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「ドイツスポーツ界のなるほど」(視点・論点)

法政大学 教授 山本 浩

 2020年オリンピック・パラリンピックの開催まで1000日を切ったニュースは、大会に関心を持つ人たちの間では印象に残るカウントダウンだったようです。この秋から大学の派遣で研究活動を目的に一年間、ドイツのライプチヒで暮らしている私は、この報道をインターネットで確認するのがせいぜいでした。ドイツのメディアに関して言えば、ウィンタースポーツシーズンが始まってようやくちらほら冬の大会ピョンチャンの話題が聞かれる程度で、2020年には全く触れてくれないというのが現実です。開催国日本と、遠く離れたドイツの、近づくオリンピック・パラリンピックへの関心の違いを感じます。まだわずかにドイツ滞在二ヶ月あまりですが、そこで見聞きしたことのうち日本のスポーツ界のヒントとなるお話しをしたいと思います。

私が住んでいるのは、ドイツの16ある州のうちザクセン州といわれている、かつては一時東ドイツに属していたところです。東ドイツと言えば、1970年代から80年代にかけて猛烈な勢いで世界の競技スポーツ界を席巻し、圧倒的な強さを誇りました。東西ドイツが再統一されてすでに27年ですから、すべて一昔前の話です。しかし、取材で何度も訪れた当時と比べて、街に漂う空気が大きく変わったわけではありません。さすがに石炭の匂いは遠いものになりましたが、スポーツに携わる人たちの面影には、まだ当時のものを感じさせるところがあります。日本の時代にたとえれば、定めし「昭和の香りがする」と言ったところでしょうか。
 9月に入ってから、ライプチヒ大学の同僚の勧めでザクセン州南部の小さな街、フレーアにカヌーレーシングの大会を見に行きました。人口一万人ほどの街、フレーアでのカヌー大会は、そこここにドイツらしいスポーツの息吹を感じさせるものでした。

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 フレーアは、ライプチヒから南におよそ100㎞。街の中を「チョッパウ」というそれほど大きくない川が流れています。このチョッパウ川を使って行われた地元クラブのカヌー大会。参加したのは19のクラブの子どもから大人まで、およそ250人。カヌーの大会は初めてという小学生から、将来性を買われてスポーツエリート校への進学を決めている少年など、さまざまです。

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朝の9時から夕方までレースは行われましたが、地元のカヌークラブのアレンジメントで、炊き出しあり、駐車場の整理ありでくつろいだ雰囲気の一日でした。こうした風景は、日本でもカヌーに親しむ人の間ではごく普通に見られるのでしょうが、そこに漂う空気は運動会に近い感覚です。勝利を巡ってどのクラブが優勝するか、いかにして一つでも順位を上げるかといったところばかりが目立つ様子でもないのです。クラブ別の最終ランキングも出てきましたが、地元の利あってか、フレーアカヌークラブがダントツの優勝を果たしました。
 カヌーをことさら取り上げたのは、ドイツが世界有数のカヌー王国だからです。カヌーは、1936年のベルリン大会から正式競技として登場しましたが、その後も強さを誇り、リオでも金4個を含む合計7個、これまでのオリンピックの金メダル数では世界最高の32個を誇っています。
 カヌー界の優れた選手はこんな環境からじわじわ生み出されるのだと川面を見ながら思い出したのが、2020年に使われる海の森水上競技場のことです。東京ベイゾーンと呼ばれる東京湾に面した競技場群の中で、新たに作られることになったボートとカヌーの競技施設は、その建設費用を巡って大きな議論を巻き起こしました。その後最終的には、建設コストを抑えることで決着し大会前年の春には完成の予定です。世界最高峰の競技施設でありながら、オリンピック後には小さな川から生まれてくるボートやカヌー大好きの子ども達やシニアに優しい競技場として使える施設にできるのかどうか。そこに力を注ぐこともまた大切なレガシーなのではないかと思い巡らしていたのでした。
 ドイツのスポーツ界で、頻度高く伝えられるのがドーピングに関する問題です。ドーピングを巡るニュースでは、日本でも毎日のように報道されていますが、一連の流れは、ドイツのテレビ局によって報じられたロシアのドーピング疑惑が発端になっています。
 ドイツの公共放送局ARDは、今年九月、記録が出るので知られたベルリンマラソンの中継を行いました。今大会には、過去の男子マラソンの成績でずば抜けていた3人が揃うと、きわめて前評判の高いレースでした。驚かされたのは中継放送の番組冒頭の部分です。マラソンのスタート前にスタート地点の女性リポーターが登場。ここまでは日本でもあるような導入です。ところが前説に続いてドーピングのリポートが始まったのです。「アフリカでドーピングが当たり前のように行われている」。ミニドキュメンタリーが終わるとスタート地点にドーピング取材の担当者が登場してこれを補足するという流れです。これから行われるレースの価値に影響を与える可能性があるにしても、ドーピングとの戦いを忘れない。この番組構成には、さすがにちょっと驚かされました。
 レースが終わってから暫くして、この公共放送傘下の中部ドイツ放送のあるプロデューサーと会ったときの話にもショックを受けました。ドーピングは、トップスポーツ選手だけでなく、一般のスポーツ愛好家の中に、罪の意識も持たないまま大変な勢いで広がっているという指摘です。「自分の打ち込んでいる種目で、これまでより記録を伸ばしたいスポーツ愛好家が、トップアスリートが飲んだならドーピングに相当するようなサプリンメントを平気で口にして試合に出ている」というのです。効き目の強い栄養ドリンクを飲んでレースに出る。サプリメントをたくさん服用しながら、自転車レースに参加する。「日本の頂点を目指すならいざ知らず、自分の成績を少し上げたい為に、飲むのに躊躇することはない」。
 ドーピングはトップアスリートの問題と片付ける前に、スポーツに取り組む自分の行動を振り返るべきだというのです。指摘されてみれば、そうしたことが軽い気持ちで広がっている可能性は否定できません。日本アンチ・ドーピング機構の規定は、「国内競技連盟に関連性を有さない国内競技大会に参加するすべての競技者」もその対象になると明記しています。つまり、市井の大会に出るランナーであってもこの規定の対象になると記しているのです。改めて、アンチドーピングの啓発や教育が広く行われる必要性を感じたのでした。
 もう一つ、目から鱗が落ちる思いだったのがスポーツ選手に対する「セカンドキャリア」への対応です。
 日本のセカンドキャリアと言えば、オリンピックや世界選手権を戦い抜いた、あるいはプロリーグの選手契約を終えたあと、一般社会人として生活する手助けがその主たる方向付けになっています。そこでは、就職の斡旋に大きな力を注いでいるように見えます。ところがドイツの場合には、就職の斡旋よりも、むしろ学業の充実をいかに図るかを大切にしているのです。他の学生より時間がかかっても所定の単位をちゃんと収めるように配慮をする。チューターをつけて、勉強のサポートをする。トレーニングや試合の為に受けられなかった試験を特別に別のスケジュールで設定するなど、あくまで学業をしっかり身につけさせるのが「セカンドキャリア」対策だというのです。「学業をしっかり修めたら、あとは自分の力で社会に出るべし」。日本のように、就職の斡旋をするのを「セカンドキャリア」とする考え方も大いにありましょうが、学生の本分という点を考慮すると、考えさせられる取り組みに思えました。
 ドイツで見た、聞いたスポーツ界のなるほど。2020年のビッグイベントに集中して取り組むのは極めて大切ですが、今も日々繰り返されている多くの人々のスポーツ活動。そこをちょっとだけ振り返って考えてみるヒントになりはしなかったでしょうか。

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