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イラク戦争から20年 戦争が残したもの

出川 展恒  解説委員

世界を揺るがしたイラク戦争の開戦から、ちょうど20年を迎えました。アメリカ軍などの攻撃で、フセイン元大統領の独裁体制が倒れ、当初は、イラクが民主的な国に生まれ変わることへの期待もありました。しかし、その後、内戦と混乱が続き、大勢の市民の命が失われ、安定からは程遠い状態です。イラク戦争が残したものは何だったのか、その歴史的な意味を考えます。

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解説のポイントは、▼戦争でイラクはどう変わったのか。▼中東の域内政治に与えた影響の2つです。

■2003年3月20日、アメリカやイギリスなど「有志連合」によるイラク攻撃が始まりました。2001年のアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに、「テロとの戦い」を掲げたアメリカのブッシュ政権が、アフガニスタンに続いて、イラクを標的にしたのです。フセイン政権が大量破壊兵器を開発し、国際テロ組織「アルカイダ」と手を結んでいると主張し、政権打倒を目標に、国連安保理決議を得ずに踏み切った戦争でした。開戦から3週間後(4月9日)、アメリカ軍の地上部隊が首都バグダッドに迫ると、フセイン大統領をはじめ政権幹部らが姿をくらまし、24年にわたって、この国を強権支配し、周辺国に脅威を与えた体制が、あっけなく崩壊しました。

■アメリカの占領統治のもと、新しい国づくりが進められました。私は、開戦前から4年にわたって、イラク報道に携わりました。新憲法の制定、国民の直接投票による議会選挙など民主的な制度の導入です。ところが、フセイン独裁体制を一掃すれば、民主主義が根を下ろし、国民がみな満足するというような単純な話ではありません。軍や警察が解体され、有能な官僚たちも追放され、国づくりの基礎が失われました。そして、強権体制によって抑え込まれていた、異なる民族や宗派の対立が噴出し、政治が機能不全に陥ったのです。

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民族と宗派の人口比率によって、「勝ち組」と「負け組」が固定され、何度選挙を行っても、意味のある政権交代は起きません。不満を募らせた「負け組」は、暴力による政権転覆も辞さなくなり、過激派組織IS=イスラミックステートの台頭を招きました。
また、少数民族のクルド人勢力は、分離独立の動きを見せました。

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イラクは、異なる民族と宗派で構成された国です。おおざっぱに、イスラム教シーア派のアラブ人が、およそ60%。スンニ派のアラブ人が、およそ20%。少数民族のクルド人が、およそ20%です。政党は、民族と宗派をベースにつくられてきました。
人口の多い「シーア派」が常に選挙で勝利し、「クルド人」の政党と、政府の主要ポストを独占しています。旧フセイン政権に弾圧された両勢力が「勝ち組」に、これに対し、旧政権時代優遇された「スンニ派」は発言力を失い、「負け組」となったのです。

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シーア派とスンニ派の宗派対立は、やがて激しい内戦を引き起こし、この20年間で、およそ20万人の市民の命が失われました。2014年からは、過激派組織ISが台頭し、一時、国土の3分の1を支配する危機的な事態に陥ります。背景にあったのは、蔑ろにされたスンニ派勢力の不満と、隣国シリアの内戦です。イラク政府は、国際社会の支援を受け、3年半をかけて、ISから領土を奪還しました。

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一方、イラク北部に、自治区と自治政府、それに、独自の軍事組織を持つクルド人勢力は、中央政府を通さず、外国と直接、外交や貿易を行うようになります。ISとの戦いに貢献した勢いに乗って、2017年には、イラクからの独立の是非を問う住民投票を行いました。圧倒的多数が賛成したものの、中央政府との対立が激化し、国際社会からの支持も得られず孤立して、分離独立への機運はしぼんでいます。

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■戦後のイラクは、民主的な選挙が定期的に行われてきましたが、国の全体を考えた政策論争はほとんどなく、民族、宗派、派閥による利権争いに終始しています。国民の暮らしは顧みられず、水や電力の不足が恒常化し、失業問題は悪化の一途をたどり、貧富の差も拡大しています。人々の不満は募る一方で、2019年には、首都バグダッドを中心に、大規模な反政府デモが起き、時の政権が退陣に追い込まれました。その後、いくらか制度改革が行われたものの、国民の多くは、混乱と腐敗にまみれた政治に強い不信感を抱き、将来に希望を見いだせなくなっています。

■ここからは、イラク戦争とその後の展開が、中東の域内政治、パワーバランスに与えた影響を見てゆきます。
戦後のイラクにとって、最も重要なパートナーは、アメリカとイランです。ただし、アメリカの影響力は、米軍の撤退とともに徐々に低下し、イランが影響力を拡大させています。このことは、サウジアラビアなど周辺アラブ諸国やイスラエルを刺激し、各国間の対立と緊張を激化させています。

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イラクの国づくりの主導権を握ったシーア派の政治勢力は、フセイン政権時代、苛酷な弾圧を受けたため、シーア派の宗教国家イランに身を寄せ、反体制運動を行っていました。彼らは、フセイン政権崩壊後、イラクに帰国し政権幹部となったケースが多く、当然イランとの結びつきが強くなります。さらに、ISから領土を奪還する戦いでは、シーア派の民兵組織が重要な役割を果たしたため、後ろ盾のイランの影響力がいっそう強まりました。これに加えて、内戦に陥ったシリアやイエメン、混乱が続くレバノンでも、イランの革命防衛隊やシーア派の組織が活動を活発化させ、「シーア派の三日月地帯」と呼ばれる勢力範囲を形成するようになります。
イランと中東の覇権を争っていたサウジアラビアをはじめ、スンニ派のアラブ諸国は危機感を募らせ、イランと敵対するアメリカやイスラエルとも連携して、イランの封じ込めに躍起になっています。イエメンやシリアの内戦は、イランとサウジアラビアの代理戦争の様相も呈しています。

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一方、アメリカが、イラクの戦後統治に失敗し、多くの犠牲者を出したことは、その後、アメリカの歴代政権が、「中東への関与を弱め、アジアにシフト」してゆく要因のひとつとなりました。また、撤退するアメリカの空白を埋めるように、中国やロシアが、中東各国への接近を図っています。最近、サウジアラビアとイランが、中国の仲介によって、関係を正常化する方針で合意したニュースは、こうした、パワーバランスの変化を反映したものです。

■アメリカのブッシュ政権がイラク攻撃に踏み切る理由としていた、フセイン政権による大量破壊兵器の開発やアルカイダとのつながりは、その後、なかったことが判明し、戦争の正当性に大きな疑問符がつきました。そして、アメリカは、イラクの民主的な国づくりにあたって、イラク社会についての十分な理解も、綿密な計画もなく、場当たり的だったことが露呈されました。
中東の脅威をとり除くという大義名分のもと、国際社会の同意なく行われた戦争が、かえって多くの市民の命を奪い、中東を不安定にしたのは大きな悲劇です。そのことは、アメリカでも、国際社会でも、総括されないまま、今日を迎えています。ウクライナで、大国による極めて身勝手な戦争が起きている今、過去の戦争を真摯に検証し、歴史の教訓を学び取る努力が求められていると思います。


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