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「児童虐待を防止するために」(視点・論点)

東京都多摩児童相談所長 佐柳 忠晴

東京目黒区で5歳児が虐待死した事件について、厚生労働省が検証結果を発表しました。香川県や東京都の児童相談所すなわち児相から聞き取り調査を行ったもので、報告書の大半が香川県の児相の不適切な対応への批判で占められています。しかし、リスク評価表を作っていないなど事務的・技術的な指摘が多く、かつ、なすべきことをなさなかったという不作為の「事実」を並べただけであり、この事件の本質を突いているとは思えません。
  私の児童相談所長としての経験では、長期間の一時保護の後に無条件で家庭引取りを認めることや、家庭裁判所への審判申立を理由なく避けることなどあり得ないことであり、香川県児相の専門性と質を疑わざるを得ません。このような、香川県児相に質の低下をもたらした原因は何か、この点こそ、事件の核心として検証すべきであると考えるのです。

ここで、児童虐待防止法制の沿革と児相の体制について、簡単に触れておきます。

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 2000年に「児童虐待の防止等に関する法律」いわゆる今の「児童虐待防止法」が制定されましたが、その後も、児相の権限と責任を強化する様々な法改正が行われています。2011年には、児童虐待の防止を目的として民法が改正され、親権喪失や親権停止の審判などが規定されました。2017年には、性的虐待に対する「監護者性交等の罪」などが、刑法に新設されました。
 また、児相は、児童福祉のための相談援助の機関で、児童虐待への対応の専門機関として、全国に211カ所あります。多くの都道府県では、知事の権限の大半が児童相談所長に委任され、児童虐待への対応の最終決定権は児相の所長に属しています。児相でソーシャルワークを担当する児童福祉司の配置数は、政令の配置基準を標準として、全国で約3,200名が任用されています。

次に、児相の質の低下について、その原因を考えます。

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 2000年に「児童虐待防止法」が制定されましたが、それ以前からの児相の権限として、一時保護、立入調査、児童福祉司指導の措置、施設入所等の措置、施設入所等承認の申立てなどがあります。2000年以降は、安全確認の措置、臨検・捜索、親権喪失・親権停止の審判申立て、面会・通信の制限、接近禁止命令など権力的な権限が追加されてきました。
児相は、児童と家庭を支援するソーシャルワークの機関から、権力的な行政機関への転換を余儀なくされている、と言っても過言ではありません。
 例えば、安全確認の措置については、厚生労働省の強い指導があり、児相は虐待通告の受理後48時間以内に、子と面会して安全確認を行うことになっています。しかし、画一的な48時間以内の安全確認は、虐待対策が進んだアメリカでも行われていない厳しいもので、完全に履行することは困難であると思います。また、臨検・捜索は、鍵の破壊も可能な強制立入調査であり、親との激しい葛藤の中で実行しなければならないため、全国の児相ではほとんど行われていません。これらの業務は児相の本来の能力を超えた権限であり、それを実践しようとすることが、かえって児相の機能を低下させることになっているのです。

 全国の児相の総相談件数は、2000年度の年36万件から2016年度は45万件と年9万件増えていますが、その主な要因は虐待ケースの急増です。

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2000年度から2017年度の18年間で、全国の児童虐待の相談対応件数と児童福祉司の配置状況の推移を比較すると、相談対応件数が約1万7千件から13万3千件の7.5倍に急増したのに対して、児童福祉司の配置数は約1千300人から3千100人の2.3倍にしか増えていません。児童福祉司の対応力は、基本的にはその担当するケースの数によって決定されます。一人当たりの担当ケース数が多ければ多いほど対応力が下がり、ベテランから新人への日常的な指導や助言も不十分となります。児童福祉司の量の不足は、必然的にその質の低下を招くと考えられます。
  また、この10年間、全国の児童福祉司の勤務年数は3年未満が44%前後で、経験の浅い児童福祉司が半数近くを占めています。原因は、新任職員が配置される一方で、虐待対応に疲弊した児童福祉司が、他の部署に転出するからです。その結果、経験の蓄積と新人の育成ができず、児相の専門性と質が長期的に低下するという悪循環に陥っているのです。
    
それでは、児相の専門性と質の向上を図るためには、どうすればいいのでしょうか。
 第一に、児相の一人三役の解消が必要だと思います。わが国の児相は、児童と家庭のためのソーシャルワークの業務に加え、一時保護の決定、面会と通信の制限、接近禁止命令などの「裁判所の職分」、また、立入調査、一時保護の実行、臨検捜索などの「警察の職分」という一人三役を果たしているのです。児童の相談援助機関が、裁判所や警察の職分を兼ね、さらにその範囲が拡大される傾向にあることは、児相の本来の機能の喪失につながると考えます。

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 この点、イギリスでは、裁判所は、ケア命令・監督命令・緊急保護命令で地方当局に子の保護を命じ、警察は、警察権限で子を施設に収容するなどの実力行使を行います。フランスでは、裁判官が育成扶助・親権の取上げ・一時保護の命令を出し、緊急時の一時保護は、裁判官の命令で警察が実力行使を行い、検察官には一時保護の独自の権限が付与されています。また、イギリスとフランスの児童援助機関はソーシャルワークに専念し、権力的な決定や実力行使は行いません。裁判所、検察・警察、児童援助機関は、それぞれの役割を明確に分担して児童虐待に対処しているのです。
 わが国においても、裁判所は、一時保護や親権停止などの法的決定、警察は、臨検・捜索などの実力行使、児相は、児童と家庭の支援というように、イギリスやフランスと同様の役割分担に向けて、法改正を行う必要があると思います。
 第二に、児童福祉司の量の確保とともに、その専門性と質の向上が急がれます。まずは、今後5年程度かけて、児童福祉司を現在の2倍以上に増やす必要があると思います。ただ、短期間で質の高い児童福祉司を大量に育成することは難しく、一定の時間がかかります。一人前のソーシャルワーカーになるためには、短くても3年、通常は5年必要でしょう。今後は、社会福祉士の資格を条件として児童福祉司を任用し、経験が豊かで指導能力の高いスーパーバイザーの個別指導を通じて、児童福祉司を高度な専門職として、計画的に育成する必要があると思います。
最後に、厚生労働省は、東京目黒区の虐待死事件を契機に、児童虐待への対応マニュアルを改正し、全国の児相に通知してその順守を徹底するそうです。
しかし、マニュアルの改正などという「その場しのぎ」の対策ではなく、児童相談所の専門性と質の向上のための抜本的な対策を講じることを、強く願うものであります。  


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