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ロシア・対独戦勝記念日と亀裂

石川 一洋  専門解説委員

ロシアのプーチン大統領にとって、第2次世界大戦でナチスドイツに勝利した戦勝記念日、5月9日は体制を支える愛国主義のいわば聖なる“祝日です。
しかし戦勝記念日を前に、軍指導部を口汚く罵る民間軍事会社の代表。クレムリンを攻撃したとさせるドローン。
体制内部の亀裂や異変が次々と表面化しています。
戦勝記念日に向けて明らかになったプーチンのロシアの亀裂について考えてみます。

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プーチン大統領
「わが祖国に対して再び真の戦争がしかけられている」

ナチスドイツに勝利した戦勝記念日の軍事パレードは例年より大幅に規模を縮小した形で行われました。プーチン大統領は国民の危機感をあおり、団結を訴えました。 しかし大統領の足元で、軍と民間軍事会社ワグネルの亀裂が露呈しています。

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今月5日。ロシア軍を揺るがすビデオを民間軍事会社ワグネルの代表のプリゴジン氏が自らのテレグラムチャンネルに投稿しました。
「ショイグ(国防相)、ゲラシモフ(参謀総長)、どこに弾薬があるのだ。」
軍事侵攻の指揮をとる国防相、参謀総長を呼び捨てで非難、統制を乱す傍若無人の行為です。かつてのソビエト赤軍であれば、銃殺になりかねない統制違反です。
しかし驚くのはこの行為が、お咎めを受けるのではなく要求が認められようとしていることです。プリゴジン氏は、国防省は弾薬の補給を約束され、さらに自らと親しい強硬派のスロビキン大将がワグネルと国防省の仲介役を務めると明らかにしたのです。
スロビキン大将は、1月までは軍事侵攻の総司令官を務めていました。しかしプーチン大統領は、統制の乱れを懸念して、この1月、総司令官を更迭、ゲラシモフ参謀総長にウクライナ侵攻の総司令官を兼務させ、垂直の指揮命令系統で統制を強化しようとしました。その更迭した将軍をプリゴジン氏のなだめ役に復活させたのです。なぜプーチン大統領と ロシア軍はプリゴジン氏とワグネルの跋扈を許すのでしょうか。

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一つはロシア軍の弱点を補完する軍事的な必要性です。
ロシアでは民間軍事会社は禁止されており、いわば非合法な存在です。しかし正規軍の代わりに非合法な民間軍事組織を外国への軍事介入の道具とすることを考えたのは、もともとは軍諜報局GRU(ゲーエルウー)で、“プーチン氏の料理人”といわれたプリゴジン氏がその運営を引き受けました。
プーチンの取り巻き財閥の中ではいわば二線級であるプリゴジン氏に財政的にもワグネルの活動を維持する力はなく、軍や大財閥がそのバックにいるといわれています。シリアやリビアの内戦への参加、中央アフリカなどアフリカ諸国での傭兵、GRUのいわば非正規の別動隊という側面があるのです。ただシリア内戦でアサド政権側として参加して以降、中東やアフリカでの凄惨な戦闘の中で特に都市部での戦いについては、ワグネルの指揮官クラスは正規軍を上回る実戦経験を積んできました。ウクライナでは、軍が苦戦する中、最も困難な都市部の制圧をワグネルにゆだねたのです。プリゴジン氏は、囚人を、恩赦を餌に動員し、兵士の命をいわば肉弾のように使い、非人道的な手法でドネツク州東部の都市部での支配地域を広げてきました。
軍のワグネル依存は、統制に従わないプリゴジン氏とワグネルという怪物を生み出そうとしています。

私は弾薬不足というプリゴジン氏の言説を額面通り受け止めるべきではないとみています。
なぜならこの発言が出た後ももっとも激しく砲撃を浴びせ、戦闘を続けているのが、ワグネルが担当する東部の要衝バフムトだからです。プリゴジン氏の発言にはゲラシモフ参謀総長ら軍主流派を追い落とそうという政治的な意図もあるでしょう。軍対ワグネルだけでなく軍内部にも主流派とプリゴジン氏に近い強硬派という亀裂を生み出しています。

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プリゴジン氏の行動を許しているもう一つ大きな要因は、プーチン大統領が許容していることです。プリゴジン氏はエリートや財閥など富裕層は戦闘から逃げていると非難も繰り返しています。ロシアの民衆のナショナリズムとエリート嫌いの心情を代弁しています。エリート批判を許容することで極右支持層の不満のはけ口としてプリゴジン氏を利用しようとするプーチン氏の思惑があるように思います。しかし来年の大統領選挙に向けてプーチン再選の準備を進めているクレムリンの関係者は私に「ワグネルの戦闘能力は欠かせないが、ワグネル指導部の政治的行動は危険だ」と述べています。プーチン大統領はプリゴジン氏を制御できると考えているのでしょうが、「軍事力を持った政治勢力」という危険な存在を生み出すことになるかもしれません。

 権力の中枢クレムリンとプーチン大統領にも異変が表れています。

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 一方的に併合したクリミアやロシア本土でドローンによる攻撃やテロが相次いでいます。赤の広場での軍事パレードの規模が大幅に縮小、多くの地方ではパレードそのものが中止となりました。さらにプーチン体制になって愛国心を高めるために始まった市民のパレード、“不滅の連帯”も安全上の理由から中止となりました。縮小された軍事パレードや中止となった恒例行事にロシア国民は、モスクワを含むロシア本土も安全な場所ではなくなったという不安を強めたように思います。
ロシア国民に衝撃が大きかったのはドローンによってクレムリンが攻撃されたことです。ロシアでは、大統領は国家そのものであり、大統領の警備とクレムリンの防衛がいかに厳しいのか、私は実感しています。ロシアは大統領暗殺を狙ったウクライナの攻撃とする一方、ウクライナやアメリカは否定しています。ロシアによる偽装作戦の可能性も捨てきれません。

実際の攻撃であったら、これ以上の失態はありません。偽装作戦だとしたら、その作戦そのものがプーチン大統領の追い込まれた心理を表しているでしょう。
本来は共通の祝日であるはずの戦勝記念日をめぐってもロシアとウクライナの亀裂は決定的になっています。

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ウクライナのゼレンスキー大統領は戦勝記念日を9日ではなくヨーロッパ諸国と同じ8日にするとして、戦勝記念日をめぐってもロシアと決別し、ロシアの侵略はナチスドイツと同列だとして、勝利する決意を表明しました。ロシア軍とワグネルの亀裂は、ウクライナから見れば侵略するロシア内部の混乱にすぎません。反転攻勢の準備を進めるウクライナ側としては、こうしたロシア側の統制の乱れを反転攻勢に利用できるのかどうか、入念な分析を進めているでしょう。
ただロシア軍も防御を固めており、航空戦力などが無傷で残っており、ウクライナ軍の反転攻勢は容易ではないでしょう。

私は戦勝記念日をモスクワでもキーウでも取材した経験があります。旧ソビエトの第二次大戦での戦死者は一般市民も含めて2600万人。恐ろしい数字です。特にロシア、ウクライナ、ベラルーシのナチスドイツとの戦いにおける多大な犠牲には深い同情を感じます。
90年代初めの5月9日、モスクワの赤の広場の近くにあるボリショイ劇場の周りには、勲章を付けた元兵士たちがソビエト各地から集まっていました。戦友との一年に一度再会する場となっていました。そこには平和の喜びとヨーロッパにおいて二度と戦争を繰り返さないという祈りと誓いの気持ちが表れて今いた。

プーチン大統領はその日を、戦争を続けるための国威と戦意の発揚の日と変えてしまいました。大きな誤りいや大きな罪と言わざるをえません。
この戦争がいつ終わるのか、見通せない状況が続いています。


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