台湾の蔡英文総統が外国訪問の経由地としてアメリカに立ち寄り、マッカーシー下院議長と会談しました。中国は強く反発しているものの、これまでのところ、実際の動きは抑制的なようです。
その背景を探るとともに、来年の台湾総統選挙を見据えて駆け引きが活発化する中台関係の行方を考えます。
台湾の蔡英文総統は、中米2か国への訪問にあわせて、往路と帰路の経由地としてアメリカに立ち寄りました。
このうち帰路の5日、ロサンゼルス郊外でアメリカ議会のマッカーシー下院議長と会談しました。
マッカーシー議長との会談には超党派の議員団も同席し、アメリカ議会として引き続き台湾を支援していく姿勢を強調しました。
蔡総統も会談後、「民主主義は危機に瀕している」と述べ、名指しは避けながらも、中国を念頭にけん制しました。
蔡総統としては、台湾の安全保障の後ろ盾であるアメリカとの親密な関係を政権の外交成果としてアピールした形です。
一方、台湾では、蔡総統の任期満了にともなう総統選挙が来年1月に行われますが、与党・民進党の後継候補への支持につなげようという狙いもあったとみられます。
蔡総統とアメリカ議会の現職下院議長との会談は、去年8月のペロシ氏に続くものですが、前回は議長が台湾を訪れたのに対し、今回は蔡総統がアメリカに立ち寄る形をとりました。
マッカーシー議長は、議長に就任すれば「台湾を訪問する」と公言していたのに、なぜでしょうか。
その背景については、「台湾の安全保障上の懸念があった」との見方が多くあります。
中国は、アメリカの大統領権限を継承する順位が副大統領に次ぐ2位の下院議長が台湾を直接訪問することは、中国が主張する「1つの中国」原則を踏みにじり、「台湾独立」勢力に誤ったシグナルを送るものだといらだちを強めています。
去年、ペロシ氏の訪問に反発して行った大規模な軍事演習では、台湾を取り囲むように弾道ミサイルを相次いで発射しました。
また、これをきっかけに、中国軍機による台湾海峡の中間線越えが常態化することにもつながりました。
蔡政権は、去年に続くアメリカの現職議長の台湾訪問は、現状変更にもつながるエスカレートの口実を中国に与えると判断し、安全保障上のリスクが高まるのを避けたとみられます。
このため、台湾とアメリカは中国をなるべく刺激しないための対応をとりました。
会談の場所も、首都ワシントンではなく、マッカーシー議長の地元のカリフォルニア州としたほか、バイデン政権も、台湾総統の立ち寄りは過去に何度もあったと強調したうえで、今回も「私的で非公式なものだ」として、中国側が過剰な反応をしないようくぎを刺しました。
蔡総統としては、アメリカ側と綿密なすり合わせをしたうえで、来年の総統選挙に向けた外交的な成果を得ようと腐心していたことがうかがえます。
これに対し中国は、「断固反対する」として強く反発し、対抗措置も示唆しています。
ただ、これまでのところ、台湾海峡などでの3日間にわたるパトロールや軍事演習、アメリカにある台湾の代表機関トップへの制裁、それに関連はわかりませんが、中国軍の空母による台湾周辺海域の通過といった動きは見られるものの、去年と比べると規模は抑制的なようです。
こうした中国側の反応の背景には、なにがあるのでしょうか。
1つはタイミングです。去年のペロシ氏の台湾訪問は、習近平国家主席にとっては、共産党トップとしての続投がかかる党大会を控えた政治的に極めて敏感な時期にあたりました。
軍のトップでもある習主席は、弱腰の姿勢を見せるわけにはいかなかったともいわれています。
今回は、習主席の3期目の体制が本格化するなど政権基盤も固めていたため、改めて強硬姿勢を示す必要はなかったとみられます。
そして、もう1つ念頭にあるのが来年1月の台湾総統選挙です。
前回、2020年の選挙では、中国が香港の抗議活動を力で押さえつけたことで、台湾でも危機意識が強まり、蔡総統再選の追い風になったという中国側にとって苦い経験があります。
選挙まで1年を切った今、大規模な軍事演習などを行って台湾の世論を刺激すれば、再び民進党政権に有利な方向に傾きかねないという判断もあったとみられます。
ただ、中国側も、蔡総統の外交面での得点を、手をこまねいて見ていたわけではありません。そのインパクトを薄めるような手も打っています。
まず、外交面での切り崩しです。
蔡総統の出発の3日前、中米のホンジュラスが台湾との外交関係を断絶、中国と新たに外交関係を樹立しました。
これにより台湾と外交関係がある国は13か国と過去最も少なくなりました。
蔡政権発足当初の2016年には22か国でしたが、中国による切り崩しが進んでいます。
中国としては、国際社会での台湾の孤立を進めるとともに、民進党の求心力低下を図るねらいがあるとみられます。
続いて最大野党・国民党への肩入れです。
蔡総統とほぼ重なるタイミングで、中国は、国民党の馬英九前総統の訪問を受け入れました。
台湾の総統経験者の中国訪問は初めてです。
中国側は、共産党指導部のメンバーが会談するなど熱烈に歓迎し、融和ムードを演出しました。
中国は、民進党については、独立志向が強いとみなして警戒していますが、国民党については、中国との経済関係をより重視しているため、中国に融和的とみています。
将来の統一を見据え、台湾を取り込もうとする場合には、国民党の方が与しやすいと考えているのかもしれません。
来年の台湾総統選挙に向けて中国は、「国民党なら中台関係を安定させることができる」と印象付けることで、国民党に有利な方向に台湾の世論を誘導したい戦略とみられます。
ただ、こうした中国の世論工作は始まったばかりで、むしろこれから強まると予想されます。
中台の駆け引きは、ますます活発化しそうです。
今、中国が警戒しているのが、蔡英文政権が「民主主義」や「自由」といった価値観を共有する国との結びつきを強めようとしている点です。
こうした姿勢は、経済力を背景に外交関係の切り崩しを図る中国に対抗するかのようにも見えます。
アメリカも台湾に対する武器の売却を通じて関与を強めているほか、台湾軍の訓練を支援するために派遣しているアメリカ軍部隊の規模を、去年の4倍以上に拡大することが計画されているとも伝えられています。
中国が軍備の増強に余念がない中、米中双方が意図せぬ衝突を招かないための意思の疎通や、冷静な対応がこれまで以上に重要になります。
米中両国は首脳会談を行った去年11月以降、関係改善を模索していました。
しかし、半導体の輸出規制などをめぐる対立は続いているうえ、気球の撃墜をきっかけに対話も停滞しています。
米中関係の安定は、台湾情勢だけでなく、日本を含む東アジア全体の情勢にも影響するだけに、早期の対話再開が求められます。
来年の総統選挙をにらんだ中国と台湾の関係、そして長期的には中国とアメリカの関係が緊張をはらむ中、東アジアの情勢は予断を許さない状況が続きそうです。
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