私たちの命や健康を守る医療の分野で、国は今大きな改革を進めようとしています。
データを活用して、医療の質の向上に繋げる「医療DX」です。
現在、政府に推進本部が設置され、システムの変更などが盛んに議論されています。
しかし、医療DXという言葉は知っていても、具体的な中身は良く分からないという人も多いのではないでしょうか。
「医療DXとは何か」。
「患者にはどんなメリットがあるのか」。
「進めていく上での課題」について、考えていきたいと思います。
DXとは「デジタル・トランスフォーメーション」の略称です。
デジタル技術による変革、という意味です。
では医療の何を変えるのか。
まずその概要をご紹介します。
私たちの命や健康を守る「医療」には、実に様々なデータがあります。
普段行くかかりつけの診療所には、日々の診察や検査などの情報が。
別の病院には、手術など治療の記録。薬局には服用している薬。
そして、自治体には検診結果や予防接種歴などがあります。
こうした様々なデータは、これまで主に、それぞれの場所で管理されてきました。
このため、医師が情報を見たいと思っても、そう簡単ではありませんでした。
それをオンラインシステムで結ぶことで、情報を広く共有できるようにする。
これが医療DXの大きなポイントです。
いわゆる「マイナ保険証」を活用し、個人の情報はあくまで原則、患者が同意した場合に、共有化されます。
政府は、去年10月に「医療DX推進本部」を立ち上げ、政策を強く推し進める方針を打ち出しています。
では、私たちにはどんなメリットが考えられるのでしょうか。
1つは、より正確な診断、そして最適な治療に繋がると期待されている点です。
例えば、ある病院を初めて受診したとします。
医師は患者の話だけでなく、過去に他の病院で行われた治療の情報や検査結果を素早く入手し、より早く、より正確な診断や治療に繋がる。
そんなメリットが考えられます。
これは特に、災害や突然の事故で、救急搬送された患者には非常に有効とされています。
一刻を争う中で、その患者にはどんな薬を投与して良いのか、あるいは逆にどんな治療は避けた方が良いのか、注意すべき点も速やかに把握できるからです。
このほか、複数の病院で同じ検査を受けたり、同じ薬を出されたりする、いわば「無駄な医療」を防ぐ効果も期待できます。
そしてもう1つ、医療DXで期待されるのが「ビッグデータの活用」です。
いわばデータの2次利用とも言えます。
国民1人1人の医療データを集めて、特定の傾向をつかむというものです。
例えば、ある薬やワクチンを見た時に、一定の層には副反応が少ないが、別の層には副反応が多いことが分かる。あるいは一部の層には特に効果が大きいことが分かる。
そんな傾向を掴めれば、医師や患者が治療法を選択する際の大きな参考になります。
また、がんなど、特定の病気になりやすい人がデータで分かれば、そこをターゲットにした予防策を考えることも可能です。
さらに医療制度の維持に役立てていくという考えもあります。
日本総研が事務局を務める専門家のグループは、日本の医療の課題について、患者に提供した治療や薬が実際どれくらいの効果があったのか、データを使って詳しく評価する仕組みが、まだ十分ではないと指摘しています。
いま高齢化で医療費が増大し続けています。
ビッグデータを基に、それぞれの治療や薬を評価し、限りある医療の財源を、どこに優先的に使っていくかも議論していくべきだと提言しています。
このように、様々な活用が期待される医療DXですが、実現するには、いくつものハードルがあります。ここからは、進めていく上での課題について見ていきます。
まずは「システムの整備」です。
現在、国は、全国の医療機関と薬局をオンラインで結ぶ、新たなシステムの整備を進めています。医療DXを進める上での基盤となるものです。
一部の例外を除き、ことし9月末までに整備を完了する予定です。
ただ、これで、すべての医療データが共有できるようになるわけではありません。
実際には、ほかのシステムを変更するなど、さらにいくつもの工程が必要になります。
例えば「電子カルテ」です。
診察や治療に関する様々な情報が記載される電子カルテですが、メーカーごとにいくつもの種類に分かれています。
型が違うと、いくらオンラインで繋がっても、データをやりとりできない場合があります。
このため、電子カルテ情報の「標準化」が必要になってきます。
また、そもそも電子カルテを導入していない所も、一般の診療所では半分に上ります。
すべての医療機関で電子カルテを整備し、標準化するには、まだ長い道のりがあります。
そして、薬のデータ共有も同様です。
国はことし1月から、全国の医療機関と薬局で、処方薬の情報を共有する「電子処方箋」の取り組みを始めました。これは薬の重複処方などを防ぐことに繋がります。
しかし、必要なシステムを導入し、実際に始めたのは、全国で2000か所あまりと、まだ全体のおよそ1%という状況です。
これらの新しいシステムについて、医療現場からは「費用の負担が大きい」「そこまでする必要があるのか」といった声も、一部では聞かれます。
国は医療機関や薬局の理解を得るとともに、必要な支援を続けて、導入を後押ししていく必要があります。
そして、もう1つの課題は、「個人情報の取り扱い」です。
私たちの健康状態を示す医療データは、究極の個人情報です。
原則、患者の同意がなければ情報は共有化されない仕組みとなっていますが、外部へのデータの流出を防ぐなど、セキュリティーを万全にしなければなりません。
情報の共有化が進めば進むほど、その重要性は増していきます。
また、ビッグデータの活用で言えば、匿名とは言え、どこまでの情報を二次利用できるようにするのか、その線引きも検討が必要です。
使える情報があまりに制限されると、研究に十分生かせなくなるおそれがある一方、自分の情報が知らないところで使われることへの不安を感じる人も、少なくないと思います。
どこまでの情報ならば、個人のプライバシーを守り、研究や開発にも役立つのか、国や専門家などによる丁寧な議論が求められます。
さらに、医療DXを進める上で必要だと感じるのは、「メリット」を分かりやすく発信していくという点です。
医療DXの必要性が、一般の人に、まだ十分には理解されていないと感じます。
具体的にどんな病気の診断や治療に、データが役立つのか。
どんな病気の予防策に繋がりうるのか。
そして、どんな治療薬の開発が期待できるのか。
より具体的なケースを知れれば、それだけメリットを身近に感じることが出来ます。
医療DXは、私たちが受ける医療を発展させていく上で、重要な改革です。
データの活用は、大きな可能性を秘めています。
ただ、費用を掛けて整備を進める以上、多くの人が、その必要性を理解し、納得することが重要です。
国や医療機関、それに専門家などが議論をさらに深めて、医療DXの明確なビジョンを、発信してもらいたいと思います。
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