将棋の藤井聡太八冠。将棋界の頂点であるタイトルをすべて手にする前人未到の「八冠独占」を、21歳にして成し遂げました。
登り切った8つの頂からは、どんな景色が見えているのでしょうか。
■8つのタイトルすべてを獲得
将棋界には8つのタイトルがあり、それぞれ年に一度、タイトルをかけた五番勝負や七番勝負が行われます。
藤井さんは3年前、2020年に初めて棋聖のタイトルを獲得したあと、ほかのタイトルを次々と奪うとともに防衛にも成功。ことしは棋王と名人を手にして七冠になり、残るは王座だけとなっていました。
その王座戦は、タイトルを持つ永瀬拓矢さんとの五番勝負です。
2勝1敗で臨んだ第4局。藤井さんは終盤、苦戦を強いられましたが、形勢を逆転して勝ちを収めました。
■記録づくめの棋士人生
藤井さんは2002年生まれの21歳。
中学2年生だった2016年。14歳2か月で四段に昇段し、史上最年少でプロ入りしました。
62歳年上の加藤一二三 九段とのデビュー戦から連勝を続け、翌年の6月にかけて29連勝と、プロ1年目にして歴代単独1位の連勝記録を樹立します。
2020年にはタイトル初挑戦となる棋聖戦五番勝負を制して、17歳11か月の史上最年少で初めてのタイトルを獲得。その後、二冠、三冠、四冠と、タイトルの数を増やすたびに最年少記録を更新していきます。
ことし6月には最年少名人となり、1996年に羽生善治九段が成し遂げた「七冠」に並びました。
そして今回の王座戦を3勝1敗で制し、史上初となる「八冠独占」を成し遂げたのです。
■藤井八冠の強さとは
藤井八冠は、なぜこれほどまで強いのか。ほかの棋士などが指摘するのは、プロでも解くのが難しいレベルの詰め将棋に子どものころから取り組んで培ってきた終盤の読みの力と、プロ入り後に研究を深めていった序盤の組み立てです。
その結果、序盤から終盤まで安定した戦いを進めることができます。
そのことを示すのが、「藤井曲線」という言葉です。AI=人工知能による形勢判断のグラフが次第に藤井さんの側に傾き、右肩上がりのような線を描いていく状態のことを言います。悪い手が少なく、相手につけ入るスキを与えない、いわば横綱相撲です。
一方で、藤井さんの対局で印象に残るのは、最後の最後までもつれた末に勝ちを手にする、したたかな強さです。
例えば今回の王座戦五番勝負。相手の永瀬さんは、ふだんから一緒に練習将棋を指し、お互いに手の内をよく知る間柄です。厳しく熱心な研究姿勢から「軍曹」の異名で知られています。
藤井さんは第1局に敗れて黒星スタート。続く第2局から3連勝しましたが、いずれも2人とも持ち時間を使い果たす熱戦になりました。
藤井さんは第4局だけでなく第3局でも、終盤、敗色が濃厚な厳しい状況に追い込まれましたが、いずれも形勢を逆転して勝ちにつなげました。
こうした紙一重の勝利を引き寄せているのは、速く正確な読みであることは間違いないでしょう。ただ、それに加えて、何が何でも最善の手を見つけ出そうという執念が終盤の逆転を可能にしている、そのように思わざるをえません。
■高め合うライバルは
21歳にして将棋界の頂点を極めた藤井八冠は、このあとどこまで力を伸ばしていくのでしょうか。羽生善治九段が「七冠」を達成した時と比較しながら見ていきたいと思います。切り口は、「ライバル」と「AI」です。
羽生さんは27年前の1996年、25歳で史上初の「七冠」になりました。その後も第一線で活躍を続けてきた背景には、強力なライバルの存在がありました。
羽生さんのライバルは、同い年の森内俊之九段や1つ上の佐藤康光九段など、「羽生世代」と呼ばれます。羽生さんは七冠独占のあと同年代の棋士たちと熾烈なタイトル争いを繰り広げ、通算のタイトル獲得数を歴代最多の「99」に伸ばしています。
一方、藤井八冠の場合、今回の王座戦を戦った永瀬さんは31歳、これまでタイトル戦で4回戦った豊島将之九段は33歳と、年上の棋士と競い合っているのが現状です。
藤井さんと同世代の棋士はしだいに増えていますが、直接対局する機会はこれまでのところ、ほとんどありません。
こうしたなか、今月6日に開幕した竜王戦七番勝負では、3年前にプロ入りした同学年の伊藤匠七段が挑戦者になりました。藤井さんにとって、タイトル戦で初めての同学年対決です。
今後、「藤井世代」と呼べるような同世代のライバルと長年にわたって切磋琢磨するようになれば、藤井さん自身の実力がさらに上がるだけでなく、将棋界全体のレベルアップやファンの拡大につながることが期待されます。
■AIとどう付き合うか
もう1つの切り口、将棋のAIは大きな進歩をとげています。
棋士とAIが戦う「電王戦」が2012年から行われ、最後となった2017年には当時の名人が2連敗。AIのほうが強いことが明確になり、今や多くの棋士が、研究にAIを取り入れています。藤井八冠もプロ入りする前からAIを使っていると言います。
これによって新しい戦術が生み出されたり、これまで最善とされてきた手順が見直されたりと、戦い方が大きく変わってきました。
一方で、棋士が考え抜いて指した一手一手の良し悪しがすぐにAIから数字で評価され、対局中継を見ている人などに広く知られてしまう時代になっているとも言えます。
こうしたAIがもたらしている劇的な変化について、藤井八冠はどのように考えているのか。
丹羽宇一郎さんとの対談をまとめた本のなかで、藤井さんは「人間側の経験値を上げることにもつながります。それでこれまで以上に強くなる可能性というのが、開けてきたと思っています」と前向きにとらえる一方、「いいところは取り入れながら、AIを利用して自分を高めていくのが大事というか、問われているのかなと思います」と話しています(『考えて、考えて、考える』より)。
藤井さんは初タイトルを獲得したとき色紙に「探究」としたため、「より強くなって新しい景色を見たい」と語っています。AIはあくまでもそのための手段であり、使う側、すなわち「探究する側」が主体性を失ってはならないと考えていることがうかがえます。
多くの分野でAIの普及が進む今、私たちが仕事や暮らしの中でAIとどう付き合っていけばいいかを考えるうえでも、示唆に富む視点のように思います。
21歳にしてタイトルを独占した藤井八冠は、今後、防衛をかけたタイトル戦が対局の中心となり、すべての棋士から「乗り越えるべき目標」と見なされます。
八冠達成の直後には「実力という点でみると課題が多いと思っているので、頂上が見えるということはまったくない」とコメントし、一夜明けた会見では「王座戦をしっかり振りかえって前に進んでいけたら」と、苦戦を強いられたことを踏まえて地に足のついた受け答えをしていました。
目指すのは勝利や記録更新よりも、81マスの盤上にあるはずの「真理」を探究すること。
藤井八冠の前人未到の戦いは、まだ序章にすぎないのかもしれません。
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