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「明けまして という希望」(視点・論点)

作家 青木 奈緒
 
 2018年が始まりました。お正月というものは、日ごろ行事や節目をさほど意識しない毎日を送っていても、このときばかりは特別という気がいたします。家々にお正月飾りや松が飾られ、家族の朝の挨拶もいつもの「おはよう」ではなくて、「おめでとうございます」に変わります。ごちそうはお節にお雑煮。そうこうするうちに郵便受けには年賀状が届いていようという塩梅です。お正月の晴れがましさは格別です。

そうはいうものの、一年はあっという間にめぐりめぐって、お正月を余裕を持って迎えていられないときもございます。年の瀬の忙しさはひときわですし、新年を迎えるためにはそれなりの支度も必要です。あれもしなきゃ、これもしなきゃと駆けまわるうち、大もとにある家族を思う気持はいつしかうすれて、義務感ばかりが先に立ちます。

 ちょっとばかりささくれ立った心の内に「めでたくもあり めでたくもなし」という、一休さんが詠んだお正月の歌の下の句が思い出されます。

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この歌の上の句は「門松は冥土の旅の一里塚」、そのあとに「めでたくもありめでたくもなし」とつづきます。昔の人は実年齢ではなく、数えで齢を数えますから、お正月にはみんな一緒にひとつ歳を重ねました。一度きりの人生で、寿命がいつ果てるかは当人には往々にしてわからないものですが、一年ごとにその時は確実に近づいているという。まさにめでたくもあり、めでたくもなしという心境です。それでもこの歌を思い出すと、見失っていた本質に立ちもどれる気がいたします。

 そしてお正月となると、「あらたまの年立ち返る」と、もうこれだけで新年の清らかさが感じられます。

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拾遺和歌集の素性法師の歌でしたら、「あらたまの年立ちかえるあしたより待たるるものは鶯のこえ」。前日、大晦日までの慌ただしさが一転して、耳をすませて、どこかに鶯の声が聞こえやしないだろうかと、待ち遠しく思う気持が詠まれています。太陽暦となった今は、春告げ鳥と呼ばれる鶯が鳴き始めるまでにはまだ三月やそこら間があるわけです。歌のリアリティはうすれていますが、年明けの静謐なしずけさが感じられて私は好きです。

 同じ「あらたまの年立ち返るあしたより」という上の句で、もっと親しみを持つのは、「若やぎ水を汲み初めにけり」という下の句です。

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これは落語の「かつぎや」とか「正月丁稚」に出てくる歌で、縁起担ぎが好きな旦那さんが使用人に元日の朝一番に井戸から若水を汲むように言います。その折に「あらたまの年立ち返るあしたより若やぎ水を汲み初めにけり」と三回唱え、橙を井戸に落として、「これはお年玉でございます」と言ってから汲むようにというのです。ところが丁稚は和歌をひとつも覚えられなくて、即興で口にするのは縁起の悪ことばかり。「目ん玉のでんぐり返るあしたより末期の水を汲み初めにけり」と唱えて、橙を「これはお人魂」と投げ込みます。

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 ここに出てくる橙という柑橘類は、お正月の鏡餅の上にのせるものでもあるのですが、「代が重なる」という意味の縁起担ぎです。では、なぜ柑橘類の橙が「代が重なる」という縁起担ぎになるのかというと、ダイダイという語呂合わせというだけでなく、柑橘類の橙の果実の特徴によることでもあります。冬になって橙色に色づいた果実をそのまま木にならせておくと、枝から落ちずに、春から夏へと季節が移ろううちに橙色から徐々にふたたび緑色を帯びてくるのです。これが理由で橙には「回青橙」という呼び名もあり、夏を越えたころからはその年の春に咲いた花からなる若い実と、前年の果実とが一緒に木になるようになる。二代、三代の実が一緒になるから、代々だというのです。

 実家には金柑の木があるのですが、金柑の実も収穫しないでおくと、夏には緑にもどっていることがあって、若返りのような不思議な生命力を感じます。

 季節とともに緑色から色づいて橙へ、その橙からふたたび緑へという回青という現象は「年が立ち返る」というイメージにも重なります。先ほどの落語にも出てきましたが、お正月の朝一番に汲む水を若水と呼ぶのも、年立ち返るという意識からでしょう。このことばには、原点、振り出しにもどる、初心に返るという意味があります。おのずと一年の四季折々のめぐりが思い浮かびますから、目先のことから視線がいったん離れて、大局からというほどではないにしても、大きな視野が広がります。

 これとはまた別に、お正月には「年が改まる」という表現も多く使われます。改まるということは新しくなるということの外に、悪いところをただして良くする、また、居ずまいをただすという意味もあります。「立ち返る」が初心を忘れず、原点回帰であるとすれば、「改まる」には身が引き締まる新年の空気の中で背筋をのばし、去年よりは今年と心に誓う思いがこもるのではないでしょうか。

 お正月の風習は地域によっても違いますし、年始にあたって思うことは人それぞれです。新しい年を迎えるということにどんな意味があるのか。毎年のことながら、考えさせられます。用意万端、すみずみまで行き届いて新年を迎えるのも、ただ一椀のお雑煮を心ゆかせとするのも、どちらも心の節目であることに変わりはありません。その意味では、定番中の定番ではありますけれど、「明けましておめでとうございます」という挨拶にお正月の気持は言い尽くされているのかもしれません。

 「明ける」ということは、暗闇だったところに光がさして、明るさがもたらされるのです。明るいということ自体、夜目のきかない人間にとっては何より有り難いことであり、明かりをふんだんに使うことができなかった昔には、明けるということばにより切実な思いがこもっていたのでしょう。それまで見えなかった物事が輪郭を成して、見えてくることであり、見えることはすなわちわかること、そこから安心にもつながり、希望もひらけます。

 「あけましておめでとうございます」という挨拶には、新しい年への希望がこめられています。この一年がどなた様にとっても明るくありますように。よそから照らしてもらった明るさは、今度は自分が周囲を照らす明るさに換えられるように少しでも努めたいと思っています。

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