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「ダーウィンの『人間の由来』」(視点・論点)

総合研究大学院大学 教授 長谷川 眞理子

私はこれまで、野生のチンパンジーやシカやヒツジ、クジャクなどの大型動物の行動と生態を研究してきました。動物の種類はいろいろですが、中でも、雄と雌の性質の違いや、その違いが両者に対立をもたらすことなどについて興味を持っています。
雄と雌の違いについては、それが「どのようにして(How)」生じるのか、さまざまな性ホルモンなどの生理学的研究や、脳の働き方の違いなどが研究されています。しかし、私の興味は、そのようなメカニズムの解明ではなく、そもそも、性ホルモンやら脳の仕組みやらが「なぜ(Why)」そのように出来ているのか、という根本的な進化の研究です。

生物にはさまざまな性質が備わっており、それはその生物の暮らしている環境にうまく適応しているように見えます。それが「なぜ」そのように作られたのかを説明するのが、有名なダーウィンの自然淘汰の理論です。

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彼は、1859年に『種の起源』という書物で、この理論を展開しました。1)集団の個体の中にさまざまな変異があり、2)それが子孫に遺伝し、3)その性質を持つかどうかで残す子どもの数に差異が生じることがあれば、そして4)とくに、誰もが生存・繁殖することができないような競争状況があれば、必然的に、うまく子どもを残せる形質が広がっていくのだと論じました。
たとえば、ペンギンのような動物が、海で泳いで魚をとって暮らすような生活になると、脚が鰭のようになる、潜水能力が高いといった性質を備えていれば、そうでない個体よりも、多く子どもを残すことができたでしょう。このような形質において、個体間にもともと少しずつ差異があったなら、より鰭のような脚、より潜水能力が高い個体が子どもを残します。そのような個体の子どもは、その形質を受け継ぐので、誰もがだんだんに、より海での暮らしに適応していくでしょう。それが今のペンギンです。とても、論理的できれいな説明ですね。
ところが、ダーウィンは、これだけでは満足できませんでした。そこで取り上げるのが、『人間の由来』という書物です。これは、ダーウィンが自然淘汰の理論について発表したあと、それを補完するためにどうしても必要だと考えて、1871年に出版した書物です。
『人間の由来』という題名ですが、人間がチンパンジーのような類人猿から進化してきたことについては、短い第一部で扱っているのみで、それは全体の3分の1弱しかありません。この本の実に多くの部分は、昆虫などの無脊椎動物から魚類から哺乳類までにわたって観察される、雄と雌の違いの描写に当てられています。ここまで広く、多くの動物の性差について網羅した研究はないくらいのしつこさです。なぜこのような例証が必要かというと、先に述べた自然淘汰だけでは、同じ種に属する雄と雌の違いがうまく説明できないからです。雄と雌は同じ種なのですから、同じ環境で暮らして同じ淘汰圧にさらされてきたのにもかかわらず、なぜこうも違うのでしょう?
こうしてたくさんの例を網羅したあげく、彼は、これらの性差を産み出すものとして、2つのプロセスを抽出しました。

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それが、1)配偶者の獲得をめぐる雄どうしの競争と、2)雌による配偶者の選り好みです。ダーウィンはこれを、性淘汰と名づけました。

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自然界のどこを見渡しても、雌の獲得をめぐって雄どうしが闘争している、シカの角やイノシシの牙などは、雌は持っていないのに十分生きているということは、生存の観点からすると「無駄」なのではないか、では、生存とは異なる観点で雄がこんなものを持たねばならない理由は何か、それは、雄どうしの競争である、ということです。こうして角や牙などがエスカレートして進化します。

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一方、鳥のきれいな羽飾りや美しいさえずり声などは、それで雄どうしが闘争しているというよりは、雌を惹きつけるための求愛ディスプレイです。雄どうしが配偶者獲得のために競争するのであれば、競争の対象となっている雌は、逆に「どの雄がいいかな?」と選り好みを働かせることができるでしょう。雌が、「より美しいさえずりの雄が好ましい」、「より派手な飾りの雄がいい」として相手を選ぶならば、雄としては、ともかくもそんな飾りを十分に発達させねばならなくなるでしょう。これが、雌による選り好みのプロセスです。
大事なのは、このようなプロセスが一旦始まると、それは「生存」という観点からすれば必ずしも望ましくはない性質をも進化させる、ということです。ダーウィンは、雄が派手に戦ったり歌のコンクールをしたりすることが、「生存」の面ではなんの役にも立たないと感じました。なによりも、そんなことをせずにも、雌たちは十分に生きているからです。現在では、性淘汰のこの2つのプロセスの双方が、性差を産み出す上で重要な働きをしていることが確認されています。ダーウィンは正しかったのです。
それはさておき、『人間の由来』は、人間がどのようにして進化してきたかを明らかにする著作なわけですが、どうしてダーウィンはこれほど性差の問題にこだわったのでしょう? それは、人種の説明にあります。
白人と黒人、私たちを含むアジア人など、人間にはいろいろと外見の異なる集団があることは確かです。しかし、ダーウィンが本書を書いたころには、たとえば黒人は白人とは人種が違うどころか、種が違うかもしれない、もしかしたら彼らは人間ではないのかもしれないとまで考えられていました。そしてそのことが、黒人を奴隷にすることの正当化にも使われていました。
こういう時代にダーウィンが、人間の祖先が類人猿から進化してきたことを示そうとすれば、人種の違いがなぜ生じたのかも、同じように進化で説明する必要がありました。ダーウィンは、人種の違いに生物学的な意味などなく、人間はみな同じ一つの種だと考えていました。その考えは、彼自身が世界一周の航海をしたときなど、さまざまな人種の人々と接した多くの経験に裏打ちされています。また彼は、強力な奴隷制反対論者でもありました。
ここでダーウィンが注目したのが、生存上はまるで意味のない違いが注目されることで、やがては集団ごとに大きな違いが生じるという、性淘汰の選り好みのプロセスです。シジュウカラの雄がツピーツピーと鳴き、ヤマガラの雄がジューピージューピーと鳴くというように、肌の色が白ければ白いほどよい、または黒ければ黒いほどよい、などといった些細な好みが、別にさしたる理由もなく集団中で一定の割合を占めるようになると、そういう人種というものができた、肌が白かったり、目が青かったりといった性質には、生存上の価値や適応という点での必然性は何もないという説明です。
人類の進化について、また人種の起源についての科学は、ダーウィン以後、大きく発展しました。人種の違いは、ダーウィンが考えた通りに意味のないものもありますが、それだけでもないようです。しかし、動物の雄と雌の違いをもたらす大きな原動力として、配偶相手の獲得をめぐる同性間の競争と配偶相手の選り好みという、性淘汰の2つのプロセスを見いだしたことは、今に至るまで、ダーウィンの輝く業績と言ってよいと思います。

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