らみ、高齢化し、人口も減少して、未来は暗い。そんな話ばかりです。でも、こうした話は、そもそも日本が大成功してきた、ということを無視しているように思えます。

アメリカに住んでいて、日本は天然資源がほとんどないと話をしますと、アメリカ人はびっくりします。「それじゃあなぜ日本はこんなに成功しているんだ?」ソニー、パナソニック、トヨタ、ホンダ、任天堂など、アメリカでは日本企業は大きな存在感があります。

一方アメリカは世界最大の石油産出国になりました。土地がいくらでもあるので、何かを潰さなくても、新しいものを作れます。そして移民が入ってくることで人口も増え、文化のせめぎ合いから新しいアイディアが生まれます。まさに成功するべくして成功している国です。一方日本は資源も土地もなく、人口も減っている。

本来ならGDP世界第3位になること自身が不思議な国です。人口一人当たりにすると、GDPは他の先進国と同じレベルです。資源がない、企業に例えれば資本が乏しいのに、これだけ成功しているのは驚きです。

明治維新のとき、それまで封建国家で、鎖国のため西洋の情報が乏しかった日本が、列強の植民地にならず、ものすごい勢いで近代化を成し遂げたのも驚きです。どっと押し寄せる西洋文明をちゃんと理解し、受け入れて、使いこなして近代産業を育てることができました。どうしてでしょうか。

私に思いつけるただ一つの理由は、日本の基礎学問の力が高かったことです。
当時の世界の中でも、識字率が高かったそうです。子供たちが読み書きそろばんを習い、一般の人がベストセラーの本を買って読んでいました。数学のレベルがとても高く、ニュートンやライプニッツと同時代に、関孝和が独立に微分積分学を打ち立てていました。

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一般の人も数学の定理を証明し、「算額」を神社に奉納するという文化までありました。こうした基礎学問の高いレベルがあったからこそ、押し寄せる西洋の文明にアップアップせず、きちんと蒸気機関の仕組みを理解し、鉄道を敷き、産業革命を急ピッチで進めることができました。

戦後はどうでしょうか。第2次大戦で日本のインフラはとてつもなく破壊されました。
その後2度のオイルショックもありながら、日本は世界でGDP2位に躍り出たのです。これも資源のなさを上回る、頭脳の力があったとしか思えません。勤勉さだけでは欧米の企業を超える製品を作ることはできなかったはずです。世界で初めてハイブリッド車を成功させたトヨタのように、日本の産業はその「賢さ」、先端性で成功しています。

世界で誰も思いつかなかったものを作る、これはよく「イノベーション」と言われます。すぐ思いつく例はiPhoneではないでしょうか。iPhoneを作ったSteve Jobsの基調講演を聞くと、どの技術をどう組み合わせたか、ということは話していません。むしろ彼が強調しているAppleの強みは、technologyとliberal artsの交差点だ、ということでした。

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Liberal artsというのは、職業や専門に直接結びつかない、いわば「役に立たない」教養・学問のことです。人間が人間らしくあるために不可欠なもの、それがこうした基礎的な学問であり、それとテクノロジーが交差するところでiPhoneのような世界を変えるイノベーションが生まれた。この点はあまり知られていないように思います。

実は真のイノベーションは、みな好奇心に基づく基礎学問の研究から生まれました。これから日本はリニア新幹線を建設しますが、そのコアになるテクノロジーは超伝導。ある種の物質をとことん冷やすと電気抵抗がなくなり、ロスがなく電気を流せるので、その力で新幹線を浮かべて、時速500kmでもゆれずに快適に乗ることができます。この超電導は、昔オランダの研究者が、「ともかく冷やしてみたい」と純粋に好奇心でいろいろな物質を冷やしているときに、たまたま気づいた現象です。
他にも癌の診断に使うMRIや、将来期待されるロスのない送電など、夢が膨らむものですが、全くの基礎学問から出てきたものです。

今のビジネスはインターネットのウェブ無しでは考えられません。これでアマゾンやヤフー、楽天といった新しいタイプの企業が生まれました。実はこれはCERNというヨーロッパの基礎物理学の研究所で、宇宙と物質の成り立ちを探求する研究の中から生まれました。世界中の研究者が実験データを共有するために作られたシステムが、世界中の消費者が買い物をするシステムを生み出しました。
これも全くの基礎学問から出てきたものです。

極め付けは素因数分解でしょう。紀元前300年、古代ギリシャのユークリッドが証明した数学の定理ですが、全ての整数は素数の掛け算で書くことができる。今でも日本の小学生が、84を素因数分解しなさい、という問題を与えられて、頑張って84=2×2×3×7という答えをだしています。何の役にも立たないように見えますが、実はこれが今のインターネット通信の暗号化の基礎になっています。インターネットの買い物で心配せずにクレジットカード番号を入力できるのは、ユークリッドのおかげなのです。

こうして基礎学問が真のイノベーションを生み出しているわけですが、基礎学問は世界共通のものなので、わざわざ日本が投資する必要があるのでしょうか。例えばアメリカでの
発見を、すぐさま吸収し使えるようになれば、日本の国として投資する必要はないように
も思えます。

実は先日ノーベル委員会のメンバーとお話しする機会があり、この質問をぶつけてみました。スウェーデンは基礎学問のサポートが厚い国ですが、王立アカデミーのメンバーはこう説明しているそうです。「別の国で大きな発見があっても、自分の国にその重要さを理解
し、すぐそれに取り組む素地のある研究者がいなかったら、競争に乗り遅れ、産業がそだたない」まさしく、明治維新の前の日本のように基礎学問の素地があるかどうかが重要だ、というわけです。

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資源のある国ですら大事に思う基礎学問を、資源のない日本ではもっと大事にするべきです。ですが、OECD諸国の中で、政府の科学技術への投資は下から数えた方が早く、トップの韓国の半分です。日本の投資は、今の倍くらいにして初めて競争力があると私は思います。

また、日本の基礎学問の施設は、世界で一つしかないすばらしい施設があります。

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梶田さんのノーベル賞に結びついたスーパーカミオカンデ、小林さん、益川さんのBelle測定器、ノーベル賞級のすばる望遠鏡、J-PARC加速器など、何百人もの外国の研究者が使いに来る施設です。ですが、こうした最先端施設への政府予算は、10年前の半分になり、新しい施設を作る予算がないだけでなく、既存の施設の運転もままならない状況になってきています。人類の財産を有効に活用できない状況になっていて、世界の研究者から心配されています。むしろこうした施設を最大限活用しつつ、さらに世界から何千人という研究者が集まる施設、例えばILC・国際リニアコライダーなどをホストして、日本の基礎学問での世界的地位を高めていくべきです。

資源のない日本がこれからの時代を勝ち抜くために必要な基礎学問。
これにきちんと日本政府が投資していってほしいと思います。


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