来年秋に今の健康保険証を廃止してマイナンバーカードと一体化させる“マイナ保険証”。
国民から保険証の存続を求める声も上がる中、岸田総理大臣は、来年秋の廃止の方針は当面維持する考えを示しました。
国民の理解は得られるのか。今後の政権運営にどのような影響を与えるのか。
考えていきます。
【来年秋の保険証廃止判断は事実上先送り】
岸田総理大臣は、8月4日、記者会見に臨み、冒頭、マイナンバーカードをめぐる相次ぐトラブルについて「国民の不安を招いていることにおわびを申し上げる」と陳謝しました。
来年秋に今の保険証を廃止してマイナンバーカードと一体化させる“マイナ保険証”では、他人の情報が誤って紐づけられるなどのトラブルが確認されています。
政府・与党内でも、来年秋の廃止か延期かで意見が割れる中、新たに打ち出した対策は、次の内容です。
▼保険証を来年秋に廃止する方針は、当面維持する一方、ことし秋までをメドに終えるとしているトラブルの総点検などの状況次第では、廃止時期の延期も含め必要な対応をとるとしました。事実上、判断の先送りです。
▼保険証を廃止しても円滑に医療を受けられるよう、“マイナ保険証”を取得していない人全員に、代わりとなる「資格確認書」を発行し、1年を上限としていた有効期間を5年以内に延長するとしました。
「資格確認書」について、政府は、本人の申請を待たずに交付するとともに、今の保険証のシステムで発行できるよう、紙やプラスチックのカード型などとして、顔写真は載せないとしています。
【対策打ち出しの背景は】
なぜ今、「資格確認書」の運用拡大という対策を打ち出す必要があったのでしょうか。
それは、国民から「来年秋の保険証の廃止は乱暴ではないか」といった不満の声が上がり、政府に「このままでは混乱に拍車がかかりかねない」という危機感があったとみられます。
政府は、保険証とマイナンバーカードを一体化するメリットを強調しています。
例えば、▼就職・転職・退職などの際に、保険証を切り替える必要がなくなる。
▼医療情報を医師や薬剤師と共有して、よりよい医療を受けられるようになる。
▼オンライン上で医療費の情報を管理できるので、確定申告が簡単になる。
▼他人の保険証を悪用して医療機関を受診する“なりすまし”も指摘される中、顔認証によって本人確認の精度が上がる。
▼セキュリティー対策としては、カードのICチップに、医療や税、年金などの情報は登録されていない上、不正に情報を読み出そうとするとチップが壊れる仕組みであり、「安心だ」としています。
当初、政府は、国民に対して、デジタル化が社会に必要不可欠だと説明すれば、理解を得られるはずだと、高を括っていたようにも映ります。
一方で、トラブルは後を絶ちません。
“マイナ保険証”では、▼他人の情報が誤って登録されていたケースが、これまでに7300件以上確認されました。
▼厚生労働省の調査では、全国3411の健康保険の組合のうち、情報を手順どおりに確認していなかったなど再点検が必要な組合が約4割に上ることがわかっています。
▼医療機関では、“マイナ保険証”の情報を読み取れず、患者が一時的に医療費全額を負担したケースや、医療費の負担割合が誤ってカードに登録されていたケースも確認されました。
7月のNHKの世論調査では、来年秋に保険証を廃止する方針について、「予定どおり廃止すべき」が22%だった一方、「廃止を延期すべき」が36%、「廃止の方針を撤回すべき」が35%となり、廃止の「延期」と「撤回」を求める声が7割を超えました。
トラブルの続出もあって、国民から不信の声が相次ぐ事態は、政府にとって想定外だったのではないかと思います。
【資格確認書「保険証と何が違うのか」】
政府が対策として打ち出した「資格確認書」にも課題はあります。
「資格確認書」は、政府が、来年秋の保険証の廃止に伴う一時的な代替措置として想定していたもので、運用拡大によって「今の保険証と何が違うのか」という指摘も出ています。
政府は、「資格確認書」の有効期間について、健康保険を運営する組合ごとに5年以内で設定し、更新も可能とします。
岸田総理大臣は、記者会見で「従来の保険証に比べて発行コストや事務負担が減少するのは当然だ」と述べました。
しかし、具体的にどれくらい軽減するのかは明らかになっていません。
立憲民主党の泉代表は、「資格確認書」の発行について「余計に手間と経費がかかるやり方だ」と指摘し、今の保険証を残すべきだと訴えています。
日本医師会は、「資格確認書」の交付など、必要な保険医療を受けられる環境整備が、来年秋までに間に合わない場合は、今の保険証の有効期間を延長するよう要請することもありえるという姿勢です。
このほか、ことし秋までのマイナンバー情報の総点検では、トラブルがさらに相次ぐことも予想されます。
岸田総理大臣は、来年秋の保険証の廃止について「総点検とその後の修正作業の状況を見極めた上で、廃止時期の見直しも含め適切に対応する」と述べ、事実上、判断を先送りせざるをえませんでした。
【衆院解散戦略にも影響か】
保険証の廃止をめぐっては、政府・与党内の意見の相違も浮き彫りになりました。
自民党内では「マイナンバーカードをめぐるトラブルが、岸田内閣の支持率の下落につながっている」という警戒感があります。
党幹部からは、保険証の廃止時期を来年秋から遅らせることも含めて検討すべきだという意見が相次ぎ、岸田総理大臣の周辺では、一時、廃止時期の延期も検討されました。
これに対し、強い「待った」をかけたのが、関係する閣僚や省庁です。
河野デジタル大臣は「厚生労働省・総務省と相談の上、岸田総理大臣の了解も得て決めたことだ」と強調します。
来年秋の保険証の廃止は6月の法改正で決めたばかりで、延期するには、秋にも開かれる臨時国会で再び法改正が必要となり、混乱が生じかねません。
厚生労働省のある幹部からは「廃止時期の延期となれば、理由を国民に説明する必要が出てくる。説明できなければ、政権は信頼を失う」といった指摘も出ています。
連立政権を組む公明党の山口代表も「今、廃止時期の延期を決める理由が全くわからない」と述べ、まずは政府が説明を尽くすよう求めました。
廃止時期の判断が、事実上、先送りされたのは、岸田総理大臣が、政府・与党内の意見の相違を埋められなかった上、事態の推移を見通せず、収束に向けた手段を見つけられなかったからとみられます。
今回、与党側からは、岸田総理大臣がリーダーシップを発揮して事態の収拾を図るべきだという指摘もありました。
野党側からは、マイナンバーカードをめぐるトラブルへの対応が、次の衆議院選挙で争点の1つになるという見方が出ています。
今後の対応が、岸田総理大臣の衆議院の解散戦略に影響を与えることになりそうです。
【岸田政権に問われていることは】
岸田総理大臣は、デジタル化の進展にあたり「誰一人取り残さない」と強調しています。
ただ、去年10月、河野デジタル大臣が、来年秋の保険証の廃止を打ち出したときは「マイナンバーカードの取得自体は任意のはずなのに、事実上の義務化だ」といった反発も出ました。丁寧な手順を踏むことはできていたのでしょうか。
国民の不安を払拭し、理解を深められるかが、今、岸田政権に問われています。
この委員の記事一覧はこちら