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「シリーズ・次世代への遺産 大田 昌秀」(視点・論点)

元沖縄県副知事 比嘉 幹郎

今年6月12日、大田昌秀元沖縄県知事が亡くなられました。
享年92歳。奇しくもその日は大田氏ご自身の誕生日でした。
 沖縄問題の本質について、その研究に生涯を捧げた大田元知事のご逝去を悼み、安倍総理大臣や翁長県知事を始め県内外から多数の方々がご参列し、去る7月26日に県民葬が行われました。
その際、不肖私が、60有余年親しくお付き合いをさせてもらった友人として追悼の辞を述べました。

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大田さんは、沖縄県の久米島で1925年に生まれ、沖縄師範学校二年次に沖縄戦に遭い、学業を中断され、戦後は琉球大学の前身である沖縄外語学校で一年間英語を学び、1950年に早稲田大学に入学、54年に卒業後、シラキューズ大学院への留学で2年間ジャーナリズムを専攻しています。
その後は、長年にわたり琉大で教鞭を執るかたわら、東京大学やハワイ大学、アリゾナの大学などでも研修に励みました。私も東京大学時代に御一緒しました。

90年から沖縄県知事を2期8年、参議院議員を1期6年務めました。
また、琉大在職時代から国会図書館やアメリカの国立図書館などに何度も通い、私財を投じて沖縄戦に関する資料などを収集していました。退職後は、収集した膨大な資料を公開する独自の平和研究所を創設し、著作や講演活動に励んでいました。
 大田さんは、数え切れないほど多くの著作や論文を書くと同時に、県内外で講演も行い、多忙を極めておりました。これらの活動で、大田さんが繰り返し強調していたのは、戦争の悲惨さと平和の有り難さであります。その原点は第2次世界大戦末期の沖縄戦で、自らも鉄血勤皇隊の一員だった体験でした。
米軍は、沖縄周辺の海と空を完全に制圧し、沖縄の総人口を上回る延べ55万人とも言われる大軍で押し寄せてきました。この圧倒的な戦力で11万足らずの日本軍を鎮圧しました。この凄惨を極めた沖縄戦で、日本側は約20万人もの戦死者を出しましたが、その半数以上は戦闘に巻き込まれた沖縄の民間人でした。大田さんによれば、沖縄戦の教訓は、軍事力では住民を守ることは到底できないということと、沖縄が本土防衛のために「捨て石」にされたということであります。
大田さんは、沖縄戦での体験を起点として、沖縄が日米両国の外交の「道具」のように取り扱われ、一方的に差別と犠牲を押しつけられている実態を歴史的にも検証し、それを痛烈に批判していました。特に、日本政府が1952年のサンフランシスコ講和条約や日米安保条約、それに基づく地位協定などにより沖縄を本土から引き離し、米国に施政権を与え、米軍基地の自由使用を是認し、同時にその政策を多数の国民が黙認しているとして、日本人を「醜い」とまで表現し、非難していました。
 沖縄には現在、1950年代の本土における米軍基地反対運動のために移駐してきた海兵隊を中心に、全国土の僅か0.6%の面積しかないのに70%もの米軍専用基地が集中しています。日米両政府は、これらの基地を抑止力とみなしています。いっぽう、県民は、治外法権的で不平等な地位協定によって自由に使用できる米軍基地があるが故に、核兵器攻撃の的になる不安に怯え、米軍絡みの続発する事件事故や軍用機の爆音、環境汚染・破壊に憤り、生活の安全と自立的経済発展が妨げられていると抗議しています。大田さんは、これらの問題を解決するには現行の地位協定の運用改善や米軍の好意的配慮ではこと足りず、地位協定そのものの抜本的改定が必要だと指摘していました。
 日米両政府は、抑止力を維持しながら、沖縄の過重な基地負担の軽減を図るという政策を繰り返し主張していますが、両者は基本的に矛盾を孕んでいるばかりでなく、現在、約束されている嘉手納基地以南の返還計画は、県内の移設を前提としているので、なかなか進展しません。
 現在、最も深刻な問題は、95年に大田さんの提案で日米両政府が合意した「世界一危険な普天間基地」の返還についてであります。返還がなかなか難しいのは、返還の条件として、本島北部の名護市辺野古に新しい海上基地の建設を強行しているからであります。大田さんは、この新基地は、将来、飛行場ばかりでなく、大型船舶が接岸できる軍港や後背地の弾薬庫の整備などを含めた広大な複合施設計画であり、耐用年数は100年以上の長期的なものになると想定していました。
このような状況下で、大田さんは後世に幾つかのメッセージを残しています。それを大きくまとめると次の4つになろうかと思います。
 1つ目は、沖縄戦については、まだまだ究明すべきことも多く、その実相をきちんと明らかにし、繰り返し後世に伝えるべきだということです。
 2つ目は、過重な米軍基地を沖縄に押しつけている日米両政府の差別政策に反対する運動を粘り強く、知恵をしぼり、非暴力に徹して推進することです。
 3つ目は、昨今の日本の行政、立法、司法機関のありようや、少数意見の尊重という民主主義の理念にもあまり期待できないので、県民自らのことは自ら決めるという自己決定権を強く主張し続けることです。
 4つ目は、平和構築と経済発展を妨げる基地の全面撤去を目指し、計画的な基地の整理縮小を促進し、当面、辺野古への移設に断固反対することです。
 これらの反戦平和運動を強化し、拡大し続けていけば、沖縄県民の政治意識が一段と高まるとともに、国内外の世論も、「平和」や「自由」、「平等」、「主権在民」、「基本的人権の尊重」など、世界の普遍的価値を掲げる沖縄の反戦平和運動を支援するようになるだろうと大田さんは想定していたと思われます。
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晩年の大田さんは、こうした反戦平和や沖縄の差別撤廃、自治権拡大を目指す運動の過程で、台頭しつつある沖縄の独立構想について、多くの県民は独自の軍隊を持つことは望まないので、自らの安全保障をどうするのかも具体的に考えて独立実現の可能性を探求すべきだと提言していました。
これからは、国民みんなで大田さんの遺志を真摯に受け止め、沖縄の将来について当事者意識を持って真剣に議論すべきだと思います。


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