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「シリーズ・次世代への遺産 大岡 信」(視点・論点)

現代詩作家 荒川 洋治

日本を代表する詩人、評論家、大岡信(おおおか・まこと)さんが4月5日、亡くなりました。86歳でした。大岡さんは1931年静岡県の生まれ。東京大学国文科を卒業後、清新な感性を打ち出した第一詩集『記憶と現在』で登場、現代詩を代表する詩人となりました。評論家としても多くのすぐれた作品を書き、文学界の最前線で活躍、2003年には文化勲章を受章しました。その評論は、詩歌、小説、音楽、美術など幅広い分野を対象としたもので、芸術界全体に大きな影響を与えました。広範囲に及ぶ知識、するどい省察、明晰な文章は、読者に大きな信頼感を与えたのです。

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多数ある著作のなかの一部です。

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    大岡信の著作より
文明のなかの詩と芸術      1966年
紀貫之             1971年
昭和詩史            1977年
折々のうた (シリーズ)  1980年─2007年
詩人・菅原道真         1989年
私の万葉集       1993年─1998年

詩論から芸術論まで、多彩です。「昭和詩史」は、私は何回も読み、大切なことをたくさん教わりました。さて、日本の文学史の基本線は、詩歌であるとする大岡さんは、深く古典を読みこみ、喚起力のある批評を展開しました。特に『詩人・菅原道真』『紀貫之』は、これまで満足な評伝ひとつなかった平安時代の大詩人二人の「詩と真実」に迫る画期的な名著です。
菅原道真は、流刑地大宰府で死を迎えますが、その漢詩はとてもすぐれたものでした。「常に具体的に原因と結果を明示する書き方」で「社会的事象に対する彼の反応も明確に表現」されていた。ところがたった一世代あと、約30年後の紀貫之の時代には、仮名文字による和歌が、晴れの表舞台に。藤原家一門支配下の「同質社会」で、和歌は「繊細な美的感情、その限りない洗練への道が追求される」ことになり、菅原道真の漢詩にあった「自己表現」は姿を消します。「自己表現」から「自己消去」へ。その人個人の世界をあらわにしない、消していく、ということです。漢詩から和歌への「劇的変化」です。以降、千年にわたって日本人のものの見方、感じ方は古今集の美学の影響を受けることになる、その経緯を大岡さんは精細に描き出します。具体的な詩句を踏まえて、大きな流れをとらえます。その明快な叙述によって、現代につながる道筋が見えてきます。文学のドラマを目のあたりにする興奮と感動をおぼえます。

大岡さんの文章で、もっとも広く知られたのは朝日新聞の朝刊一面の連載コラム「折々のうた」でしょう。1979年1月25日から2007年3月31日まで28年間、休止期間などを除き、連日、掲載されました。合計6762回。詩や短歌、俳句の原文を掲げ、180字という短い解説を付けるものです。これまで詩歌になじみのなかった読者にも、詩歌の魅力を伝えるもので、全19冊の新書で刊行され、文学史上に残る詩歌アンソロジーとなりました。記紀歌謡、万葉集から古今集、中世の歌謡、芭蕉、蕪村、近代・現代では島崎藤村、萩原朔太郎から田村隆一、谷川俊太郎、寺山修司まで多彩な作品が、毎朝「配達」されたことになります。作品と解説の一部分を読んでみます。万葉集、柿本人麻呂歌集より。

うち日さす宮道を人は満ち行けど
わが思ふ君はただ一人のみ    柿本人麻呂歌集
 
解説では「万葉集」の出典を記したあと、奈良時代、平城京に勤務した人たちは約一万人、人麻呂はその一つまえの藤原京の時代に属するので官人の数は少なかったとし、大岡さんは、こう結びます。
「それでも出勤時には、宮道は勤め人でいっぱいだったろう。その人々の一人を夫に持つ女が、夫を称え、変わらぬ愛を誓った形の歌。歌詞に具象的魅力と勢いがある。」(大岡信)

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情景が鮮やかに浮かぶ、いい解説です。次は、山口誓子の句。

蟋蟀(こほろぎ)が深き地中を覗き込む   山口誓子   

この句については「作者の心は、暗い夜の風に吹かれて荒涼としている。ぶきみな力強さをもった句だ」とします。たしかに一度見たら、忘れられない句ですね。

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次は、詩人・寺山修司の句。

春の虹手紙の母に愛さるる   寺山修司

昭和27年、青森高校2年生当時の作品です。父を失い、働く母と別居していたとき、寺山修司が、あふれかえる創作欲を最初に注ぎ込んだのが俳句形式だったことを記し、大岡さんはこうつづけます。
「母からの手紙に、ふだんは見せない愛情が溢れていたのだ。作者は十分生意気な少年だったが、句には孤愁が流露している。」(大岡信)

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簡潔かつ的確なことばで、作品の内部を照らします。解説の文そのものが詩をかなでる、そんな文章です。でも180字という制約は大変だったようです。大岡さんは新書「折々のうた」のあとがきで書いています。「文章というものは、よく練ればよいというものでもないと思うのは、あまりいじっていると大事なことをかえって書き落とす場合があるからで」、それもこの「折々のうた」の「仕事から学ぶことの一つである」。そして、こう記します。「日本の詩歌を知ることは、日本語をもっとも深いところで知ることだ」。「折々のうた」は、日本語の世界を深く経験した詩人、大岡信にしかできない仕事でした。
大岡さんの業績のひとつは、日本の古典をしかるべき位置に戻し、その意義を明らかにしたことです。もうひとつは、詩歌の魅力を伝えたことです。いまは小説をはじめ散文だけを読むという人たちがとてもふえました。散文は「伝達」だとすると、詩は「提示」であると大岡さんはいいます。短いことばで、目に見えにくいものへの接近を図る詩歌。それは区別しにくいことがらや隠れた世界を想像させる、暗示性の強いもので、ものの見方、人の生き方にかかわる大切なものを映し出します。

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詩歌、散文それぞれの役割を見つめる総合的視点を、大岡さんはだいじだと考えました。こうした広い視点をもつ人は細分化、専門化した文学や学術の世界で、いまはほとんど見当たりません。さらにひとつは、文章のありかたにかかわることです。知識というものがほんとうに生かされた文章を、大岡さんは書き、求めつづけました。文章で成り立つ日本の文化全体を、ゆたかにするための、新しい道を開きました。大岡信さんの著作の意義を、どう次の世代に伝えるか。それが現在に残された課題です。

*菅原道真、紀貫之の項は、大岡信『日本の詩歌』より引用。

 

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