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性別変更の『要件』 最高裁大法廷の判断は

清永 聡  解説委員

戸籍上の性別を変更するには生殖能力をなくす手術を受ける必要がある、とする法律の規定について、最高裁判所大法廷は25日「憲法違反だ」という決定を出しました。
違憲の判断が出た背景と今後の影響、そして求められる取り組みを解説します。

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【今回の申し立ては】
この裁判、自分には直接関わりがないと受け止める人もいるかもしれません。ただ、当事者にとっては深刻な問題です。

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今回の申し立ては西日本で暮らす当事者が行いました。戸籍上は男性ですが、女性として長く社会生活を送っています。
2019年に性別を女性に変えたいと家庭裁判所に請求しましたが認められず、高裁を経て最高裁に特別抗告をしていました。

【特例法の要件とは】
そもそも「性別の変更」はどのようにして認められるのでしょう。
2004年に施行された性同一性障害特例法という法律で、性別変更を認める要件はこうなっています。

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前提として2人以上の医師が性同一性障害と診断していること。
18歳以上で、結婚しておらず、未成年の子供がいないこと。
そして今回判断されたのは4番目。生殖腺や生殖機能がないことです。

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これは子どもができないようにするためなどの理由です。事実上、卵巣や精巣を摘出する手術が必要になります。

さらに5番目は「ほかの性別の性器と似た外観を備える」とされています。
これらの要件をすべて満たせば、家庭裁判所の審判を経て性別変更が認められます。去年までに、およそ1万2000人が認められました。

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しかし今回の当事者は「社会的に長く女性として生活している。苦痛や後遺症の恐れがある手術をしなければならないのはおかしい」と訴えていました。

【トランスジェンダー当事者たちの声】
この要件、当事者の間でもさまざまな意見があります。
9月、見直しを求めているグループが会見を開きました。トランスジェンダーの木本奏太さんは手術をして戸籍の性別を変更しました。

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「高額なお金を支払って身体にメスを入れ、子供を残せないようにすることが条件と知った時には絶望に近い感情だった」と話しています。
一方、杉山文野さんは手術をしない道を選びました。戸籍上は性別が変わっておらず「望んでいない者にまで手術を強いる現行法は、人権侵害だ」と話しています。

一方で手術は必要という意見もあります。手術を経て性別を変更した美山みどりさんらは、判決前の10月に最高裁に要請を行って「法的な秩序が混乱する」と訴えたほか、「私たちは手術要件があるからこそ社会への信用が得られている」と述べました。
このほか「トイレや更衣室、浴室などで女性のスペースが守られなくなりトラブルが起きる」という懸念の声もあがっています。

【対立当事者がいない司法手続き】
今回は、司法手続きも一般の裁判とは異なります。

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裁判は普通、対立する当事者がいて、裁判官は双方の意見を聞いて判断します。
ところがこの性別の変更などは、行政を相手に起こしている裁判ではなく、直接争う相手がいません。
家庭裁判所は当事者の主張を聞いて、判断することになります。
これについて「反対する意見を聞いていない」「裁判所が認めたら確定してしまう」といった声も上がっていました。

【海外の動向】
海外では10年ほど前から扱いが見直されてきました。
2014年にWHO=世界保健機関が、不妊手術を性別変更の要件とすることを批判する声明を発表。
2017年にはヨーロッパ人権裁判所も「人権侵害」と判断しました。
これらをきっかけに生殖機能をなくす要件を廃止する国が増えていきます。
スウェーデンやオランダで法律が改正されたほか、ドイツでも憲法違反と判断されました。(参照:国立国会図書館「法的性別変更に関する日本および諸外国の法制度」など)

【最高裁大法廷の判断は】

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今回の決定で、最高裁大法廷の戸倉三郎裁判長は現状について「生殖機能をなくす手術を受けるか、性別変更を断念するか過酷な二者択一になっている」と指摘しました。
そして社会の理解が広がりつつあり、環境整備の取り組みも行われていること、法律ができた当時と比べ医学的知見が進展していること。海外でも生殖機能の喪失を要件としない国が増えていることなど「時代の変化」を重視しています。
その上で、「身体への強い負担」である手術を必要とする規定を「憲法違反だ」と判断しました。
これは15人の裁判官、全員一致の結論です。

【外観要件でなお続く審理】
ただ、今回の決定はなお論点が残されています。
さきほどの5つの要件にもう一度戻ってみましょう。
5番目に「ほかの性別の性器と似た外観を備える」と書かれています。今回最高裁は、この外観要件を否定していません。

決定後にある言説が一部であがりました。
「性自認、つまり自分の認識だけで性別を変えられることになる。大変なことになる」というものです。
しかし外観の要件は残されており、ほかの要件もあることから、これは事実ではありません。

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最高裁は、この「外観要件」で審理のやり直しを命じました。申立人は「長年ホルモン治療を行っている」と説明しており、今後は今回のケースがホルモン療法で要件を満たすか、なお手術が必要かなどを検討するとみられます。

【今後の課題1国会の対応】
では、今後の課題は何でしょうか。

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憲法違反となった規定は無効化されました。ただ立法をどうするかの裁量は国会にあります。
「安易に性別が変更されれば社会が混乱する」という意見もあります。
手術の要件をなくしても別の要件を厳格にするなど、社会の不安を取り去る規定を作ることは可能でしょう。
無効となった条文を削除するだけでなく、法整備に加えて公衆浴場の対応など生活上の幅広いルール整備、そしてトランスジェンダーへの理解を深める取り組みも平行して検討できるのではないでしょうか。

【今後の課題2司法手続き】
裁判所が一方の言い分だけで判断した、という批判もありました。
実は、今回の事例では家庭裁判所の調査官が当事者を調査し、報告書を作っていました。
対立する当事者がいなくても、家裁調査官が事実関係を「職権」で調べることもできるという仕組みがあります。
裁判所のある元幹部は「社会への影響も考え、調査官の力も借りて中立の立場から慎重に判断することは十分可能だ」と指摘します。

今後国会や裁判所は、「当事者の納得」と「社会の理解」を得られる仕組み作りが求められるでしょう。

【今後の課題3想定しない事態も】
ただ、さらに課題は残ります。
生殖機能を残したまま性別を変更した場合。その人は子供を作ることが可能になります。
つまり今後、夫から子供が産まれる。「男である母」、あるいは反対に「女である父」ができる可能性もあります。
最高裁はこうしたケースを「極めてまれ」だとしていますが、まれだからと放置はできません。
かつての社会が想定してなかった事例だけに、社会的な影響や対応も、検討しておくことが必要になるでしょう。

【性別とは何か】
性別とは「身体的」なものだけではありません。
本人の「心理的」な要素も大切です。
さらには周りがそれをどう受け止めるかという「社会的」な側面もあります。

そう考えると、今回のテーマは当事者だけにとどまりません。
かつては「変わらないもの」と見なされていた性別。時代の変化の中で、最高裁の今回の判断は、「性別」とは果たして何か、という人間の根幹にも関わるテーマを投げかけているように思えます。
決定を踏まえて社会はどう対応していくのか。さまざまな側面で今後十分な議論が求められます。


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