中国が東京電力福島第一原発にたまる処理水の放出に反発しています。
日本産の水産物の輸入を全面的に停止したうえ、反日的な世論も一時、異例のエスカレートを見せました。
中国の強硬な姿勢の背景を探るとともに、今後の日中関係を考えます。
先月24日、処理水の海への放出が始まったのを受けて、中国政府は直ちに、日本産の水産物の輸入を全面的に停止すると発表しました。
処理水の放出計画はIAEA=国際原子力機関によって、「国際的な安全基準に合致している」との評価を受けたものです。
日本政府は外交ルートに加え、中国側からの書面での質問に回答することなどを通じて、科学的な根拠に基づいた説明をしようと努めました。
しかし、中国側はいまだに「核汚染水」という言葉を使って、日本側を批判しています。
そもそも中国が本格的な批判を始めたのは、日本政府が処理水を薄めた上で海に放出する方針を決定した2年前の春ごろとみられます。
当時、中国に対しては、新疆ウイグル自治区の人権をめぐり日本を含む国際社会から懸念や非難が強まっていたため、日本に対抗するためのけん制カードにしようとしたのではないかと、日本政府関係者は指摘しています。
さらにその後、経済安全保障の分野で日本とアメリカとの連携が進み、日本政府が先端半導体の製造装置の輸出管理を厳格化したことから、けん制カードとしての重要性はいっそう高まったとみられます。
実際に放出が始まると、中国では国営メディアだけでなく、SNS上でも日本を批判する書き込みが急増しました。
この話題が一時、検索ランキングのトップになったうえ、中には「福島で放射線量が瞬時に上がった」といった根拠のない投稿も拡散されていました。
こうした動きに触発されて、日本に対する嫌がらせもエスカレートしました。
中国にある日本人学校には石や卵が投げ込まれたり、北京の日本大使館にはレンガの破片が投げ込まれたりしました。
とりわけ異例だったのが、中国国内から日本の各地におびただしい数の迷惑電話が相次いだことです。
処理水放出への抗議だけでなく、一方的にののしるような言葉も多かったということで、このうち東京都庁にかかってきた電話は、先月31日までに3万4000件余りに上ったということです。
中国では共産党による一党支配のもと、インターネット上の情報は統制が徹底されています。
党や政府にとって好ましくない意見は削除されるのが一般的で、ネット上に反日的な意見がそのままにされていること自体、当局が事実上容認したことに等しいといえます。
しかも、「放出は科学的に問題ない」という内容のコメントは削除されており、恣意的な対応がうかがえます。
中国側としては、日本に圧力をかける狙いがあった一方、振り上げたこぶしを下ろすような弱腰の姿勢を見せれば、国内世論の矛先が自分たちに向かいかねないという懸念もあったのかもしれません。
だからといって、中国のこうした姿勢は両国関係にとってマイナスでしかなく、無責任だといわざるを得ません。
ただ、中国側が国内世論のコントロールに動き出している気配もあります。
潮目が変わり始めたのが、先月30日、共産党系メディアの「環球時報」が社説を掲載した頃からでした。
この中では「極端な感情を煽るような言論は、特に注意しなければならない」として、国民に冷静な対応を呼びかけたのです。
実際、日本政府が沖縄県の尖閣諸島を国有化した時のような大規模な反日デモはこれまでに起きておらず、今月3日の「抗日戦争勝利記念日」にもデモなどの動きはありませんでした。
ネット上で日本をひぼう中傷する書き込みも減少傾向にあります。
その理由について日本政府関係者や専門家はいくつかの見方を示しています。
まず、日本に対する批判が度を越してしまうと、中国社会の安定という点で好ましくないため、早めに沈静化を図り始めたという見方。
そして、科学的な根拠に基づかない中国独自の主張や日本への嫌がらせなどは、国際社会におけるイメージダウンにつながりかねないと判断したという見方。
さらに、中国に同調したのが、ロシアや北朝鮮など一部の国にとどまったのは誤算だったという見方、などです。
いずれにしても、日本へのけん制カードとしては期待していたほど効果がみられず、むしろ習近平指導部は、足元の課題に向き合うことを優先した可能性があります。
その課題とは、厳しい状況が続く中国経済です。
「ゼロコロナ」政策終了後も景気回復の勢いが鈍く、とりわけ、これまで経済成長をけん引してきた不動産市場の低迷は深刻です。
さらに、都市部の若者の失業率は20%を超えて最悪を更新し続け、先月にはデータの公表が停止されました。中国政府の警戒感の表れと受け止められています。
国民が不満を募らせる中、反日的な行為を容認することで「ガス抜き」を図ったのではないかという指摘は根強くあります。
ただ、習指導部は盛んに海外からの投資を呼びかけ、経済の立て直しを図ろうと躍起です。
本音では日本とも経済面での協力を進めたいのではないかと見られていて、そのためにも反日感情が過熱することは避けたいのでしょう。
今後は、日本産の水産物の輸入停止という、みずから上げてしまったハードルにどう対応するかもポイントの1つです。
では、今後の日中関係に求められるものは何でしょうか。
現在、岸田総理大臣と中国のナンバー2・李強首相は、ASEAN関連の首脳会議に出席するためインドネシアを訪れているほか、今月9日と10日にインドで開かれるG20の首脳会議にも出席する予定です。
このうちG20については、習主席が初めて欠席することが明らかになり、その理由をめぐっては、開催国のインドやアメリカとの対立に絡めた憶測も出ていますが、はっきりしません。
中国のトップが不在の中、直ちに事態を打開させることは難しいかもしれませんが、6日、岸田総理大臣が李強首相と立ち話を行い、意思の疎通を図ったことは前向きな一歩といえます。
そのうえで日本としては、中国以外の国に対しても、2国間の会談や多国間の会議を通じて積極的にその主張を伝え、理解を広げていくというしたたかな外交が今こそ求められているといえます。
そのためにも処理水放出後のモニタリング結果など、透明性の高い情報発信は不可欠です。
中国については一定の冷却期間が必要だという見方もあります。
ただ、習指導部に特徴的な「強さ」をアピールする姿勢が、国際社会ではむしろ孤立にもつながることを認識したうえで、みずからを客観的に見つめなおすという冷静な対応が強く求められます。
ここ数年、日中関係は台湾有事との文脈で語られることが多くなりました。
それは、双方が決定的な関係悪化に陥ってしまうと、取り返しのつかない結果をもたらすという危機感が、両国だけでなく国際社会でも高まっていることの表れだと思います。
この機会に日本と中国は、リスクを管理し、安定を確保するための意思疎通のあり方を改めて考えることが重要なのではないでしょうか。
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