日銀の黒田総裁が今週いっぱいで10年間の任期を終えます。異次元の金融緩和政策を打ち出した黒田氏は、中央銀行のトップとして何を成し遂げ、どのような課題を残したのか。この問題について考えたいと思います。
解説のポイントは三つです。
1) 黒田バズーカの功績と目標未達
2) “異次元金融緩和”の自縄自縛
3) 財政規律に与えた“副作用”
最初に黒田総裁誕生からの10年間を振り返ります。
このシーンを覚えている方は多いのではないでしょうか。ちょうど10年前のきょう、黒田総裁は、それまでの日銀総裁にはなかったスタイルでボードを掲げ、2%の物価安定の目標を、2年程度の期間を念頭において、実現すると約束したのです。その手法は、日銀が、市場に供給する通貨の量を2倍の270兆円に増やす、日銀が保有する残高が年間50兆円のペースで増加するように国債を買い入れる、という「量的・質的金融緩和」といわれるものでした。巨額の数字をならべた政策について、黒田総裁自ら「異次元の金融緩和策」とうたい、メディアからは「黒田バズーカ」と評されました。
当時日本経済は物価の下落が続くデフレから抜け出せない中、政府や一部の専門家から「デフレは貨幣的な現象。物価の問題なのだから日銀が責任をもって対応すべきだ」という論調が強まっていました。そこで乾坤一擲、2年で2%を明言することで、人々にしみ込んだ「物価は上がらない」というデフレマインドを「インフレになる」という意識に転換させようとしたのです。
大胆な金融緩和の効果で、為替相場は円安方向に転じ、輸出企業を中心に企業の業績は改善、株価は大幅に上昇しました。
雇用も女性や高齢者を中心に400万人あまり増加。さらに10年にわたる金融緩和の継続が需要を押し上げ、労働市場では人手不足から賃金が上昇に向かい始めたという評価もあります。
しかし物価上昇率は最初の2年で2%には届かず、最近ではウクライナ情勢や円安の影響で3%を超えたものの、安定的に2%となる状況にはいまだなっていません。最後まで目標を達成できなかった要因について黒田総裁は、「人々の間に賃金や物価が上がらないことを前提とした考え方や慣行が根強く残っていた」ことをあげています。
では黒田日銀の10年をどう評価したらよいでしょうか。私は最初の2年で2%を達成できなかった後の対応に、一考の余地があると感じます。
異次元緩和が大きく躓いたのは、2016年1月、2%の物価目標の達成が遅れる中で金融緩和の手段を増やそうと、日本で初となるマイナス金利政策を導入した時でした。短期の金利がマイナスに抑えられた影響で、10年以上の長期の金利までマイナスとなり、保険や年金の運用利回りが低下。年金生活者への影響も懸念される想定外の副作用を招いたのです。この事態を受けてその年の9月には、10年ものの長期国債の金利をピンポイントで0%程度に固定し、長期の金利を押しあげる政策が導入されました。日銀は、基本的には金利をさげる政策をとっていたわけですが、さがり過ぎるのも問題だったのです。
金利を人為的に一定の水準に維持する政策には、国債の購入量を減らしたい思惑もあったといいます。しかし市場が価格を決める機能を弱めさせ、のちに企業の資金調達に支障が生じるという副作用を招くことになります。さらに巨額の国債を買い入れる状況に変わりはなく、今年1月にも、金利の上昇を抑えるために23兆円もの国債の購入を迫られ、これがまた別の副作用を生むことになります。次から次へと副作用の対応に追われる政策を続けるのであれば、いっそその政策を抜本的に見直す道もあったのではないかと思います。しかし、黒田総裁は、「続けることでこそ目標に近づく」と考えていたようです。国債の購入をいつまでも続けられないのではないかという指摘に対し、「限界にきていることは全くない」と言い続け、修正を加えながら延命をはかる道を選んだのです。
その一方で、2%を達成する時期は6回にわたって先送りされたうえ、2018年には、黒田総裁が、「2年程度を念頭に始めたわけだが、その後は特定の達成時期を念頭に置いて金融政策を運営しているわけではない」とちゃぶ台返しとも受けとれる発言をします。しかし、もともとは2年という短期間に思い切った手を打つことで人々の心理を一気に変えたい。そう考えたからこその異次元の金融緩和だったのではないでしょうか。それを短期で実現しないでよいということになったのであれば、その後も異次元の政策を続ける必要があったのかと疑問に思います。
こうした経緯を振り返ると、2年程度という短期間を想定して打ち出した異次元緩和を、想定外に長く続けたことで、その副作用への対応に追われる状況が続くという、いわば自縄自縛の悪循環に陥っていたように思えるのです。
一方で、アベノミクスの下で、日銀が物価の上昇について過度な責任を負わされていなかったか考えることも必要だと思います。
この10年、日本経済は思ったような高い成長を遂げられませんでしたが、日銀が様々な手をつくした結果わかったのは、金融政策だけで物価を上昇させるのは難しい。やはり求められるのは、成長戦略やイノベーションを通じて、経済が成長。企業の収益が向上し、賃金が上がって消費が増え、物価もあがっていくという好循環だということではないでしょうか。
最後に日銀と財政規律の問題について考えていきたいと思います。財政規律とは、政府の財政支出を無駄なく、効率的に行おうと高い意識をもつことですが、日銀の金融緩和によって、その規律が緩んでいるという指摘があります。どういうことでしょうか。
このグラフは、この10年の政府の国債発行残高の推移です。これに日銀が保有する国債の残高の推移を重ねるとこうなります。
その額は去年末の時点で国債発行総額の半分以上を占める547兆円に達しています。国債の発行が急激に増えた背景には、ここ数年のコロナ対策に必要な資金を国債でまかなったという事情もありますが、日銀が大量に国債を買い入れて金利を低く抑えていることで、政府が借金をしやすくなっていることもあるのではないかという指摘もでています。一般に国の財政が悪化すれば、その国の国債の信用度が下がり、金利が上昇しますが、日本では、金利が人為的に抑えられていることで、財政悪化に対し、国債金利が上昇して警告を発するという機能が働かなくなっているというのです。
こうした指摘に対し黒田総裁は「財政規律は日銀の責任、問題ではなく、政府・国会がお決めになることだ」とし続けてきました。先月の記者会見でも「なんの反省もないし負の遺産とも思っていない」と言い放ちましたが、本当にそれでいいのでしょうか。確かに財政の悪化は政治の責任だとしても、「金利を低く抑えれば財政規律がゆるむ」とわかっていながら、大量の国債購入を続ける、いわば未必の故意とも解釈されそうな政策を続けることが正しいのかどうか。日銀にとっても、政府の財政が悪化して、金利に上昇圧力が働けば、金利を低く抑えようというせっかくの努力に水を差されるおそれがあります。財政の規律にマイナスに働く副作用ともいえる巨額の国債の購入は、「負の遺産」と言わずとも、「深刻な宿題」を残したことになります。
壮大な実験といわれた異次元の金融緩和には様々な功罪が指摘されます。日本経済は、まだまだ金融緩和が必要とされる状況だとしても、それは異次元である必要があるのか。来週から任に就く植田新総裁は重い課題を背負うことになります。
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