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「源実朝の祈り」(視点・論点)

東京大学大学院教授 渡部 泰明

源実朝は、鎌倉幕府第三代将軍であり、また『金槐和歌集』という名で知られる家集をもつ、著名な歌人でもありました。源頼朝と北条政子とのあいだに生まれ、十二歳で将軍となり、二十八歳のとき鶴岡八幡宮で暗殺されました。歌人として中世から評価を得ていましたが、近代になって正岡子規らアララギ派の歌人たちが絶賛したこともあって、和歌の歴史に大きく名を留めることになりました。将軍であり、若くして死んだ特異な生涯が注目されたこともありますが、それだけではありません。

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「もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ  
 いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる
 大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも」

 などの歌々は、古典和歌には珍しい響きをもっています。そして私たちの心にストレートに訴えかける力をはらんでいます。ただ、実朝の歌について、単純に彼の心情がそのまま表れた歌だと考えてしまうと、実朝が歌に込めようとした、もっと大事なものを見失ってしまうかもしれません。そのことを次の歌から考えてみましょう。

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「建暦元年七月、洪水天に漫(はびこ)り、土民愁歎せむことを思ひて、
 一人本尊に向かひ奉り、いささか祈念を致して云はく、
 時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ」

 建暦元年、すなわち一二一一年の七月、洪水が天までみなぎり、住民が愁い嘆くことを案じて、自分一人、本尊としている仏様に向い申し上げて、いささかの祈りを込めて、歌を詠んだ、という前書きがついています。洪水に苦しむ民を思い、仏様に祈った歌だというのですね。「八大龍王雨やめたまへ」という下句がとても印象的です。八大龍王というのは、仏教語で、法華経を説法したときに聴聞した八種類の龍王のこと。その中に娑伽羅龍王がいて、雨をつかさどったといいます。歌の意味は、時節に応じて降る雨も、過剰になると民の嘆きのもととなります。雨をつかさどる八大龍王よ、雨をおやめください、というものです。将軍として、民の苦しみを強く思う気持ちの高まりが、自然と口をついて歌になった。だから、「八大龍王」だなどと、和歌には通常用いられない強い言葉が用いられた。そう考えられてきました。しかしそうだとするとおかしなことがいくつも見つかります。その一つ目は、建暦元年という年の七月に大雨が降ったという記録がほかに見られないことです。のちに編纂された鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』でこの月の記事を調べると、七月後半の記載がすっぽり抜け落ちています。では前半はどうかというと、晴れは二日間あるのですが、洪水どころか雨が降ったという記事さえありません。関東ではなく、七月の京都の天気を調べても、大雨が降った事実は確かめられません。どういうことでしょう。ここで、この歌の詞書、すなわち前書きをもう一度、もっと原文に近い形で見てみましょう。

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「建暦元年七月、洪水漫天、土民愁歎せむことを思て、
 一人奉向本尊、聊致祈念云」

 ずいぶん漢字が多くて、和歌の詞書らしくありません。実朝の家集『金槐和歌集』ではここだけがこうなっている。「洪水天に漫(はびこ)り、土民愁歎せむ」という言い方も、漢籍の五経の一つ『書経』に基づいています。「愁歎せむ」と仮定・婉曲の助動詞「む」を使っているのも、和歌の強い口調とそぐわない。民が今まさに嘆いていることを実感しているなら、「愁歎したる」などといいそうです。「本尊」とはどういう仏を指すのか、はっきり書いていないところも曖昧です。そこでこう考えてみましょう。建暦元年七月には、洪水になるような大雨は降らなかった、と。それならすべての謎が解けます。彼は想像の中で民の嘆きを思い、想像の中で「時により」の和歌を詠んだのでしょう。いや、それでは、このような迫力のある歌は作れないだろう、と反論されそうです。実朝がどうやってこの歌を作るに至ったか、それを考えてみましょう。まず、この建暦元年七月に、実朝は『貞観政要』を読んでいます。『貞観政要』とは、中国の帝王学の書です。洪水の時に大蛇が現れる、などという話も含まれています。この『貞観政要』がヒントになったのではないでしょうか。また、順徳天皇が著わした宮中作法の有職故実の書物に『禁秘抄』という本があります。順徳天皇は実朝が将軍だったころの天皇です。この『禁秘抄』に、日照りの時の対処法が出てくるのですが、都の神泉苑に臣下を派遣して雨を祈らせる、という記事があります。そのときに「雨たべ海龍王」と唱えるが、これは近年行われるようになった習俗だ、と書いてあります。海龍王とは、海に住んでいて、海や雨をつかさどる竜宮浄土の王です。「八大龍王雨やめたまへ」と「雨たべ海龍王」、よく似ていますね。「たべ」は「たまへ」と同じですし、「八大龍王」と「海龍王」は違いますが、雨をつかさどる存在である点では同一です。実朝は、雨を祈るこの習俗の言葉を取り入れたのではないでしょうか。まとめますと実朝は、洪水をもたらすほどの大雨は降らなかったけれども、『書経』や『貞観政要』などの漢籍、あるいは雨を祈る習俗の言葉などを取り入れて、詞書を含めてこの和歌を作ったのではないか。自分でもよい歌ができたと思ったので、あたかも現実に洪水があったかのように装ったのではないか、と思うのです。装った、などというと、嘘を言ったとか、でっち上げた、という印象をもたれてしまうかもしれません。そうではなくて、これは実朝らしい、和歌による祈りの表現だと考えたいのです。祈り、というのはこういうわけです。先ほど「八大龍王雨やめたまへ」という独特の響きをもつ表現に注目しました。最初に挙げた「大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも」などもそうです。実朝は言葉の音にとても敏感なのです。典型的なのは、

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「大日の種子より出でて三昧耶形(さまやぎょう)三昧耶形また尊形となる」

などの歌で、もっと迫力があって、まるで呪文のようです。実朝は、和歌を一種の呪文と見なしていたのではないでしょうか。呪文には、現実を動かす力があります。彼は和歌にそういう現実を動かし変えて行く力を求めていたのでしょう。だから、武家の頭領でありながら和歌をひどく好んだのです。その意味では、和歌を詠むことでよい将軍になろうとしたといえるかもしれません。少なくとも実朝の和歌には、実朝の祈りが込められている、だからこそ「時により」の歌は虚構ではあっても、彼の真情があふれた歌だ、といえるのだと思います。



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