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「シリーズ・次世代への遺産 船村 徹」(視点・論点) 

作曲家 弦 哲也

(※ギターを弾く弦さん)
「別れの一本杉」。船村徹先生の名作です。
代表曲でもあり出世作でもありました。
僕が少年の頃、好んで歌っていた歌は「柿の木坂の家」「あの娘が泣いてる波止場」「早く帰ってコ」大好きでした。そんな偉大な作曲家、船村徹先生と今年は永遠のお別れをしました。

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歌謡界、作曲界の大きな大きな太陽だった存在の船村先生と初めて会話をというか、声を掛けていただいた時のことを今でも覚えています。
「君は確か海の町、千葉の銚子だったね、私は山の出身だよ」と。
「故郷を持ってるっていいんだよ、故郷イコール原点だろ、原点を忘れないで全て何をもっても活動する、活動できる。これは幸せなことだよ。故郷を忘れちゃいけないな」と言われたのが未だに耳に残っています。
船村メロディー、たくさんの方が好んで、歌われて、そして色んな分析をされる方もいます。僕のような若輩者が船村メロディーを語ることは、とてもおこがましいんですけれども、船村メロディーは後にも先にも同じような曲調がないんです。
とてもオリジナリティの高い作品がいっぱいある。
今、世はまさにカラオケ全盛、カラオケブームから今、カラオケ文化と言われていますよね。カラオケファンが歌う曲イコールヒット曲と言われている今ですけれども、そこにいつも背を向けて私は私だと、そういうある種、いい意味の頑固な歌作りをする先生でした。

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船村先生のメロディーというのは、まず力強いんですね。骨太なメロディーです。
でもその力強い骨太なメロディーの裏に、暖かさであったり、哀愁であったりが、いつもあるんですよね。昭和30年代、日本の高度成長期時代ですね、若者達が地方から都会へ都会へと集まっていた。そんな時代、当然成功する者がいて、また失敗する者がいた。勝者敗者がいました。船村先生は、そんな敗者を励ます歌を数多く作っていました。東京だけが活躍の場じゃないよと。地方へ行ってもういっぺん頑張ってみる。これも人生じゃないか。そんなような歌がすごく多かったんです。
今、地方分権とかっていう言葉が聞こえてきますけれども、そんな時代から「地方の時代」だと、歌でもって船村先生は訴えていたような、そんな気がします。
私も歌手になるために、東京に出てきました。14歳の時でした。
なかなかチャンスが巡ってこないんですね。
そんな焦っていた自分の背中を、ポンと押してくれた船村メロディー。
大好きな歌にこんな歌があります。

歌・東京は船着場
  作詞 高野公男
  作曲 船村徹

どこか東京の片隅に 
夢があろうときはきてみたが
花も咲かずに今宵もふける 
ここも涙のふなつきば

「東京は船着場」っていう歌でした。
船村先生はライフワークを持っていました。
北から南にギターを持って旅をするんです。
その旅の目的は演歌巡礼、同行二人です。
歌は1人で作るもんじゃない、作詞家がいて、そして歌手がいて、みんなで作る。そんな歌仲間がいて1曲の作品ができる。
で、その大切な仲間達が先立ってしまう。
先立ってしまった、その友の分まで自分はこれからも歌作り、もう少し旅をするぜ。そんな同行二人の思いで、演歌巡礼、ギターを持った旅を続けました。
僕も作曲を志して、そして今その場にいるわけですけれども、そんな船村イズムを少しでも継承できたらいいな、と思っています。それが僕の夢です。
ギターを持って、船村先生、私も旅に出ていますよ。
そんな旅先で、船村先生に私の歌も聞いてもらいたいな。

(ギター みだれ髪)

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