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「バイオミメティクス 持続可能な技術革新」(視点・論点)

千歳科学技術大学 教授 下村 政嗣

バイオミメティクスという言葉をご存知でしょうか?
バイオは生物のこと、ミメティクスは、“似ている”、“まねをする”を意味するミミックの名詞形、つまり「生物を模倣する」という意味です。1950年代にオットー・シュミットという神経生理学者が命名しました。
「生物に学ぶ」という考え方は古くからあり、特に日本人にはなじみやすい考え方です。鳥の飛翔に学んで、レオナルド・ダ・ヴィンチが飛行機の設計をしたことは有名です。海洋生物である海綿を模倣した洗浄用のスポンジ、絹糸をまねた合成繊維、植物の種子をヒントにした面状ファスナー、カワセミのくちばしに似せた新幹線の形状など、私たちの身の回りには多くの生物模倣、すなわちバイオミメティクスがあります。

今世紀になって、バイオミメティクスに対する世界的な関心が高まってきました。2011年にはドイツ規格協会が、国際標準化機構に対してバイオミメティクスの国際規格を提案し、3つの国際標準が発効されるに至っています。

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アメリカ西海岸にあるサンディエゴ動物園は、2010年に「Global Biomimicry Efforts:An Economic Game CChanger」と題する経済レポートを出しました。ダ・ヴィンチ・インデックスという経済指標を使い、“バイオミミクリーの分野が、米国において15年後に年間3,000億ドル(日本円にして34兆円)の国内総生産の増加、そして2025年までに160万人の雇用をもたらす”という経済予測をしました。最近では、2030年には、アメリカで4,250億ドル、世界的には1.6兆ドルのGDP増が期待されるという試算もあります。このレポートで使われている、“バイオミミクリー”という言葉は、1997年に出版されたアメリカ人生態学者ジャニン・ベニュスさんの著書「Biomimicry:Innovation Inspired by Nature」に由来するもので、バイオミメティクスと同じものです。
動物園がこのような経済レポートを世に問うこと自体、日本ではあまり考えられないことですが、古くから知られているバイオミメティクスに対する世界的な関心が高まっているのはなぜでしょうか。

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日本経済団体連合会(経団連)は、2010年に名古屋で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に先駆けて、2009年に発表した「経団連生物多様性宣言」において、「自然の摂理と伝統に学ぶ技術開発を推進し、生活文化のイノベーションを促す科学技術」である生物模倣の例として、「絹糸の新繊維への応用」や「モルフォチョウの羽の構造発色技術への応用」、「フクロウの羽やカワセミのくちばしの形を新幹線の空気抵抗低減へ応用」、「カタツムリの殻の構造を汚れにくい建材技術へ応用」、「ハスの葉の微細構造のはっ水技術の応用」などを紹介しています。
ハスの葉が水を弾くことはよく知られています。しかし、なぜ弾くのかということが学術的に解明されたのは、1990年代後半なのです。20世紀後半に、ナノテクノロジーという分野が世界的に展開します。ナノテクノロジーとは原子や分子のような小さなものを対象とする科学技術ですので、電子顕微鏡がめざましく発展し、また、安価になったことで、さまざまな分野で使われるようになりました。それまで、光学顕微鏡が主流であった分類学や自然史学の研究においても、電子顕微鏡が使われるようになりました。

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ドイツのボン大学の植物学者であるヴィルヘルム・バースロット教授は、電子顕微鏡観察によってハスの葉の表面に細胞よりも小さな凸凹構造があることを見いだし、その構造が水を弾くことを明らかにしました。さらに、この原理を応用して、はっ水性の塗料を開発しました。テフロンなどのフッ素化合物を使わなくても水を弾くことができるのです。

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ヤモリの指の先には、電子顕微鏡でしか観察できない細かな毛が密生しており、数多くの毛が壁や天井に接することで、ヤモリの体重を支えることができるだけの吸着力がでると言われています。ヤモリの足先の微細構造を模倣することで、粘着剤や接着剤を使うことなく、繰り返し使用ができる接着材料が開発されています。これで手袋をつくって、スパイダーマンのように壁を登ることも可能なのです。
ナノテクノロジーの展開によって、新しい生物学の発見がもたらされ、さらには、生物学とナノテクノロジーのコラボレーションによって新しい材料が開発されたのです。
もう一つの理由は、持続可能性社会への関心の高まりです。バイオミメティクスの基盤は、言うまでもなく生物の多様性です。

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生物多様性は、長い時間をかけて、さまざまな環境において生物が生存してきた進化適応の結果です。生物多様性を可能とした生物の生き残り戦略は、炭素、水素、酸素、窒素などのどこにでもある元素を使い、再生可能エネルギーである太陽光を源として、常温・常圧プロセスによるモノづくりであり、産業革命以来の“人間の技術体系”とは機能発現や生産プロセスの仕組みが異なっています。バイオミメティクスは、生物の生き残り戦略に学ぶことで、資源やエネルギー、気候変動等の現代社会が抱える喫緊の問題を解決し、持続可能性のための技術革新のヒントをもたらすものと期待されているのです。

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さらに最近では、魚群に学ぶ“自動運転自動車のモデル”、 アリの社会性を模倣した“IoTを支える自律分散制御型ロボット”、砂漠のアリ塚の温度調節にヒントを得た“省エネ空調ビル“などが開発され、生物の生態系に学ぼうとするバイオミメティック スマート シティー”と称される環境都市設計構想も始まっています。今やバイオミメティクスは、分子レベルの材料設計から、機械工学、建築、都市設計に至る総合的な技術体系となりつつあります。
バイオミメティクスを持続可能な総合的技術体系として実現するためには、我が国が最も不得意とする異分野連携が不可欠です。それは、生物多様性という膨大な生物学の知見を工学に技術移転するための連携です。生物と工学の異分野連携のためには、ビッグデータである生物多様性から工学者が使える情報を抽出するための“バイオミメティクス・インフォマティクス”とも言うべき情報科学が必要です。生物学データベースの整備とテキストや画像を対象とした多様な情報検索システムが求められます。
バイオミメティクスを現実の社会に適用するために求められるもう一つの異分野連携は、生物多様性と生態系サービスの価値を認識し、その保全と持続可能な経済活動をめざす『生態系と生物多様性の経済学』に代表される、“自然の循環と経済社会システムの循環の調和”を求める社会科学分野との文理融合です。バイオミメティクスを生態系サービスと捉えることにより、制約された環境の下で持続可能な“モノづくり”と“街づくり”の技術革新をもたらす切り札になりうるのです。持続可能な開発目標(SDGs)に向けて、技術革新をもたらす社会エコシステムであるバイオミメティクスを確立するために、本年8月に、NPO法人バイオミメティクス推進協議会が設立されました。

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まさに、いまこれからが、バイオミメティクスが持続可能な社会のために生かされる時なのです。

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