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ガザ衝突1ヶ月・パレスチナ問題と国連の迷走

鴨志田 郷  解説委員

パレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスとイスラエルの衝突が始まって、1ヶ月が経ちました。おびただしい犠牲者が出ているガザ地区の現状について、国連のグテーレス事務総長は、「人道危機を越えた人類の危機だ」として、強い危機感を示しています。しかし、国連では事態の収拾に向けた手立てが打ち出されず、ウクライナでの戦争に続いて、またしても国連の非力が指摘されています。パレスチナ問題をめぐり国連で何が争われ、対立の根源はどこにあるのかを考えます。

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<ガザ衝突めぐる国連での応酬>
10月7日のハマスによる突然の攻撃でイスラエル側に出た死者は少なくとも1400人、囚われた人質は240人以上、そして今も続くイスラエル軍によるガザ地区への攻撃では、すでに桁違いの1万人以上が死亡し、その半数近くが子供だとされています。しかしこの1ヶ月間、ニューヨークの国連安全保障理事会では、戦闘停止を求める決議案が、各国の対立から繰り返し否決されてきたのです。

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争点となったのは、そもそもこの衝突の原因は誰にありハマスは非難されるべきか?そして、ガザ地区の被害が広がる中でイスラエルの攻撃はどこまで認められるのか?でした。
▼まず10月16日、パレスチナ寄りの立場をとり衝突の原因はイスラエルによる占領政策にあるとするロシアが、ハマスを非難せずに即時停戦を求める決議案を提出します。しかし、欧米や日本などは「ハマスを非難しないのは許されない」として反対します。
▼その2日後には、議長国のブラジルが、ハマスを非難したうえで人道的な戦闘の一時停止を求める決議案を提出。これには日本やフランスなどが賛成したものの、アメリカは「イスラエルの自衛権への言及がない」として拒否権を行使します。
▼そして26日には、アメリカ自ら、ハマスを厳しく非難したうえで、イスラエルの軍事行動を極力制限しないよう「人道目的の短時間の戦闘の一時停止」を求める決議案を出しますが、今度はロシアと中国が「攻撃を容認するものだ」として、そろって拒否権を行使したのです。
▼安保理が行き詰まったことを受けて、27日からはすべての加盟国が参加できる国連総会の緊急特別会合が開かれます。ここでもアラブ諸国などがイスラエルによる占領を非難し、即時停戦を求めたのに対し、欧米各国などはハマスのテロも非難されるべきだとして、鋭く対立します。結局、ハマスを非難しないまま休戦を求めるヨルダンの決議が、121カ国の賛成で採択されます。ただ、アメリカやイスラエルなど14カ国が反対、日本やヨーロッパなどの44カ国は棄権し、国際社会の分断が露わになりました。
▼またこうした決議の応酬のさなかには、国連のグテーレス事務総長が「ハマスの攻撃は理由もなく起きたわけではない」という趣旨の発言をしたことに、イスラエルのエルダン国連大使が猛然と抗議し、事務総長の辞任を求める一幕もありました。
国連ではこの1か月、ロシアが去年2月にウクライナへの侵攻に踏み切った時以来の、混乱が続いてきたのです。

<75年にわたる国連の迷走>
パレスチナ問題は国連史上、最も長く困難な課題として重くのしかかってきました。国連としてパレスチナ難民への終わりの見えない支援を続ける傍ら、安保理や総会では加盟国どうしの対立が続き、問題の解決は先送りされてきたのです。

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▼ことの始まりは、1947年に国連総会で採択された「パレスチナ分割決議」にさかのぼります。当時イギリスの委任統治領だったパレスチナの地を、そこで暮らしていたアラブ人と、各国から移り住んできたユダヤ人に分け与えるというもので、翌年のイスラエルの建国へと道を開くことになりました。

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▼そしてイスラエル建国の翌日、周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込み、第一次中東戦争が勃発します。イスラエルは当初苦戦したものの、逆に領土を広げて休戦に持ち込みます。
▼一方でこれに伴い、70万人ものパレスチナ人が故郷を追われることになり、UNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関による長く困難な支援活動が始まります。

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▼さらに1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエルはこの休戦ラインを越えてパレスチナ全域を占領します。このとき国連では、イスラエルに対し休戦ラインを越えた占領地からの撤退を求める、歴史的な安保理決議242号が全会一致で採択されます。東西冷戦のさなか、常任理事国のアメリカとソビエトは対立していましたが、この時ばかりは中東の混乱が広がることへの危機感から、各国が足並みをそろえたのです。以降イスラエルは「国際法違反の占領」を非難されることになり、占領地では「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナの抵抗運動も広がっていきます。

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▼転機が訪れたのは、いまからちょうど30年前の1993年、イスラエルとパレスチナとの間にパレスチナ暫定自治合意が結ばれ、パレスチナ国家の樹立を目指した交渉が始まり、国連もこれを支援していきます。長い紛争に終止符が打たれるとの期待から、ときのイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構のアラファト議長は、翌年のノーベル平和賞を受賞しました。
▼ところが、2000年には聖地エルサレムの帰属をめぐって交渉は行き詰まり、再びパレスチナ側によるテロとイスラエルによる軍事攻撃の応酬が始まります。さらに2007年には和平に反対するハマスがガザ地区を実効支配するようになったのです。
▼現地で衝突が繰り返される中で、国連ではイスラエルを擁護するアメリカと、パレスチナを支持するアラブ諸国などとの対立が続き、安保理にイスラエルを非難する決議案が提出されると、アメリカが繰り返し拒否権を行使していきました。
▼一方で、国連総会では、アメリカやイスラエルの反対を押し切るかたちで、パレスチナに加盟国に準じるオブザーバー国家の地位を認める決議が、採択されたのです。
こうして和平の展望が立たないまま、国連を舞台にした各国の果てしない攻防が続いてきたのです。

<国連への失望と不信>
私はかつてエルサレムに駐在していた当時、そんな国連の混乱をやりきれない思いで見つめる人々の姿を、目の当たりにしました。
▼パレスチナのガザ地区では、食料の配給から病院や学校の運営までをUNRWAが担い、人々は生活のすべてを国連に頼っていました。その一方で、ひとたびイスラエルとの間で武力衝突が起きると、国連にはそれを止める力がないことも、人々は知っていました。アメリカがイスラエルを擁護して安保理で拒否権を行使すると、翌日にもイスラエル軍による攻撃が繰り返され、多くの住民が命を落としていたのです。
▼一方のイスラエルでは、テロや襲撃が続く中、国連でいかに孤立しようとも国を守るための闘いは一切妥協できないという、空気に満ちていました。かつてユダヤ人が世界から見放され迫害や大虐殺も経験してきた以上、国の安全は国際社会には委ねられず、強大な軍事力と安保理での拒否権をもつアメリカだけが頼りだという意識が、人々の間に根付いていました。

<問い直される国連の使命>

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国連は第2次世界大戦のあと、戦争の惨禍から得た教訓と、人種や宗教を理由にした差別や迫害を繰り返さないという反省に上に、設立されました。このためユダヤ人迫害の歴史とは切り離せないイスラエルの建国と、そこから派生したパレスチナ問題は、そんな国連の存立の精神を揺さぶる難問であり続けたのです。また、安保理で大国だけに認められた拒否権を盾に、アメリカがどこまでもイスラエルを擁護し続けてきたことは、もはや国連の構造的な問題だとも指摘されてきたのです。
75年にわたって国際社会が解決を諦めかけてきたパレスチナ問題は、いま世界の目の前でわずか1ヶ月の間に1万人以上が命を落とすという最悪の事態にいきついてしまいました。
かつて国連の第2代事務総長を務め、アフリカでの調停活動のさなかに航空機が墜落して亡くなったダグ・ハマーショルド氏は、こんな言葉を残しています。
「国連は私たちを天国に導くためではなく、地獄から救いだすために創られた」
世界平和の理想とはほど遠くとも、目の前で繰り広げられる惨劇を食い止めるためにあらゆる手を尽くすのが国連の使命であり、加盟国は力を合わせなければならないという、訴えでした。
いまこのときもガザ地区の瓦礫の中で死と隣り合わせにある子供たちの命を救うために、各国が積年の確執と不信を乗り越えて一刻も早い戦闘の停止に向け歩み寄ることができるのか、その一点が問われているのだと思います。


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