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「シリーズ・北方領土交渉の行方② 安全保障の観点から」(視点・論点)

防衛研究所 地域研究部長 兵頭 慎治

北方領土交渉が、新たな局面を迎えようとしています。

11月14日にシンガポールで開かれた日露首脳会談では、1956年に結ばれた「日ソ共同宣言」を基礎として平和条約締結交渉を加速させることが合意されました。さらに、12月1日にブエノスアイレスで開かれた首脳会談では、両国外務大臣を交渉責任者とする新たな交渉枠組みの設置が合意され、来年夏にも想定されるプーチン大統領の訪日までに、平和条約締結に向けた大枠合意を目指すものとみられています。

従来、平和条約締結交渉は、主に経済協力の観点から議論されてきました。過疎化するロシア極東地域の発展に日本が貢献すれば、領土交渉が前進するとの考え方です。最近では、ロシア側から安全保障上の問題が提起されるようになり、北方領土をめぐる議論は経済から安全保障の分野へと広がりを見せています。

北方領土返還に向けた具体的な交渉をロシア側と進めていく上で、こうした安全保障の議論を避けることはできません。そこで、本日は、安全保障の観点からみた北方領土問題について考えてみたいと思います。

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2016年11月、プーチン大統領の側近であるパトルシェフ安全保障会議書記は、「島が引き渡されたら米軍駐留の可能性があるのか」と日本側に問題提起を行ったと伝えられています。また、プーチン大統領は、2016年12月に日本を訪問した際、ロシア極東地域には2つの大きな海軍基地があり、北方領土はロシアの艦船が太平洋に出ていく重要な通り道にあたる旨述べています。さらに、2017年6月には島の非武装というオプションもあり得ると述べたほか、2017年11月には日米安全保障条約が交渉にどのような影響を及ぼすのか見極めなくてはならないと発言しています。
 
ロシアの安全保障にとって、北方領土はどのような価値を有しているのでしょうか。
まず、オホーツク海の戦略的重要性について指摘したいと思います。

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オホーツク海は、冷戦時代から、米国に向けた核の発射場として、核兵器を搭載したロシアの原子力潜水艦が自由に航行できる海域として軍事的に重視されてきました。先ほど紹介したプーチン大統領の発言にあるように、ウラジオストクにはロシア海軍太平洋艦隊の司令部が、カムチャツカ半島には原子力潜水艦の拠点が配置されています。つまり、ロシアは、オホーツク海を外国の軍事的影響力を排除した「内なる海」、「ロシアの聖域」とみなしているのです。「新冷戦」と呼ばれるようにウクライナ問題などをめぐって米露関係が悪化する中、ロシアの安全保障にとってオホーツク海の戦略的な重要性は増していると言えるでしょう。

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さらに、北極海航路の誕生により、オホーツク海がアジアから北極海に向かう外国艦船の通り道になるという新たな要因も加わりつつあります。中国海軍の艦艇は、2013年7月に史上初めて日本海から宗谷海峡を通ってオホーツク海に入ったほか、2015年8月にこの北極海航路を利用して米国アラスカ沖のベーリング海にまで進出しています。そこで、近年、ロシアは、北極海、オホーツク海における自らの影響力を維持するため、大規模な軍事演習を行い、軍事力の近代化を図るなど軍事プレゼンスの強化を図っています。例えば、この北極海航路を挟む形で位置する千島列島のマトゥア島とパラムシル島に新たな軍事拠点を置くことにより、外国艦船がオホーツク海に入ることを軍事的にけん制しようとしています。

そのオホーツク海と太平洋を隔てるフェンスの役割を果たしているのが、ロシアがクリル諸島と呼ぶ北方領土と千島列島となります。オホーツク海を「軍事的な要塞」にするためには、ロシア軍はこのフェンスをしっかりと守る必要があるのです。

こうした北方領土を、ロシアは軍事的に手放すことはあり得るのでしょうか。

択捉島と国後島に挟まれた国後水道は、オホーツク海から太平洋に向けたロシア海軍の重要な出入り口となっているため、国後島と択捉島には3500人のロシア軍を駐留させています。ロシアの軍事戦略を記した「軍事ドクトリン」では、日本からの領土要求を念頭に、「外国からの領土要求はロシアにとって軍事的危険」と記されています。3500人という兵力規模に変化はありませんが、両島には新型の地対艦ミサイルが配備され、択捉島には新しい軍民両用空港が建設されるなど、ここ数年、軍近代化の動きが目立ちます。

他方、1956年に結ばれた「日ソ共同宣言」において、平和条約締結後、日本に引き渡すことが明記されている色丹島と歯舞群島にはロシア軍は駐留しておらず、国境警備隊の基地や警備船、監視所などが配置されています。ロシアの安全保障にとって、大きな2つの島と小さな2つの島では、その軍事的な重要性が大きく異なるのです。

小さい2つの島をロシアが日本に引き渡す場合でも、将来的に米軍が駐留することをロシアは強く懸念しています。米国が率いる軍事同盟NATO・北大西洋条約機構が、欧州においてロシアに向かって拡大してきたことにロシアは強く反発してきました。色丹島と歯舞群島への米軍基地の設置は現実的ではないとしても、日米安全保障条約は日本の施政下にある領域に適応されるため、有事においても米軍が展開しないことを日本が文書で確約することは難しいのではないかと私は思います。

さらに、去る10月、トランプ大統領が中距離核戦力全廃条約、通称INF条約からの離脱を表明したことから、中距離核に関する米露間の軍備管理枠組みが来年中にも消滅する可能性が高まっています。その場合、北方領土や千島列島も含めたロシア極東地域において、日本が射程に入る中距離核をロシアが将来的に配備する可能性についても想定しなければならなくなります。

ロシアが引き渡した島に米軍が展開することはあるのか、ロシアに残された島に中距離核が配備されることはあるのか、今後の領土交渉の中で、日露双方が議論すべき安全保障上の課題が浮き彫りになりつつあります。こうした相互の安全保障上の懸念を払拭するためにも、早期に平和条約を締結して、日露関係を正常化しておくことの意義は高まっていると言えるでしょう。

ロシアは、非常に広い地図を頭の中に置いて、安全保障の観点から日本との領土問題を考えています。北方四島のみを切り取った政治的な議論が、ロシアには通じないのはこのためです。北方領土を取り巻く地政学的な環境は広がりを見せており、中国や北極海まで視野に入れた形で、東アジアの安全保障の観点から議論を重ねていくことが重要です。

北方領土をめぐる議論は、これまでの経済協力から、ようやく安全保障上の具体論にたどり着きました。その意味において、前進していると言えるでしょう。
日露間の安全保障上の議論がさらに深まり、領土問題解決の道筋が見えてくるかどうか、今後の交渉の行方を見守りたいと思います。

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