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ノーベル生理学・医学賞 新型コロナmRNAワクチン開発の貢献者へ

吉川 美恵子  解説委員

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今年のノーベル生理学・医学賞は、新型コロナウイルスのmRNAワクチンの開発に大きく貢献した、ペンシルべニア大学の研究者、カタリン・カリコさんとドリュー・ワイスマンさんに贈られることになりました。このワクチンは、日本でも、ファイザーやモデルナのワクチンとして使われたため、接種したという方も多いと思います。

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今回の受賞理由は、「新型コロナウイルスに対して 効果的なmRNAワクチンの迅速な開発を可能にした発見」です。
このワクチンが、どのように誕生したのか、二人の発見により、今後医療はどう変わるのかについて、解説します。

【mRNAワクチンのしくみ】
「mRNAワクチン」とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
インフルエンザの予防などに使われている従来のワクチンは、感染しないように処理したウイルスなどが使われています。これに対し、mRNAワクチンは、ウイルスを使わない全く新しいタイプのワクチンです。

まず、ワクチンに使われる「mRNA」とはどういうものでしょうか?
私たちの細胞の核にあるDNAから、遺伝情報という「設計図」を写し取り、別の器官にそれを伝えて、たんぱく質を作らせるという役割をしています。つまり、mRNAは、私たちの体の中にも、もともと持っているものです。

一方、新型コロナウイルスには、表面に突起があり、この突起が感染のカギを握っています。ウイルスは、突起をヒトの細胞の表面に結合させて入り込むことで、感染するからです。ワクチンはこの突起をねらいます。

ワクチンを作るには、ウイルスのmRNAの中から、この突起を作らせる部分にあたる設計図を取り出します。それを特殊な膜で包んだもの、これがmRNAワクチンです。

ワクチンを接種すると、体内で、設計図を元に、ウイルスの表面にあったものと同じ、突起が体内で作られます。すると、それを免疫細胞が「異物」と捉え、「抗体」と呼ばれる物質を作り出します。こうしてウイルスの襲来に備えるのです。
そして、いざ本物のウイルスが体の中に入ってきたときに、抗体がウイルスの突起に取り付いて、速やかに迎え撃ち、感染を防ぎます。

つまり、人工的に作ったmRNAを使って、ウイルスが来る前に抗体を作って備えておくというのがこのワクチンです。

【常識を覆したカリコさんたちの発見】
実は、人工的に作ったmRNAを体の中に入れて、たんぱく質を作らせ、薬として使おうというアイデア自体は、1990年代からありました。

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しかし、「mRNAは薬には使えない。」というのが当時の常識でした。なぜなら、mRNAは、外から体の中に入れると、すぐに壊れやすいという厄介な特徴があったのです。しかも、ひとたび入ると細胞のセンサーに異物として認識されて、激しい炎症反応を起こし、ときには細胞自体が死んでしまうこともあったからです。

こうした課題を解決したのがカリコさんたちです。カリコさん達は、外から入れた人工のmRNAは激しく攻撃されるのに、もともと持っている自分自身のmRNAは、攻撃されないことに注目しました。ふたつの違いを調べたところ、もともと持っている方には、「化学修飾」と呼ばれる、いわば目印がついていることが分かりました。そこで、人工のmRNAにも同じような目印をつければ、センサーをかいくぐり、異物として認識されず、激しい炎症がおきにくくなることを発見、これまでの常識を覆したのです。今から18年前、2005年のことでした。

【カリコさんの研究人生】
カリコさんの研究者としての人生は、けして順調ではありませんでした。

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カリコさんは1955年、ハンガリー生まれ。大学時代からRNAの研究を始めましたが、途中で研究資金を絶たれ、それでも研究を続けたいと、アメリカへ渡りました。しかしその後も、成果は評価されませんでした。研究資金に困ったり、役職が降格になったりと、苦難の連続でしたが、「RNAを使って人の命を救いたい」との一心で研究に没頭しました。
そんな中、大学のコピー機を使うために待っていたときに出会ったのが、HIVのワクチンを研究していたワイスマンさんでした。RNAの研究者カリコさんとワクチン研究者のワイスマンさんが出会ったことで、RNAをワクチンに使うというアイデアが生まれたのです。

二人は共同研究を進め、2005年の大発見へと至りましたが、論文を発表した当時は、反響がほとんどなかったといいます。
しかしその後、この研究に目をつけたのが、インフルエンザやがんなどのmRNAワクチンの開発に力を入れていた、ドイツのベンチャー企業「ビオンテック」でした。
カリコさんはビオンテックに移り、研究を続けました。

ちょうどその頃、他のグループによって、壊れやすいmRNAを膜で包み、確実に細胞内に届ける技術など、ワクチンの効果を高める方法も、次々と開発されました。
カリコさんの研究成果を元に、こうした技術も使って、2010年代にはジカ熱などに対し、mRNAを使ったワクチンの臨床試験が、数多く行われるようになりました。

そして2020年、新型コロナのパンデミックが発生。ビオンテックと提携した大手製薬会社のファイザーは、驚異的な速さでmRNAワクチンを開発し、臨床試験で95%という非常に高い有効性を確認したと発表しました。その結果、カリコさん達の功績は、世界中に認められることになったのです。

【mRNAワクチン メリット・デメリット】

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mRNAワクチンの最大のメリットは、実際のウイルスが手に入らなくても、遺伝情報、つまり設計図さえ分かれば、それをもとに「すぐに」大量に作れることです。

それまでは、ワクチンの開発には少なくとも数年はかかると言われていました。ところが、この新型コロナワクチンの場合、ウイルスの遺伝情報が発表されたのが2020年の1月、臨床試験・緊急承認をへて、その年の12月には接種が始まりました。

また、もしウイルスが変異をしても、設計図を変えるだけで他の工程はほぼ同じなので、新しいワクチンが、すぐに作れます。そのため、もしインフルエンザでできれば、毎年変わる流行の型にも対応しやすくなります。臨床試験もすでに始まっています。

しかし、もちろんメリットだけではありません。新型コロナのmRNAワクチンには、インフルエンザなどのこれまでのワクチンと比べ、強い副反応が報告され、中には重篤な例もあります。
今回のパンデミックでは一刻も早いワクチンの開発が求められたこともあり、副反応という課題を抱えたまま接種が進みましたが、今後より広く様々な種類のmRNAワクチンが使われるためには、その原因を少しでも早く科学的に解明し、対応することが求められます。

【カリコさん達の成果は さらにmRNA医薬へ】
カリコさんたちの研究がもたらしたものは、ワクチンだけにとどまりません。

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「薬の設計図」mRNAを体内に送りこんで、思いどおりに薬を作れるようになれば、がんをはじめ幅広い病気の治療に使える可能性があるのです。中にはすでに臨床試験が始まったものもあります。

RNAの可能性を信じ続け、数々の苦難を乗り越えて、「人を救いたい」という夢を基礎研究によって実現したカリコさん。
今回の受賞は、「人類のために最大の貢献をした人に与える」という、ノーベル賞の精神をまさに体現したものだと思います。


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