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「"イノセンス・プロジェクト"の可能性と課題」(視点・論点)

立命館大学 教授 稲葉 光行

近年日本では、無実の人が罪に問われてしまうえん罪事件が、少なからず発生していることが明らかになってきました。えん罪事件が起きたら、罪に問われた人だけでなく、家族や地域社会に深刻な問題が起きるという点も社会的に認知されつつあります。きょうは、そうしたえん罪について、捜査機関や司法以外の人々がDNA鑑定など、科学的な手法を用いてえん罪を晴らす「イノセンス・プロジェクト」という動きが広がりを見せていることについて、お話します。

50年前、茨城県で起きた、いわゆる布川事件では、逮捕されてから、再審で無罪が確定するまでに40年以上かかりました。また、死刑が確定した後20年以上の年月を経て、無実が判明した事件もあります。このようにえん罪事件は、無実の人々の人生を大きく狂わせるものです。
米国では、1980年代後半から、DNA鑑定によって多くのえん罪事件が明らかになりました。そして、1992年には、民間の団体がDNA鑑定などの科学鑑定を使って事件を検証し、えん罪を晴らす支援を無償で行う、世界初の「イノセンス・プロジェクト」が、弁護士のバリー・シェックとピーター・ニューフェルドによって、ニューヨークで始まりました。

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今年は、ニューヨークのイノセンス・プロジェクトの設立から25周年にあたります。現在このプロジェクトは、さまざまな専門家が参加する非営利組織として発展しています。そして今では、全米のすべての州に、無償でえん罪を晴らすための支援団体が設立されています。それらの中には、ロースクールに置かれたもの、元検察官やジャーナリスト、DNA鑑定の専門家が立ち上げた組織などがあります。
米国では、イノセンス・プロジェクトの活動によって、多くのえん罪が明らかになってきています。

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イノセンス・プロジェクトのホームページでは、2017年11月現在、全米で351人のえん罪がDNA鑑定で証明されたことが紹介されています。また、このうち150件では、真犯人が見つかっています。さらに、死刑が確定した後に実は無実であったことが証明された人の数は20人に上ります。
イノセンス・プロジェクトの活動は、司法制度にも大きな影響を与えてきました。

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2004年には「万人のための司法手続き法」の一部として「無実者保護法」が連邦レベルで制定されました。この法律にもとづいて、米国の連邦政府が、各州の政府に、DNA鑑定を行うための補助金を出すといったことが行われています。
イノセンス・プロジェクトは、現在、全世界に広がっています。

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カナダ、イギリス、フランス、アルゼンチン、台湾などにプロジェクトが設立されています。アジアでは台湾の動きが活発です。台湾のプロジェクトはまだ発足五年ですが、何件ものえん罪を証明しています。また台湾では昨年、プロジェクトの働き掛けで、えん罪を確かめるために、すでに確定した事件についてDNA鑑定をする権利を保障する法律も制定されました。
イノセンス・プロジェクトの連携のために、イノセンス・ネットワークという枠組みもできています。2000年から毎年大会が開催されており、世界各国から、弁護士、裁判官、検察官、そしてえん罪被害者も参加しています。その大会では、司法の間違いがなぜ起きるのか、人間が持つ「認知バイアス」が鑑定にどう影響するのか、同じ間違いをしない司法にむけて何が必要か、といった点について、立場を超えた議論が行われています。
一方、日本では、2016年に日本版イノセンス・プロジェクトとして「えん罪救済センター」が設立されました。このセンターでは、ニューヨークのイノセンス・プロジェクトをモデルとし、弁護士、法学者、法科学者、心理学者など、さまざまな分野の専門家が参加しています。現在、このセンターでは、犯人でないのに犯人として起訴された刑事事件のうち、科学的証拠でえん罪を明らかにできる事件を対象に、えん罪の検証に取り組んでいます。
私自身は、このプロジェクトを呼びかけた一人です。実は法律は専門ではなく、情報科学を専門とする、いわゆる「技術屋」です。私は、プロジェクトの呼びかけ前に、鹿児島県の県議会議員選挙をめぐって無実の人達が選挙違反の罪に問われた、いわゆる志布志事件で、コンピュータを使った供述調書の分析に携わりました。その作業の中で、日本の司法判断の仕組みも勉強しました。

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そして日本では、裁判官や裁判員が「自白に信用性がある」という心証を持てば、十分な科学的証拠がなくても、有罪とされる可能性があることも知りました。また、捜査過程で収集されたすべての証拠を、たとえ弁護士であっても簡単に参照できないという現実を知りました。さらに、日本では長年、「司法が間違えることはない」という前提があったためか、判決の確定後に再審が認められるケースは非常に稀であるということも知りました。
技術屋の私にとっては、科学性をあまり重視せず、閉鎖的で、ヒューマンエラーによる判断の間違いを考慮しない日本の司法文化は不思議なものに思えました。そしてこのような文化が、えん罪を生み出す要因となり、えん罪の原因究明の壁となっているのではと考えています。
それでは、日本でえん罪を減らすために何が必要なのでしょうか。司法判断にもっと科学鑑定を使えばよいのでしょうか。
もちろん日本でもDNA鑑定などの科学鑑定は行われています。しかし捜査機関と大学が同じ手法で鑑定をしながら別の結果が出され、捜査側からの説明も不明瞭であるなど、科学的に正しい運用が行われていたのか疑問に思った事件もあります。したがって、司法判断に科学鑑定を使うだけでなく、第三者が証拠やデータにアクセスし、手続きに間違いがないかを検証できる、オープンで、真に科学的な発想での鑑定や司法判断が必要だと考えます。

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証拠、データ、手続きがオープンになっていれば、鑑定や司法判断で間違いが起きても、後からその原因を検証できます。そして原因が解明できれば、再び同じ間違いをしないよう対策を取ることができます。
先に述べたイノセンス・ネットワークの大会でも、科学的に正しい手続き、つまりオープンで検証可能な手続きの保証が、司法判断において最も重要な前提であるとされていました。私もその大会に参加し、オープンで検証可能な司法の実現が、司法に対する信頼性を確保し、結果的に、捜査機関、裁判所、さらに国全体にとって利益をもたらすと確信しました。そして日本の司法も、米国のイノセンス・プロジェクトから始まった、同じ間違いを繰り返さない司法の実現にむけた動きに学ぶ必要があると考えています。そのため、日本のイノセンス・プロジェクト、えん罪救済センターは、科学的証拠による個々のえん罪事件の検証に加え、司法関係者、科学者コミュニティー、えん罪被害者を含む市民、世界的なイノセンス・プロジェクトのネットワークの間の橋渡しをすることを目指しています。
日本版イノセンス・プロジェクトの活動を通じて、日本の司法でも、オープンで検証可能な手続きが重視され、科学技術の世界と同様に、同じ間違いを繰り返さないという発想が広がっていくことを期待しています。

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