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香港国家安全維持法3年 表面的な平穏と深まる市民の分断

奥谷 龍太  解説委員

香港の大規模な民主化運動を受けて、中国の習近平指導部が、政府への反対運動を取り締まる香港国家安全維持法を導入して、まもなく3年になります。この間、香港がどう変化したのかを振り返り、そして今後どうなっていくのかを展望します。

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【女子留学生】
ことし3月、日本の大学に通う23歳の留学生が「ネット上に香港の独立を扇動するメッセージを投稿したと」として、一時帰国した際に、香港国家安全維持法に違反した疑いで逮捕され、保釈されたもののパスポートが没収されて、日本での留学を続けることが困難になっています。日本での言動を理由にこの法律が適用されたのは初めてと見られます。海外の留学生に対して、軽い気持ちであっても政府に反対する活動をしたら、香港に安全に帰れなくなるという脅しや威嚇の効果を狙っているものともみられています。

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【香港国家安全維持法】
3年前の2020年6月に習近平指導部が香港国家安全維持法を成立させて以降、ことし3月末までに250人が逮捕されています。この中には、「時代革命」という民主化デモのスローガンを掲げるなどした一般市民のほか、中国に批判的な論調で知られた新聞「リンゴ日報」の創業者黎智英氏、それに立法会の民主派の元議員55人が逮捕され47人が起訴されています。
この香港国家安全維持法がいかに特異な法律か改めて見てみます。最初に、香港の外であっても適用される点です。今回、日本にいる大学生が摘発されましたが、条文には、香港市民だけでなく、外国人が香港の外で行った行為についても適用すると書いてあります。
そして2つ目。何が犯罪か曖昧だという点です。法律では、国家分裂、政権転覆、テロ、外国勢力との結託で安全に危害を与えること、という4つを犯罪としていますが、たとえば外国勢力との結託とは何なのか、条文では曖昧です。中国共産党に批判的な外国人と仲良くするだけで、結託したとみなされる恐れがあります。また47人の民主派の議員はいま裁判を受けていますが、予算案を通さないように計画を練ったという、常識では野党として普通のことが国家政権転覆の罪に問われています。このように、拡大解釈が可能で、恣意的に法律が使われる懸念があります。

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そして3つ目。香港の他の法律と矛盾があった場合は、国家安全維持法が優先する、と明記されている点です。これでもまだ中国政府は「香港の一国二制度を守る」などと言っていますが、事実上、一国二制度は完全に形骸化した、と指摘されています。

【法律以外でも自由を制限】
 この3年の香港の変化は、法律の効果だけはありません。いまや香港政府は、国家安全維持法の施行を機に、法律で直接書かれていない分野でも、表現の自由や言論の自由を制限しようとするまでになっています。中国の直接の指示もあるとみられますが、高度な自治が認められているはずの香港の官僚が中国共産党の意向を忖度することが増えたとも指摘されています。
まず現在香港では、密告が奨励されています。香港政府は国家安全維持法の施行後、市民の通報を受け付ける、いわば密告ホットラインを設置、これまでに40万件の通報があったということです。このため市民は誰かに告発されるかもしれないと、知り合いどうしであっても自由な発言を警戒し、身構えています。互いに信頼できないようにして、市民社会の基礎を壊す目的だという指摘も出ています。

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風刺画もご法度です。香港を代表する新聞「明報」は、今月、40年間続いてきた風刺画の掲載をやめると明らかにしました。香港メディアによりますと、最近、警察や政府高官からの警告が相次いでいたということで、明報はこれ以上の政府からの圧力を避けたかったものと見られています。
 映画にもタブーが増えてきています。日本でこの夏公開される、くまのプーさんが殺人鬼になるというホラー映画が、香港で3月に上映されることになっていましたが、直前に急遽、中止になりました。プーさんは、習近平氏を揶揄するときに使われることがあります。これに気を使った香港の官僚が、上映停止に動いたとみられています。

【さらに取り締まり強化へ】
こうして香港では、厳しい取り締まりや言論統制、そして民主派を排除する選挙制度の改変によって、政府を批判する声は、ほとんど聞こえなくなってしまいました。しかし、先月、習近平指導部で香港問題を担当する、香港マカオ事務弁公室トップの夏宝竜氏が香港を訪れ、政府要人を前に演説し、今後も引き続き、取り締まりを強化していく方針を強調しました。夏氏は「水面下では怪しい動きがあり、問題の根は取り除かれていない。柔らかい抵抗にも警戒を続けなければならない」と述べました。民主派の市民を、あくまで警戒すべき、取り除くべき対象として、今後も摘発を続けていくとみられます。

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【民主化を求める香港の人々は】
こうした香港の現状に、財力がある市民は、香港の未来は暗いと見て、海外への移住を選ぶようになりました。正式な統計はありませんが、これまでに、20万人から30万人が、イギリスやカナダなど世界各地に移住したとみられます。この中には、医師や教師など、高度な技能や知識をもつ人材も多く、香港ではこれから人材不足が大きな社会問題になる可能性があります。しかし、財力が無い市民は、民主化が絶望的になっても香港に留まるしかありません。私の香港の友人は、知り合いのうち10人も移住してしまって寂しくなった、と話していました。

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 香港では4年前、最大で200万人が民主化を求めてデモに参加しました。参加した多くの若者に直接、聞いてみましたが、悔しい、悲しいという気持ちはあっても、デモへの参加を後悔しているという人は私の知る限りいませんでした。「中国共産党のいいなりにならないという、尊厳の戦いだった。ああするしかなかった、そして香港市民が団結できたのは良かった」などという意見を多く聞きました。
そして現在は表面的に平穏な香港ですが、私が気になったのは、中国共産党の支配を受け入れる市民と、嫌悪する市民の分断が深刻になっていることです。昔の友人どうしであっても、表面的にしか付き合えなくなったケースも多いということで、これがまた香港市民を深く傷つける結果となっています。
もともと香港では、以前から市民の間で、民主派を黄色、親中派を青で表すようになっていて、4年前のデモの最中には、はっきり黄色の看板を出す店もありました。今、香港で店が黄色を強調することはできませんが、市民の心の中では区別していて、民主派の市民は、なるべく黄色の店に行くといった、ささやかな抵抗を続けています。

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【香港の今後は】
3年前、習近平指導部は、自らの政治的な権威に固執し、香港市民が共産党に反対の声を上げるのを容認できず、事実上、一国二制度を壊すことを選択しました。しかし、力による統治は、国際社会との対立を先鋭化し、人材も逃げていきます。また、摘発や威嚇では、市民に心から共産党を支持させることはできません。そして表現や言論の自由が制限された社会のままで、今後、香港が世界に誇る、国際金融センターや貿易拠点としての地位を、守ることができるのかも不透明です。
ネットの書き込みの中に、香港には、政府に従順な市民か、摘発対象の市民か、海外に移住する市民の三種類しかいなくなった、などという言葉を目にしました。そのような変化をもたらしているのは、他でもなく中国共産党です。これ以上社会の分断を深めないためにも、民主化を求める市民の摘発の手を緩めるなど、もっと寛容な政策をとり、政府を支持しない市民との共存をはかってほしいと思います。


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