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水素基本戦略 改定で見えた課題

土屋 敏之  解説委員

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燃やしても二酸化炭素を出さない次世代エネルギーとして注目される「水素」。その開発や普及に向けて、先週政府は6年ぶりの基本戦略をとりまとめました。待ったなしの気候変動対策を加速できるのか?そして問題点はなにか?考えます。

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今月6日、関係閣僚会議でとりまとめられた「水素基本戦略」。2017年に世界に先がけて水素社会を実現させようと策定した戦略を改定するものです。
主な内容は、水を電気分解して水素を作る「水電解装置」や水素を燃料として電気を生み出す「燃料電池」など9つの分野を中核となる戦略分野と位置づけ、重点的に取り組むとしています。今後15年で官民あわせて15兆円を超える投資を行う計画で、水素の利用量を2030年には最大300万トン、2040年には1200万トン程度と現在の6倍にまで増やすことをめざします。
こうした水素の活用は、今国会で法律ができたGX(グリーン・トランスフォーメーション)の柱のひとつでもあります。
松野官房長官は「水素は脱炭素、エネルギー安定供給、経済成長の“一石三鳥”をなしうる産業分野だ」として関係閣僚に対し取り組みを進めるよう求めました。

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日本だけではありません。アメリカも今月5日に「クリーン水素戦略」を発表しました。再生可能エネルギーなどからの水素の生産を2030年に年間1千万トン、2050年には5千万トンに増やす目標で、アメリカのCO2排出を10%減らせると大きな効果を見込んでいます。
EUの欧州委員会は去年ウクライナ侵攻に伴いロシアの化石燃料からの脱却をめざす計画を発表。そのため2030年までにEU内での再エネによる水素の生産と輸入をそれぞれ1千万トンに増やす目標を掲げています。
中国や韓国、インド、オーストラリアなども相次いで水素の生産拡大や産業育成の計画を打ち出しています。

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なぜ今、水素なのか?気候変動対策とエネルギー安全保障が大きな理由です。
気候変動対策としての長所は、第一に、燃やしても二酸化炭素を出さないこと。
第二に、再エネをためる蓄電地のような役割を大規模に担えること。これは水を電気分解すると水素と酸素ができる「水電解」という技術が既にあり、発電量が変動する再エネが余剰な時には水素を作って貯蔵し、電力が足りない時は水素で発電するというものです。理屈の上では水素を経由することで「再エネ100%」で電力を安定供給することも可能になります。
第三に、蓄電池にはないメリットとして直接燃料や原料としても使える点です。先日トヨタが開発した世界初となる液体水素を燃料とする水素エンジン車がレースに出場しました。製鉄業では、現在コークスつまり石炭を使って鉄鉱石から鉄を取りだしている工程を代わりに水素で行う技術の開発も進んでいます。さらに現在石油から作られている化学製品の原料としても使われます。
こうした長所から「脱炭素社会は“再エネ+水素”の社会」になるとの考え方もあります。
加えてウクライナ侵攻に伴いエネルギー安全保障の面でも重要性が増しています。
産出する地域が限られる化石燃料と違い、どの国でも太陽光や風力などの再エネで生産 可能な水素。期待がさらに高まっているのです。

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とは言え、水素の普及には多くの問題点があります。
まず水素の価格は現状では天然ガスのおよそ5倍。量産化や技術革新を進めるとしても当面は国の後押しなどが欠かせません。
さらに本質的な問題として、現状では水素は気候変動対策にはほとんど役立っていない、ということがあります。
一体どういうことか?実はこの価格の高さから、現在世界で使われている水素のほとんどは化石燃料、天然ガスなどを化学反応させて作られているのです。これでは「燃やしてもCO2を出さない」と言っても水素の生産段階でCO2を出しています。
このため、今後いかに生産時もCO2を出さない水素に切り替えられるか?が問われており、各国の戦略は再エネなどでの水素の生産を増やすことを重視しています。
ところが、こうした観点から日本の水素基本戦略を見ると問題があります。水素の利用を拡大する目標量は示されているものの、そのうち再エネなどで生産時のCO2を出さない水素がどれだけなのかは数字がないのです。政府は、現状では水素のサプライチェーンの整備などを加速するため、まずは化石燃料由来の水素でも増やすことが重要だとしています。しかし、将来の目標にさえ「いつまでにどれだけ再エネ由来の水素などを増やすのか」がまったくないのは、各国の戦略と比べても異質です。これで本当に気候変動対策になるのか?疑問を抱かざるを得ません。

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実は前回(2017年)の基本戦略では「2020年度までに再エネ由来の水素を供給する水素ステーションを100か所程度整備」することを目指すとしていたのですが、これで実際に整備されたのは27か所に留まりました。そして、今回の改定ではこうした目標自体なくなっています。
また水素ステーションを利用する燃料電池車の普及についても、前回の戦略で2020
年度に4万台をめざしていたのが現在もわずか8千台ほどに留まっており、今後の目標も今回実質的に下方修正しています。
水素の生産装置のコストダウンについても、前回は2020年にキロワットあたり5万円に下げる技術をめざしたものの未達成で、目標の時期を実質先送りしました。
つまり、6年ぶりの改定は、むしろ国の水素普及政策がうまくいかず後退している面も浮かび上がらせたのです。

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エネルギー安全保障の面でも課題があります。日本の戦略には水素の「利用量」を増やす目標はあるものの、水素を国内でどれだけ「生産」するのかは目標自体ありません。海外からの輸入に頼る前提なのです。
しかし、ウクライナ危機で輸入資源に頼る危うさが突きつけられた今、各国はエネルギー安全保障の面からも水素の国産化の目標を掲げています。
この点については国内の生産コストが高いことなどが理由とされていますが、だからこそ国が支援し貴重な国産エネルギーとして育てていくロードマップなどが求められるのではないでしょうか。そして最近、電力会社が再エネのいわゆる「出力制御」を行うことが増えています。これは、電力を安定させるため、発電量が需要に対し多すぎる時は再エネ事業者からの電力を止めて受け入れないことですが、燃料費が実質タダの再エネを無駄にしていると言えます。今後、洋上風力発電などの大量導入が進めば天候による発電量の変動はさらに大きくなるため、余剰になる再エネで水素を作って貯蔵する仕組みを整備すべきでしょう。
そもそも前回の戦略をまとめた2017年、日本の温室効果ガス削減目標はまだ「2030年度に26%削減」でした。それが現在は46%とより高い目標になっているにも関わらず、対策の柱のひとつの水素戦略がむしろ後退したようにも見える、これで目標を達成できるのでしょうか?

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6年前、世界で初めて水素の国家戦略を策定したとされる日本は、今も技術的には優れた分野がいくつもあり、これをどういかして脱炭素社会につなげていくかが問われています。
先日のG7サミットで岸田総理は「2030年までの『勝負の10年』にすべての部門において急速かつ大幅で即時の温室効果ガス排出削減を実施しなければならない」と発言しました。それを実行に移す具体策が今求められています。


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