不妊治療や生まれる前の胎児の検査といった生殖医療、これに関するルールは、どのように決める必要があるのでしょうか。
生殖医療は急速に進歩しています。一方で、倫理的課題は多く、どこまで実施することが認められるのか、その判断はますます難しくなっています。
現在、生殖医療のルールの多くは、日本産科婦人科学会がつくったもので、いわば「自主規制」として運用されています。この学会は、産婦人科の医師など、およそ1万7000人で構成される団体です。学会は、「生殖医療に関するルールを自ら決めるには限界がある」などとして、国によるルールづくりを求めています。
今回は、
▽生殖医療で、どのようなことが技術的に可能なのかを見ながら、
▽日本産科婦人科学会が決めているルールと課題、
▽いま、求められていることについて、考えます。
生殖医療の現状を見てみます。
不妊治療は、2022年から保険が適用されるようになりました。精子と卵子の「体外受精」、あるいは上の図の写真のように、針で卵子の中に精子を送り込む「顕微授精」などが対象です。この受精卵を着床させます。
男性に不妊の原因があるケースでは、第三者から提供された精子を子宮の中に送り込むという方法もあります。「AID」と呼ばれています。
これについて、日本産科婦人科学会は、1人の提供者から生まれる子どもが多くならないよう、生まれる子どもを10人以内にするというルールにしています。
カップルの受精卵を第三者の女性に着床させて、妊娠・出産してもらう「代理出産」が上の図です。
代理出産について意見は様々ですが、学会のルールでは「禁止」しています。妊娠した女性の身体的危険性や精神的負担、家族関係が複雑になるといったことがその理由です。
こうした中で、代理出産のために海外にわたるケースも見られます。過去には、ルールに反して国内で代理出産を行った医師が、学会から除名されたこともありました。
代理出産について、国内の法律では規定されていません。議論を呼ぶ代理出産も学会のルールなのです。
精子や卵子、受精卵が凍結保存されることがあります。
凍結保存が行われるのは、
▽不妊治療で、複数の受精卵を凍結保存し、適切なタイミングで着床させるケース、
▽がんの治療を受ける人が、放射線などによる影響を受けないように治療の前に凍結保存しておくケース、などがあります。
学会のルールで、凍結保存したこれらの売買は禁止しています。
ただ、専門家からは「不妊治療を続けている人などに、高値で売買される危険性は否定できない」という指摘があります。仮にこうしたことが行われれば、生殖細胞を商品のように扱う商業化にもつながりかねず、大きな問題になります。これも国の法律の規定はありません。
凍結受精卵などは、使われなくなった段階で適切に廃棄される必要があります。
学会のルールは、適用される対象が学会の会員だけです。法的な拘束力もありません。ルールを守らなかった医師が、学会から処分を受けることはありますが、医療活動ができなくなるというものでもありません。
学会は重要なルールを作っていますが、一方で効力には限界があります。
生殖医療は、さらに進展しています。
現在は、生まれる前のおなかの胎児、さらに受精卵の段階で、病気かどうかを調べる検査が行われています。
そのうちのひとつが、受精卵が一定程度、細胞分裂した段階で、一部の細胞を取り出して調べる「着床前検査」です。「PGT-M」と呼ばれる方法では、特定の遺伝子に異常がないかどうかを調べます。そして、異常が見つからなかった受精卵を選んで着床させます。
PGT-Mについては、受精卵を選ぶことから「命の選別につながる」といった議論があり、慎重に行われる必要があります。
学会のルールでは、遺伝子を検査する対象となる病気について、「重篤な遺伝性の病気に限る」と限定的にしています。現在は、学会に申請のあった1例1例について、実施が認められるかどうか個別に判断しています。
しかし、どのようなケースが「重篤」と判断されるのでしょうか。
病名だけで決められるものではないという指摘もあります。例えば、最初の子どもが重い遺伝性の病気だった場合、2人目の子どもについては、この検査が認められると考える関係者もいます。しかし、異なる意見をもつ人もいると思います。
検査によって、ある病気の子どもが生まれないようにすることは、障害がある人への差別を助長しないかといった意見もあります。倫理的にも難しい判断で、もはや産婦人科の医師の集まりである、学会で決められる範囲を超えていると思います。
実は、生殖医療のルールについては、以前から繰り返し指摘されてきたという経緯があります。
2000年に、当時の厚生省の専門委員会は、報告書で「倫理的、法律的、技術的側面から検討し、提言などを行う公的機関の設置を求めています。
また、2008年、代理出産などを検討してきた日本学術会議の検討委員会は「生命倫理に関する諸問題について公的な常設の委員会を設置し、政策の立案などをするよう」提言しています。
2000年の報告書から20年余りが経過しています。この間、国はどうしていたのでしょうか。
こども家庭庁の担当者は、「2000年からの経緯を踏まえて、現在国会で議論が進められている」と話しています。この議論とは、2020年に成立した生殖医療に関連した親子関係について定めた特例に関する法律のことです。法律の付則には、成立後も様々な検討を行うよう書かれています。これに基づき、国会の超党派の議員連盟が協議を続けています。
▽「出自を知る権利」、つまり第三者の精子や卵子が提供され、生まれてきた子どもが提供者について知る権利や、
▽「代理出産」の是非などについてです。
こうした動きについては「遅すぎる」という指摘の一方、「意見が分かれるテーマで、検討には時間がかかる」という声も聞かれます。いずれにしても、生殖医療の進歩に、いまのルールが追いついていないことは、多くの人が感じることではないでしょうか。
では、何が求められているのか。
それは、国が、20年あまり前から指摘されている公的な機関を設置することだと考えます。
法律による規制が必要なもの、国民の間でも意見が分かれる倫理的問題について、検討することが必要です。そのうえで、
▽生まれてくる子どもの権利を守り、
▽生殖医療の商業化を認めず、
▽障害者への差別につなげない慎重な運用が求められます。
あわせて、
▽子どもを産むかどうかという女性の自己決定は尊重される。
そうした生殖医療、そうした社会に結びつけることが大切です。
イギリスには、生殖医療に関する認可や監督などを一元的に行う機関があります。その例も参考に、議員連盟の議論を深化させるなどして、国民の納得できる形にしていくことが必要です。
日本産科婦人科学会がルールを作ってきたのは、診療の現場では、生殖医療を実施するにしても、しないにしても、その判断の根拠を診療の相手、それに社会に対して示す必要があるからだと思います。
生殖医療は急速に進歩し、かつて難しかったことが、技術的には簡単にできるようになってきています。学会からの問題提起をきっかけに、国あるいは国会は、生殖医療に関するルールづくりについて、議論を加速させることが求められています。
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