弥生時代の大規模な集落跡として知られる佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、10年ぶりとなる本格的な発掘調査が今月25日から始まりました。
「謎のエリア」と呼ばれる場所で行われるこの調査、どんな成果が期待されるのでしょうか。
■「謎のエリア」とは
吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の地域のまとまりである「クニ」の中核にあたると考えられています。
歴史公園として整備され発掘調査が進められてきましたが、遺跡の中心部の近くに、神社があったため調査されてこなかった場所があります。ここが「謎のエリア」です。
神社が移転したことから、発掘調査が実現しました。
■3か月足らずで100万人以上
吉野ヶ里遺跡では工業団地の開発計画にともなう発掘調査が昭和61年から行われ、防御用の「ほり」で囲まれた大規模な集落の跡が確認されました。
平成元年、中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の様子をほうふつさせるとして大きく報じられ、3か月足らずの間に100万人以上が訪れる「吉野ヶ里フィーバー」が起きました。佐賀県は保存を決断し、平成3年には国の特別史跡に指定されています。
その中心部には、北内郭と南内郭という2つの区画があります。
北内郭は二重のほりに囲まれた中から大型の建物の跡が見つかり、まつりごとを司る特別な空間だったと考えられています。また、南内郭は物見やぐらとみられる建物の跡などがあり、集落を治める上層部の人たちが住んでいた場所と推定されています。
北内郭のさらに北側には、「北墳丘墓」と呼ばれる有力者の墓があります。ここからは飾りが施された銅剣や、ガラス製の管玉(くだたま)といった豪華な副葬品が見つかっています。
「謎のエリア」は、この北墳丘墓の西側100メートルほどの場所にあることから、ここがどんな場所なのか注目されているのです。
■今回の調査は
事前に行われた部分的な試し掘りでは、甕棺墓(かめかんぼ)と呼ばれるひつぎが5基見つかっています。甕棺墓はこの区画の北側で列をなすように見つかっていることから、墓の広がりが遺跡の中心部に向かってどのようになっているのかが明らかになると思います。
また、甕棺墓の中から鏡や装飾品などが出土すれば、埋葬された人物の地位などを探る手がかりになります。
さらに、吉野ヶ里遺跡でこれまでに見つかった墓の多くは弥生時代中期のもので、邪馬台国の時代と重なる弥生時代終わりごろの有力者の墓は確認されていません。この時期の墓が見つかるかどうかも注目点です。
■現場は公開 ライブ配信も
調査は佐賀県が行い、来年度にかけておよそ4000平方メートルを発掘します。
現場は一般に公開されているので、何かが見つかる瞬間に立ち会えるかもしれません。
また、現場の映像がライブ配信されているほか、発掘調査体験会も予定されています。
市民に知ってもらうための取り組みの成果についても注目したいと思います。
(高橋 俊雄 解説委員)
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