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「シリーズ・次世代への遺産 日野原 重明」(視点・論点)

諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實

今年の7月、日野原重明さんがお亡くなりになりました。
同じ仕事をしている先輩として、日野原重明先生からたくさんのことを教えられてきました。
一番印象に残っているのは、医療というのはサイエンスが半分で、半分はヒューマニティだって言われたことです。とても納得できたんですね。これは僕が医療活動をしていく上で、とても大事な柱になりました。
今日は日野原先生から学び受け継いでいきたい、3つの大きな柱を語りたいと思います。

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日野原先生は105歳まで生きられたんですけれど、鎌田流に見て、なんで長生きできたのかなと考えてみます。
1つはよく歩いた。これは日野原先生から学ばなくちゃいけないんじゃないかと思っています。2番目としては肉が大好きだったんです。朝食と昼食は大変軽いんです。特に昼食は牛乳とビスケットちょっとというぐらいで、でも夜は「よくビフテキを食べているよ」と言っておられました。一緒に旅をした時なんかも、夕飯はものすごく食欲旺盛でした。僕達日本人の1つの食事の欠点があるとすれば、野菜はよく食べるようにこの頃なりだしたんですけれど、タンパク質が足りない、ということがあります。日野原先生が長生きだったのはタンパク質をとっていたからだと思います。3番目は、ちょい太ですよね、決してメタボになりすぎない、だけど痩せてはいない、これも健康で長生きの日野原先生から学ぶ大事なことかなと思っております。4番目は好奇心がとても旺盛でした。98歳になられても俳句やられたり、書道を始めたり、絵を描き出したりとか、色んなことに挑戦をしていきました。高齢だからもうしょうがないって思わなかったところ、これが日野原先生の長生きの、1つの大きな理由だったかもしれません。5番目は、ボランティア活動など、社会貢献だとか、人のために、ということを先生は非常に一生懸命やられたことです。アメリカのカーネギーメロン大学の調査で、ボランティア活動する人は高血圧になるリスクが40%少ないというデータもあります。日野原先生は丸ごと、誰かのために、と思われていた。それが先生を長生きさせる大きな要素になったと思います。

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次は、日野原先生から学ぶべきことです。
日野原先生は、今年の1月に転んで肋骨に骨折の疑いが起きるんですね。それから誤嚥性の肺炎が起きるんです。病院に1回は入院するんですけれど、短期入院にして、自宅へ帰られます。
その時期、先生は、死は恐いっていうことを言われています。でも日野原先生は、1つ1つ、自己決定しているんです。僕たちはこの「自己決定」の態度を学びたいです。延命治療するかどうか、というのも家族で迷って、病院の先生達が来てくださって説明をしようとしたら、日野原先生が「いや、僕は延命治療はいりません」と、自分で自己決定をしている。病院ではなくて自宅がいいって自分で決めて、次男のお嫁さんに主に介護していただきながら、介護保険もちゃんと利用しながら、先生は最後の最後まで、3日前まできちっと色んなことをやろうとしたと、言われるんですね。亡くなる2週間ほど前にもう死を納得していて、恐くないって先生自らの言葉で言われました。
これは家族にとっては、とても救いになった。
本当は、どっちが良かったんだろうか、家族はいつも悩むんですね、延命治療したほうが良かったんじゃないかとか、患者さんがいやだって言っても無理矢理病院に連れていったほうがいいんじゃないか、とか思われるわけですけれども、日野原先生自身が決めて、しかも最後に納得している、恐くないと言ってくれたことは、家族にとってはとても救いになりました。亡くなる3日前、少しでも良くなろうと思って、お嫁さんに体操やろうって言われていた。ここは日野原先生からとても学ぶべきことです。
最後の最後まで、一人一人が一生懸命自分の命を生き切ることの大事さを、日野原先生は、自分の生き方を通して伝えたかったんじゃないかな、という風に思っております。

最後に僕が伝えたいことは、日野原先生が次世代へバトンタッチを仕掛けてきたことがいくつかあるという事です。
1つ目としては、「生活習慣病」という言葉を先生が使い出したんですね。それまでは老人病とか成人病という風に言っていたんです。老人病や成人病って言うと、仕方がない、年取ったら仕方がないって思われたのに、「生活習慣病」と言ったことによって、生活習慣を変えればなんとかなるんだ、ということで、日本を動かしたんですね。同時に日野原重明さんは、まさにそれを自分の体を通して、人生をかけてやられた。これは僕達がちゃんとバトンを受け取って、一人一人が自分達の生活習慣を、少しずつ変えていくことが大切。実践していくことが大事だと思っています。
2つ目は、日野原先生は聖路加病院の中に、聖路加看護大学を作られました。
日本の医療はドクターが中心になってしまった歴史があるんですけれども、看護師さんの仕事をとてもリスペクトしていました。これから高齢化社会を迎えていった時、医療を担う医師と、看護を担う看護師さんと、介護する色んな種類の専門家とが同じような目線で、お互いがリスペクトし合いながら、困っている一人一人の患者さん達に手を差しのべていくことの大切さ、これも僕達は、バトンを受け継がないといけないだろうと思っています。
3つ目は、日本の緩和医療を大きく広げるきっかけになられました。ピースハウス病院というホスピスの病院をつくられたりしながら、先生が医療の中の実践として、亡くなっていく方に、寄り添うという形で看ていくことの大切さを伝えてくれました。今日本人は3人に1人が癌で亡くなっていく時代になっています。ですから緩和医療を、もっともっとバトンを受け継いで押し広げていく必要があると思います。
4番目は高齢者の生き方を変えていくことです。具体的に言えば新老人の会を結成したりして、全国で新しい波を打ち出したんですね。ご自分自身が103歳になっても乗馬をやってみようかとか、毎年毎年新しい挑戦をしながら、高齢者は、なんかしてもらう側になるっていうだけじゃなくて、自分の健康を守りながら、まだまだ色んな地域貢献や社会貢献ができるという、新しい生き方を示してくれたように思います。
日野原先生はたくさんの業績を残されました。とてもユーモアのある人でした。それから楽しむことが大好きな人でした。好奇心がいっぱいの人でした。そして弱い人に優しい人でした。時代を切り開くのが上手い人でした。
先生、とても寂しいです。
ご冥福をお祈りいたします。

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